※46話直後、47話視聴以前にてる美ちゃんが鈴羽お嬢さまと風音ちゃんと一緒のチームで臥炎カップに出場するのではという妄想前提
※捏造過多注意




 その日、ソフィア・サハロフの機嫌は氷点下に達していた。ディザスターの一員である朽縄てる美がその本拠地であるディザスターパレスを飛び出して行ってしまっただけでも辛抱のない稚拙な行動だと内心で舌を打ちたい気持ちでいっぱいであったのに、その上音信不通になるとはどういうことだ。
 臥炎カップに出場するに当たり振り分けられたチームに不満があるのはソフィアにもよくわかる。あの祠堂孫六と一緒なんて、さぞかし疲れることになるだろう。そこは確かにお気の毒だ。だがそれがキョウヤの命令ならば割り切るべきだとソフィアは思っている。
 ――否、これまでのてる美なら間違いなくキョウヤに――彼女たちに背を向けて、エルフに決定事項を通達させるだけだったあの場で――チーム替えの懇願などしなかったはずだ。その認識と現実との誤差が、ソフィアには腹立たしいのだ。何を揺らいでいるのだろう。ただでさえ快活に周囲と関わろうとするタイプではないてる美が、一層他者との線引きに拘って引きこもっているように見え始めたのは、キョウヤから与えられた任務に失敗した頃からだ。だからソフィアは、初めはただ怯えているのだと思った。キョウヤは目に見えててる美の失敗を咎めはしなかったから。穏やかな笑顔の下でてる美に落胆し、見限られるのではないかと、彼への忠誠心の篤い彼女を思いつめさせているのだと思っていた。けれどどうやら、それは正確ではないらしい。
 ――まさか、迷っているの?
 ソフィアは表情を変えずにディザスターパレスの大理石の廊下を進む。ブーツのヒールとぶつかって高い音が鳴る。カツーン、カツーンと反響して、たった一人で歩いていることを嫌でも意識する。
 てる美に突き飛ばされたことと、格下とみなしている彼女に拒絶の言葉を吐かれたことに腹を立てた祠堂は制裁を加えるだのと物騒な物言いをしていた。リーダーがどうこう言っていた気もするが、そこは右から左へ流していたのでよく覚えていない。正直、祠堂孫六という人間に、ソフィアは何の脅威も感じないのだが、自身のプライドへの保身の為にのみ働く行動力は厄介だ。それもやはり、一目置くという意味ではなく呆れの意味での評価だったけれど。
 てる美がディザスターを飛び出した後、祠堂はいつも通り相棒学園中等部の間抜けな生徒会長を演じる為に登校しているはずだ。もしかしたら、てる美と顔を合わせたかもしれない。そう思い、本当に珍しくも久しぶりにソフィアの方から祠堂にてる美のことを尋ねたときの返答ときたら思い出しただけでも腹が立つ。

「知らないですし。でろ美とは今日一度も話してないし、見かけてもいないですし」

 流暢な口調があっさりと嘘をソフィアに看破させていることに気付かない。得意げな顔は、自分の顔に泥を塗った相手をやりこめたと確信しているからだろう。その後も延々とてる美を卑下する言葉の中に自身を持ち上げる言葉を織り込ませながら喋り続けている祠堂をあっさりとその場に置き去りにして、ソフィアは今廊下を歩いている。
 少し外へ出る旨は、誰にも報告しなくてもいいだろう。ディザスターフォースを使えば、移動時間などないのと同じだ。カードを取り出す。移動の門が開く。ソフィアは躊躇なくその中へと足を踏み入れる。黒と赤、禍々しく揺らめく空間に、行き先を見失わないように。相棒学園へ出向くのは、もう随分と久しぶりのように思えた。

「――……いない?」

 どうせここに閉じ込めたのだろうと思っていた。ABCカップの際に、祠堂の(大分自身の実力に欲目を含んだ)目算では最も優勝の障害になると判断した轟鬼ゲンマを閉じ込めていた学園の地下洞窟。もう相棒学園の生徒ではないものの、一切の躊躇もなく足を踏み入れた生徒会室から落下通路を降りて来たのだが、予想に反してそこにてる美の姿はなかった。
 ――祠堂は本当に会っていない? いえ、そんなはずが……。
 バディスキルで上から洞窟全体を見渡している以上、ここにてる美がいないことを認めざるを得ない。しかし他に祠堂が彼女を閉じ込めて置ける場所などソフィアは心当たりがない。音信不通なのだから、何らかの不測の事態がてる美の側に起きたことは明らかなのだ。

