※捏造注意


 陽太の作る紙飛行機はよく飛んだ。
 同時に空に放られた烈のものがかさりと地面に落ちてしまってからもすいすいと、なだらかに。
 自分の作った紙飛行機が陽太のものより先に地面に落ちる度、空気抵抗や発射角、折り目の数までどうしても計算ずくの改善の余地を、唇を尖らせながら烈は頭の中で探していた。未だ空を飛ぶ一枚の紙から作り上げられたそれを、にこにこと笑いながら見守っている陽太にだけは、段々と必死になってきている気持ちを悟られないように。
 公園で紙飛行機を飛ばして競う二人の子どもは、恐らくその行動自体は他愛ないというのに光景としては今どき随分と珍しい。小学生にもなれば、遊ぶための道具は家庭毎の教育方針や経済環境によって違えども周囲と足並みを揃えることが最低限の水準として(少なくとも烈の周囲の子どもたちには)与えられていて、それは携帯ゲーム機だったり、バディファイトというカードゲームだったりと様々だ。烈の場合は後者のバディファイトで、しかしその楽しみ方は自分でファイターとして勝負するというものではなくその前段階としてのデッキビルドを主体としていた。そしてそれは彼にとってはもはや遊びではなく天職とも呼べるような何かだった。
 それとは対照的に、陽太はバディファイトにはあまり興味がないようだった。それでも友だちとの会話の端々に全くの無知というわけでもないのだが、じゃあ自分も手を出してみようかと腰を上げることもなく、それによって周囲との話題に齟齬が生じることへの集団生活の中では真っ当な気後れもさして感じていないらしい。烈からすれば、クラスの大半が熱中しているバディファイトに、クラスの割と中心にいて笑っている陽太が流れに乗って形ばかりであっても手を出さないのは不満とは言わないまでも不思議ではあった。デッキビルダーとして普段から大量のカードを持ち歩いている陽太は、休み時間などにクラスメイト達が一斉にファイトに興じ始めるのを眺めているだけの陽太に何度か即席でデッキを作って貸してやろうかと申し出たのだが、その度にやんわりと断られてしまっている。無理強いをする気はないので、烈はその度にあっさりと引き下がる。自分のデッキビルドを核とした楽しみ方も、こうした休み時間には浮いてしまう、偏ったものであるという自覚があった。
 今日だって、クラスメイトたちは放課後になると同時にカードショップにパックの購入と学校や自宅ではできないショップのファイティングステージを使用したファイトをしようと一斉に連れ立って教室を飛び出して行った。勿論、烈と陽太も誘いの声を掛けられたが、二人揃って断った。烈は集団でのカードの購入というもの(相手の目当てを引き当ててしまったりした際の視線だったり交換の持ちかけだったり)が苦手だったし、彼等のファイトにもさほど興味がない。そして陽太は、バディファイト自体に。
 陽太は周囲の空気が読める子どもであるが故、それが自分に合わないと悟るや否やするりとすり抜けてしまえる少年でもあった。そんな風に陽太がそれとなく集団から抜け出して一歩足を引く度に、烈は彼を繋ぎ止めるように慌てて(傍目には、たまたま気付いただけだという体を装って)呼び止めて、放課後は鞄を持ったままこうして公園に寄り道などしている。
 紙飛行機は、今日の理科の時間に作ったものだ。教室で折ったそれを持って校庭に出て、生徒たちで一斉に空に放った。手から離れた途端、他の紙飛行機とぶつかって落下してしまうものもあれば、何の接触もなしに舞い上がることなく急降下したものもあった。交錯してどれが自分の紙飛行機かわからなくなってしまう生徒もいる中、陽太の紙飛行機はたった一つ誰のものも届かない高さまで舞い上がった。わいわいと大騒ぎするクラスメイト達から一歩引いた場所で、とても静かな動作で紙飛行機を放った陽太を見ていたのは、きっと烈だけだった。