「……あれは、」

 ふと、地面に光る物を見つけてソフィアはそれの元へと降り立ち拾い上げた。それは、見覚えのある髪留めだった。てる美が前髪を留めるのに使っていたもの。やはり彼女は、間違いなく一度ここへ落とされている。もう一度くまなく周囲へ目を走らせる。だがやはり、てる美は何処かへ移動してしまっている。内側からは、出口を開けることもできないこの洞窟から。

「――どこに行ったの?」

 ぽつり吐き出した声が、ソフィアが想像していたよりもずっと切実にてる美を探し求めているように響いた。誰にも聞かれなくて良かった、そう取り繕うことを考えてしまうほどに、その声は細かった。
 ここには誰もいない。朽縄てる美は、ソフィアの元から消えてしまったのだ。

◆◇◆

 朽縄てる美は混乱していた。目が覚めたら、見たこともない豪奢な――ディザスターパレスも豪壮であったが、あれは余計な飾りを限界まで排除した静かな美であるのに対しこの部屋は煌びやかという言葉が相応しい質量を持っている――部屋で自分が眠っていたのだから当然の混乱だった。
 祠堂によって生徒会室から地下洞窟に落とされた際、驚きのあまり受け身を取ることが出来ずに強か身体を地面に打ち付けた衝撃でてる美は暫く動くことが出来なかった。祠堂の振る舞いを卑劣だと怒りに任せて彼の元へと戻り報復するような気力もない。何故だろう、キョウヤの為にバディファイトをすればいいと決意したばかりなのに。もう必要ないと放り出されてしまえば、固めたばかりの決意も白紙に戻ってしまったかのように覚束ない。祠堂の――あんな奴の言葉を真に受ける方が間違い、直接自分で確かめなければ真実はわからない。頭ではわかっているのに、身体は一向にてる美に奮起を促さなかった。だって、てる美はキョウヤの決定に異議を唱えて飛び出してきてしまった。それは変わることのない真実だ。怒っているかもしれない。ただでさえ任務に失敗してから、汚名を返上する機会にも恵まれずにいたというのに。
 キョウヤはてる美を必要だと言ってくれた。だから、正反対の言葉だってきっと言えてしまうのだ。もう必要ないよと、その一言で、てる美はキョウヤから、世界を救う力から放り出されてしまう。何も持っていない、無力でちっぽけな存在に成り果ててしまうのだ。ぞっとした。そんなのは嫌だと思った。だからもう、このまま目を閉じて眠ってしまおう。あの矮小な男にそんな度胸があるとは思えないけれど――最後まで、祠堂への悪態は忘れない――、いっそ餓死してしまえば楽になる。極端だとは思ったけれど、そのときてる美の中は一瞬で、一瞬だけ、すっかり空っぽになってしまった。

「――あら? 誰かいらっしゃいますの?」

 朦朧としていたてる美にはよく聞こえなかったけれど、重厚な岩戸を開けてやって来たお姫さまは彼女の顔を覗き込むと「あら、大変!」と叫んだ。
 ――大変? そうね、お姫さまが来るような場所じゃないもの。
 ここはお城ではないわ。声にならない拒絶をしたつもりだった。けれど、お姫さまは何の気にも留めずにてる美の頬に手を添える。
 ――温かい。
 手袋越しの温度。それでも、てる美にはひどく、人間として十分な温かさだと感ぜられた。そして恐らくこのときだと、てる美は後に振り返る。このお姫さまが――天野鈴鈴羽という存在がてる美の中にするりと羽のように軽い一片となって滑り込んで来たのは、このときだ。

◆◇◆

 てる美が目を覚ましたと聞いてやってきた天野鈴鈴羽は、やはりいつ見ても自分とは住む世界が違うのだなと思わざるを得ない格好をしていた。ドレスなんて、てる美は七五三くらいでしか着たことがない。視界がいつもより悪い。どうやら髪留めを失くしてしまったらしく、前髪が邪魔だった。けれど、丁度いいとも思った。鈴羽は、直視するには眩しすぎる気がしたから。

「――何していたの、あんな所で」

 本来は、あの場所でてる美を拾ってきた鈴羽が尋ねるべき言葉だ。主人と客(客かどうか、てる美にはまだはっきりとはわからない)、場の主導権は鈴羽が持っているはずだった。だから、尋ねられてもどう説明していいかわからないことを、てる美は先に訊いてしまった。
 鈴羽は、相棒学園側の依頼を受けてあの地下洞窟にもう幾つかファイティングステージを作れないかどうか調査していたらしい。そんな専門的な業務の下見を、天野鈴の人間とはいえ鈴羽が行えていたのかどうかは疑わしい。ただ、本人はやる気を持って視察していたことは間違いない。相棒学園の地下には現在初等部の校長が個人的にファイティングステージを構えているが、その延長みたいなものだ。そもそもあの地下洞窟は生徒会の所有するものではない。土地そのものが学園のものなのだから勝手に祠堂が気に入らない相手を突き落すために利用していただけなのだろう。てる美は、タイミングの良すぎる偶然によって救出されたのだ。望むと望まざるとに関わらず。ならば、下手に事を荒立てない為にも礼は言っておこうと身体を起こそうとする。

「……あ、ありが――っつ!」
「ご無理はなさらないで結構、何か所かひどい打撲だそうです」
「そ、そう……」
「あんな場所で打撲だなんて、やっぱり――」
「な、何でもないだわさ!」
「…………」
「あ、あの、これは事故みたいなものなんだわさ! だから――」
「わかりました、これ以上は何もお尋ねいたしませんわ」
「え」
「ただし、しっかりと看病はさせていただきます」

 身体を動かした瞬間、背中と腕に激痛が走りまたベッドに倒れ込で――感触が、ひどく上等なものだと体験したこともないのにわかってしまうような柔らかさだった――、鈴羽はそんなてる美の顔を覗き込む。慣れない同学年の女子生徒が至近距離にいるという状況に(ソフィアは含まない)、てる美はつい視線を泳がせてしまう。
 そういえば、ABCカップで祠堂が轟鬼ゲンマをあの洞窟に閉じ込めたのを助け出した際、鈴羽はその居場所に目星を付けた人物でもあり、あの洞窟にも足を踏み入れている。ゲンマから事の顛末と生徒会室との位置関係を把握しているのだから、てる美の怪我を負った経緯を推察することもできるだろう。だがてる美としては余計な介入をして欲しくなかったので、咄嗟に声を荒げて鈴羽に決定的な言葉は言わせなかった。それでも、拒絶するにしては弱々しい動揺がありありと浮かんでいて、てる美は自分で驚いている。そして、あっさりと詮索を諦めて、しかし目の前にいる怪我人の世話を放り出したりはしないと宣言した鈴羽にも。お嬢さまとはもっと我が強くて、我儘で、他人に言葉を遮られるなど我慢ならない生き物だと思っていた。だって鈴羽も、見た目だけ見たらどうしたって存在感を誇示している目立ちたがり屋なのだと思っていたから。