「なあ陽太、何かコツってあるのか?」

 流石に授業で作った紙飛行機は放課後までによれよれになってしまったので、公園に来てから二人で折り直した。しかし相変わらず陽太のものはよく飛ぶけれど烈のはてんで駄目だ。習った通りに折ったのに。一見、陽太の紙飛行機も見た目は全く同じに思えるけれどこうも飛距離に差が出るということは何か違いがあるとしか思えない。
 意地を張るようなことでもないからと、素直に教えを乞うた。どこまでも飛んでいきそうな紙飛行機と、それを見つめる陽太の横顔。胸がざわざわして落ち着かない。

「コツ?」
「ああ、コツ」
「簡単だよ、祈るんだ。ずうっと高く飛びますようにって」
「はあ? そういうんじゃなくてさあ、折り方とか、手を離すタイミングとか」
「折り方は今日習った通りだよ? 手は――よくわかんないなあ……。『行けーー』って思った瞬間かな?」
「…………」
「怒んないでよ」
「怒ってないけど!」

 あまりに要領を得ないふにゃふにゃとした回答に、正直面白くないと思った。陽太に限って秘訣を隠しているということはないのだろうけれど。ただどうしたって、烈の手の中にある紙飛行機を飛ばすために心を砕いてはくれないようだったのが、勝手とはわかっていても思いやりに欠けているような気がして、陽太の冷たさとか烈自身の狭量さとかではなく二人の間にある距離が紙飛行機の飛距離に合わせてどんどん開いていくように感ぜられた。それが悲しかった。
 結局その日、烈の紙飛行機が陽太のものより長く飛ぶことはなかった。


 陽太が入院した。烈に言わせれば、それは前触れもない喪失も甚だしい事態だったのだけれど陽太はいずれこうなることをわかっていたようだ。自分の身体のことなのだから当然なのかもしれない。それならばそれで、ちょっとくらい打ち明けてくれたって良かったではないかと思ってしまうのは、陽太の病状の重さなんて何も理解していない子どもの癇癪だとわかっていたから、烈はただ黙って病室まで足を運ぶ。すごく心配しているとは思われないように。間隔を意識しながらなんて、幼心にバカバカしいと思った。
 烈が病室に出向いていくと、陽太は大抵漫画を描いていた。内容は知らない。興味がなかったからかもしれないし、それが陽太の弟へ向けたメッセージであることを知らされていたから、自分が読んではいけないと思ったのかもしれない。しょっちゅう病室にいて、陽太にひっついているという弟とは、タイミングが悪いのか一度も顔を合わせたことがない。どうやら、烈に懐いているいとこと同年代のようだ。にこにこと自分で組んだデッキを持って駆け寄ってくるいとこの姿を思い描いていると、陽太は自分の弟は泣き虫なのだと困ったように、しかし愛しいと隠しきれないように眉を下げた。だから漫画を描いているのだという。わずかでも、直ぐに俯いて泣いてしまう弟の道標になれるように。太陽の残照が、助けになるように。妹にはもう渡せたのだけれど、こっちの方がだいぶ大仕事だからなあと笑う陽太に、烈はだったら言葉で説明した方がずっと簡単だろうにと思ったけれど言わなかった。陽太の一連の言葉が、自分が去ってしまう者としてあっさりと語られていることを、当人の口から改めて説明されるのではと思うと、何の言葉も浮かんでは来なかった。
 病院を出ると、烈はいつも真っ先に空を見上げてしまう。病院というものは全体は巨大な建物なのに、ひとつの部屋に入ってしまえばどこか圧迫感があって苦手だ。自分の意思で足を踏み入れたのに、ここにいる人、在る物、全てが閉じ込められているような冷えた感覚。解放されたと言わんばかりに、大きく息を吸い込んで、吐く。四六時中こんなところにいなければならない陽太が、凄く理不尽な目にあっているように思えて仕方ない。
 いつもは未練がましく立ち竦んでいても仕方ないと己を鼓舞してでもさっさと立ち去ってしまうのだが、今日は何となく振り返ってまじまじと病院を見つめた。先程まで自分がいたはずの窓を探す。内側にいるのと外側から見るのとでは捉えようが違っていて、同じ窓がずらりと並んでいる壁が薄気味悪い。しかしそんな暗さを払うように、丁度開け放たれた窓から白いカーテンがはためいて烈の視線はそこに釘付けになった。そこは、確かに陽太の部屋だったから。

(烈くん――!)