「……あの、ところでここは何処なの?」
「うふふ、わたくしの数あるお部屋のひとつ、天空ルームですわ!」
「ああ、あれか……」

 何度か見上げたことがある。部屋というよりは家、言えというよりは邸と呼んだ方がいいほどの大きさ。真下から見上げると首が痛くて、けれどてる美をすっぽりと覆う冷たい影は心地良かった。
 ここが天空ルームということは、帰るときにはどうすればいいのだろう。そもそもどうやって連れてこられたのか。ダークコアの力を使えば移動は簡単だけれど、彼女の前で使える力ではない。服の上から、デッキを持っていることだけを確認する。取られていない、ほっと息を吐く。てる美がバディファイターであることは、バレてしまっても大丈夫だろうか。キョウヤはどうして欲しいと思っているのだろうか。鈴羽は、未門牙王を気に入っていると聞いたことがある。ならば天野鈴鈴羽はディザスターの敵になるのだろう。天野鈴鈴羽は朽縄てる美の敵ということだ。 ――本当に?
 どうやら鈴羽は、てる美がイメージするお嬢さま通り自分で何かをするというよりもメイドや執事を動かして事を進める女の子だった。自分で何もできない、それはてる美にとって軽蔑に値することだったが、鈴羽ならばそれも当然だろうという気がしてしまう。気前がいいのか、単に有り余っている富を持て余しているのか、尽くす体質なのか。鈴羽はずっとてる美の傍にいて具合はどうか、欲しいものはあるか、あれはいかがこれはいかがとお茶やお菓子を差し出してくる。その度、てる美は首を振って全てを辞退した。怪我の具合を聞かれたときだけ、「大丈夫」と口を利いた。しつこいと、怒鳴ってしまいたかった。あまりに明け透けな厚意だった。何て恐ろしいのだろう、てる美は怯えた。けれどここで拒絶したら、鈴羽は親切を無碍にされたことを怒るだろうかと想像して、上手くいかなかった。どちらかといえば、悲しむような気がする。てる美はそちらの方がいやだと思った。怒っているなら、呷ればいい。頼んでいないと拒絶して、放り出してくれて構わない。しかし悲しませてしまったら、てる美は謝らなくてはいけない気がしてしまうだろう。純粋なものを悲しませるのは、邪なことだ。てる美は今、邪である自分を鼓舞する元気は残っていない。鈴羽の傍にいると、そんな元気がどんどん吸い取られて、別の気体になってまたてる美の中に入り込んでくるような、ぞっとするような、心地良いような奇妙な感じがした。
 「ご自宅はどちら?」と聞かれて、反射的に――思い浮かんだディザスターパレスへは、まだ帰れないし帰りたくなかった――俯いてしまう。それをどう受け取ったのか、鈴羽はやはり深く問い質すことはせず「親御さんに心配をかけないよう、連絡だけはお願いしますね」と言い残して、今日はこの部屋に泊まればいいと言い残し、その為の指示を出してくるので失礼と部屋を出て行った。静かに扉が閉まった途端、瞼を開けてからずっと豪奢だと思っていた部屋の華やかさが、褪せてしまったような気がした。
 この部屋は居心地が悪い。鈴羽の傍は落ち着かない。けれど、ディザスターパレスも、キョウヤの傍も、どれほどてる美に居心地の良さを与えてくれただろうと振り返っても、何も思い出すことは出来なかった。それが怖くて、背信行為に思えて、てる美は自分の身体をキツク抱き締めた。てる美はひとりぼっちになってしまった。或いは、最初から。

◆◇◆

 どうしよう。てる美の頭の中は最近この一語で埋め尽くされている。彼女はもう、鈴羽の天空ルームに三日泊まり込んでいた。鈴羽はてる美の内情を尋ねないまま――執事たちは調べているのかもしれないが――嫌な顔一つせずにてる美をもてなし続けている。

「あら、あなたバディファイトをなさるのですか?」
「――え、」
「カード、落ちてますわ」
「あっ、わっ、えっと」
「うふふ、嫌ですわ、そんなに慌てて」

 鈴羽の指摘に、ダークコアデッキケースを見られたのかと思った。慌てて周囲を確認すると、ベッドの上に一枚、鈴羽がいないときに眺めていたカードが落ちていた。最後まで、手にして眺めていたせいで仕舞い忘れていたらしい。バディファイトをすることを、意図的に隠していたと思われただろうかと、てる美は鈴羽の顔色を窺う。彼女がバディファイトをすることは、相棒学園の生徒であれば知っているはずだったし――何よりてる美は初日に天空ルームの件で鈴羽に対し一方的な認知があることを匂わせてしまっていたので――、けれどファイトをする友達でもないのに実はデッキを持ってるんですと会話を展開するのも妙な流れのように思えた。
 ――そもそも、友だちとファイトしたことなんてないし。
 バディファイトを始めたばかりの頃は、きっと友だちとか、もしかしたら初対面の、バディファイトをしているというだけの理由で親しみを覚えた誰かとファイトしたことがあるのかもしれない。けれどそんな思い出はもうてる美の中には残っていない。思い出すのは、あの日黒岳テツヤの歌とダンスにイラついて吹っかけた勝負で彼を任したこと。如月斬夜と、何度も場のモンスターを一掃されてピンチに陥りながらそれでもテツヤが楽しそうにファイトしていたこと。

「? どうかなさいまして?」
「……貴方は――、バディファイト、楽しいと思う?」
「え?」
「バディファイトをしていて、貴方は、楽しい?」

 何を聞いているのだろう。てる美は自嘲する。楽しいに決まっている。何でも持っているお嬢さま。彼女の世界はきっと楽しい、生きているのが、毎日楽しくてしかないに決まっている。

「勿論ですわ」

 ほらね、思った通り。てる美の心に意地悪な冷たい影が這い寄ってきて、この数日で彼女の中に入り込んで積み重なり始めていた温かい、優しさを嬉しいと受け取って来た、そういった感情を犯し始める。だがその影は、直ぐに動きを止める。鈴羽が真っ直ぐにてる美の瞳を見て、もう一度「勿論ですわ」と繰り返したから。ぎくり、身体が硬直する。

「わたくしのファイトはわたくしのもの。けれど、観客の皆様のものでもあるのです」
「え?」
「わたくしのバディをご存じ?」
「……世界の中心、メアリー・スー」
「そう、彼女に起こせない奇跡はない……」

 鈴羽はてる美の前でメアリー・スーを見せたことはこの三日間で一度もなかった。カードには戻していないらしく、彼女の私室で待っているようだった。
 世界の中心、その頂く冠は、バディ共々鈴羽によく似合っていた。世界は彼女たちの為にある。奇跡すらも、跪かせるのだ。

「けれど奇跡は、それを奇跡と認める相手がいなくては、そう呼べないのではないかしら」
「………」
「ファイトの相手に、わたくしのファイトを見ていてくださる皆様に、最高の奇跡をお見せする――」
「相手……、みんな……」
「それがわたくしのバディファイトなのです」
「貴方の、バディファイト……」
「わたくしも、相手も、見ている方々も楽しいファイトができたら、素敵だと思いません?」
「私は――!」

 私には、そんなファイトはきっとできない。貴方とは私は違い過ぎる。どうして、見ず知らずの他人のことなんて考えられるの?
 どれも言葉にしたところで、鈴羽には関係のない話だ。てる美のファイトを、彼女は知らないのだから。

「……わからない、そんな楽しいファイトなんて、したことないから」

 布団を握り絞めて、脳裏にはテツヤとのファイトを思い描いていた。楽しかっただろうと聞かれて、否定できなかったことを。あれは、楽しかったファイトなのかもしれない。けれど今のてる美の現状を顧みれば同時に許されないファイトだったのだ。それが、てる美の答えのはずだったのに。けれどそれすれも見失って、てる美はこんな場違いな空の上で俯いている。

「でしたら、ここでわたくしとファイトいたしましょう」
「え?」
「怪我しているとはいえ、じっとばかりしているのも良くないのですよ。頭を使うのもいい運動です」
「ちょ、ちょっと待つだわさ!」
「ずっと思っておりましたけど、貴方、時々口調が変わりますわね」
「そんなことはどうでもいいだわさ! 私はファイトなんて――」
「あら、ちょっと待っていてくださいねメアリー・スーを呼んできますから」
「話を聞くだわさ!!」

 しかしてる美の叫びも虚しく、鈴羽は部屋を出て行ってしまう。引き留めようと伸ばした手が、虚しく取り残される。鈴羽に見つかったカードにのろのろと視線を落とす。ゴルゴン3姉妹メデューサ、てる美のバディ。彼女に、こんな所在ない、情けない姿を見せる日が来るなんて、力を手に入れた頃は思いもしなかった。語りかける言葉は、見つからなかった。
 ダークコアデッキから、カードだけを全部取り出す。これでもし、鈴羽に押し切られてファイトすることになっても面倒な事態は最低限で済むはずだ。
 ――面倒なら、さっさと出て行けばいいのに。
 わかっているけれど、何処へ行けばいいのかわからないてる美は動き出すことが出来ない。踏み出せない。失くしてしまった髪留めの代わりはつけていないので、視界は相変わらず落ち着かない。鈴羽は何か髪留めを貸そうかと申し出てくれたけれど、きっとてる美が気後れせずに身に着けられるようなものは出てこない気がして断ってしまった。受け取る厚意と、受け取らない厚意を選別していることが、図々しいとてる美の心を圧迫している。鈴羽の傍は時々とても苦しくて、温かくて、優しくて、てる美はどうしようもなく泣きたくなってしまう。
 結局、デッキを持って戻ってきた鈴羽にてる美は何度もバディファイトに付き合わされた。勝敗は、初めは鈴羽に押されていたのだが段々とてる美も本気になってしまい、最後はおおよそ五分で打ち切りとなった。