 見上げた窓から、ひょっこりと顔を出したのはやはり陽太だった。彼は最初から烈が外にいることを知っていたかのように、探すような素振りは一切見せずに大きく手を振っている。何か言っているが、よく聞こえない。ただ見慣れた口の動きから、自分の名前を呼んだのだなと気付き、小走りですぐ下まで駆けつけた。

「烈くん、」
「何だよ、忘れ物でもしたか?」
「あのね、」
「――?」
「       」
「は?」

 ごめん、聞こえなかった。そう聞き返すよりも早く、陽太が病室の窓から何かを投げた。目を見開いて、その何かを見定めようと烈は口を閉じた。落ちてくるかと思って伸ばし掛けた腕も、直ぐに中途半端な位置で止まった。
 それは、紙飛行機だった。いつか一緒に飛ばした、シンプルな作りのそれは柔らかな風に乗ってゆっくりと空を昇る。
 どうやら真っ直ぐに烈の元へとその紙飛行機を落とすつもりだったらしい陽太は、極まりが悪そうに頬を掻いて、紙飛行機と烈の顔を交互に見比べている。

(――祈るんだ)

 いつかの陽太の声が耳に蘇る。
 もしかしたら彼はあのとき既に病気が発覚して入院することが決まっていたのかもしれない。閉じ込められてしまうこと、限りない大空を裂いて飛んでいく紙飛行機のようには世界を泳いでいけないこと。隣で飛距離の伸びない紙飛行機の改善を試みる烈や、カードショップに駆けていくクラスメイトたちも知らなかったことを、陽太はとっくに知っていた。
 だから祈るのだ。

「――連れてってよ!」

 陽太の叫ぶ声に、ぼんやりと紙飛行機を目で追っていた烈ははっと意識が戻ってくる。ばっと陽太を見上げれば、彼はいつもの笑顔で、顔の横にピースなど作っている。そんな写真を撮るときみたいに、楽しくて仕方がないときみたいに、誰かの瞼の裏に焼付こうとしなくたって。叫び出したい衝動を、烈は必死に抑え込む。笑うなと、今の陽太には言ってはいけないのだ。

(――違う、)

 打ち消したのは、踏み出さない理由が己ではなく陽太の虚勢にあるかのように立ち竦んだ自分自身。
 陽太はもう祈った。連れて行ってよと。閉じ込められた病室を嘆いたりはしないけれど、居心地がいい訳でも決してないのだ。医者を、両親を、弟妹を、困らせるだけだからと陽太はきっと弱音を吐くことをしないだろう。烈に見せている姿だって、どうせ偽りなのだ。でなければ、そもそもあんな元気な陽太が入院するはずがないのだから。
 そんな陽太が、病室の外へ放った紙飛行機ひとつ。たぶん、大空への羨望だった。そしてそれは、烈へと託されるように放られたのだ。
 そのことに気付いた瞬間、烈は未だ高々と舞い飛んでいる紙飛行機を追い駆けて走り出していた。
 大丈夫、絶対に取りこぼさないから。振り返る余裕なんてないくらい必死になってしまって、けれど陽太はこんな自分の背中を笑って見守ってくれていることに微塵の疑いも挟まないで。
 太陽の光が紙飛行機の上から注がれていて眩しい。咄嗟に腕を翳して影を作る。絶対に見失わないようにと歯を食いしばる。何度も転びそうになりながら、陽太の祈りを捕まえようと烈は走る。
 けれどどうしてか、あの紙飛行機がどこまでも飛び続ければいいと願った。いつまでも、どこまでも。未門陽太の祈りを乗せて、ずっと。



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のぞまれたかった
Title by『さよならの惑星』
20150103



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