「なかなかやりますわね!」
「ふふん、当然だわさ!」

 ファイト中のやり取りを思い出しては、てる美の内側には楽しさのような、清々しさのような判然とし難い気持ちと、そんなことを感じていていいのかという不安が混じり合っていた。
 もうてる美には自分の気持ちも何もかもがわからなくなっていて、けれどたった一つ、鈴羽が善良な人間であることだけはもう疑う余地のないことだと、認めざるを得なかった。

◆◇◆

 てる美と連絡が取れなくなった。唯一いると思って探しに出向いた場所には彼女はいなかった。それから、ディザスターパレスに戻りキョウヤの傍に控えているソフィアの心の中は凪いだ海のように静かで、しかし時折激しい嵐に見舞われて轟々と荒れる。一度だけ、いつものようにオルガンを弾いていたキョウヤにてる美のことを「どうしますか?」と指示を仰いだ。彼はオルガンから目を放すこともせず――当然、演奏の手を止めることもしなかった――、「放っておけばいいよ」と穏やかに言い放った。その答えを聞いて、ソフィアはしくじったと気付く。
 キョウヤが他人の為に動くはずがないのだ。彼は今、欲しがっていた駒を手に入れて機嫌がいい。ひとつ欠けたくらいで不機嫌にはならないし、困らない。そしてキョウヤが放っておけばいいと言った以上、ソフィアもまた下手に動くことは許されなかった。
 キョウヤから視線を逸らす。眼下の石のテーブルと椅子には誰も座っていなかった。そう、誰も――。

◆◇◆

 鈴羽からの提案は、てる美の頭を殴るよりも激しい衝撃を彼女に与えていた。バディファイトを通じて――てる美はあくまで誤算だと言い張りたかったのだが――、二人は大分打ち解けてしまっていた。だからてる美は少し気が緩んでいたのかもしれない。

「もし怪我の具合がよろしかったら、わたくしと一緒に臥炎カップに出場しませんこと?」

 臥炎カップ。その単語は、てる美が此処に、本来彼女がいるべきはずだった場所から放り出された出発点だ。てる美はまだ、ディザスターの一員として臥炎カップに出るはずだと心の片隅で信じている。当然、この誘いは断らなければならない。そう思うのに、どう言葉を選べば、鈴羽を傷付けずに済むだろうと余計なオプションを付けようとしているから、すらすらと断り文句が出てこなかった。代わりに、最低でもあと一人、誰とチームを組むつもりなのかと尋ねていた。出会った日と同じ、先に言葉を積み重ねてしまえば、都合の悪いことを発言するまでの時間稼ぎが出来るかというように。
 そしてこの質問によって、てる美はもう一人の眩しい――鈴羽ほどではない、けれど彼女よりも軽やかで、そよ風のような爽やかさを纏った――少女と巡り会わされた。

「初めまして、私は富士宮風音! 風音って呼んでね、ええっと――てる美先輩!」

 先輩なんて無邪気に呼ばれたのは初めてで、むず痒かった。握手を求めて差し出された手に、どう反応すればいいのか躊躇った。けれどてる美には、風音もまた、傷付けて悲しませるにはあまりに綺麗に見えて先手を打たれてしまってはもう彼女にはどうすることも出来ないのだ。

「……ん」

 よろしくとは言えなかった。だがてる美は、出来るだけそっと風音の手を握り返していた。嬉しそうに、もう片方の手もてる美の手の上に置いてぶんぶん振り回し風音は「よーっし、頑張ろうね!」と言った。
 恐らく臥炎カップのことで、てる美はまだそれに出るとは言っていないと訂正をするよりも先に、ずっと二人のやり取りを見守っていた鈴羽が「そういえば、わたくしとはよろしくと対面の挨拶をしませんでしたわね!」と割って入っててる美の手を取って握手などやり直すものだからまた話の腰が折られてしまった。

「私、中等部の先輩とファイトしたこと殆どなくて! てる美先輩、ファイトしましょ!」

 風音が、既にコアガジェットに変形させたデッキケースを抱えて、瞳を輝かせて訴えてくる。仰け反り気味に「う……」と苦々しい気持ちを表しても、きっと通じない。だからてる美は、仕方ないと肩を竦めて「コアガジェットは今持ってないから、普通のファイトね」とだけ、風音に落ち着きを求めた。
 それからまた、風音とも鈴羽とも何度もバディファイトをした。その度に、てる美は悔しがったり、笑ったりしていたように思う。風音のファイトも、鈴羽と同じ自分も、相手も、見ている人間も楽しませたい、そんな賑々しくて、明るくて、優しいものだった。自分とは違う。またしてもそう思うのに、やはりてる美は、鈴羽のことも風音のことも違うとは断じても嫌いだとは思わない。そのことを、彼女自身がはっきりと自覚してしまっていた。
 帰り道を探して迷い込んだ邸は、どこまでも煌々と明るくて。まるでいつまでもここにいればいいよとてる美を惑わすように、その明かりを以てしても彼女の帰り道を照らしてはくれなかった。

◆◇◆

 ぐしゃり。ソフィアの手の中で、一枚の紙が握り潰される。わざわざデータをプリントアウトしてソフィアに渡されたそれには、臥炎カップの招待状を受け取った出場者から報告されたチームメンバーの名前が印刷されていた。その中の、天野鈴鈴羽のチームメイトとして表記された名前に、ソフィアは驚愕と――激しい怒りを覚えた。彼女の、涼しげな相貌が激しく感情的に歪んだ一瞬を、呼び出したキョウヤは面白そうに足を組んで眺めていた。まるで他人事だと言わんばかりに。

「思ったより、複雑なことになってしまったみたいだね」
「――祠堂……!」
「ソフィア、くれぐれもこれ以上の厄介事を臥炎カップ前に起こさないでね」
「…………дa」

 怒りの矛先は、祠堂に向けるのが正確だと――複雑な事態を招いたのは、彼の軽率な行動だという確信がソフィアにはあったし、キョウヤもそれを知っていて、内心で肯定している――思った。けれど言葉をぼやかしながらも暗に何もするなと命令するキョウヤに、ソフィアはかろうじて怒りという激情を抑え込み、いつもの無表情へと表面上は落ち着きを取り戻す。それを見て、キョウヤは満足そうに微笑み、ポケットに手を突っ込んだまま立ち上がる。ソフィアとは反対に、どうしてか彼の機嫌はいいようだ。

「それじゃ、このことを教えてあげたかっただけなんだ」
「……」
「君の好きにしていいよ。当日が来ればね」
「――いいえ。全てはキョウヤ様の思し召しのまま」
「うん、ありがとう」

 白々しい礼だ。キョウヤはソフィアに背を向けて去っていく。残されたソフィアは、握りしめた紙を、ぐしゃぐしゃに丸めてから捨てた。それから、拾ってからずっと持っていた、あの日相棒学園の地下洞窟で拾ったてる美の髪留めも捨ててしまおうと取り出す。けれど瞬間、抑え込んでいた怒りがまた湧き上がって来て、ソフィアはその髪留めから手を離し、落下したそれが地面にぶつかるのと同時に踏みつけて、粉々に壊してしまった。それでも、気分は一向に晴れない。晴れるわけがない。

「――絶対に、許さない」

 それは、ソフィアの前から消えてしまった魔女へ向けた呪いの言葉か。人間を厭い、人里を離れていた魔女を誑かした純粋無垢なお姫さまへ向けた憎悪の言葉か。
 ただ身を焼き焦がさんばかりの激情がほとばしるのを、ソフィアはただ身を任せて感じていた。
 絶対に許さない。この怒りが消えるまで、絶対に。
 ソフィアも、先程キョウヤが出て行った方へと歩を進める。ブーツのヒールが床にぶつかって音を立てる。カツーン、カツーンという高い音、それが今、どこか不吉を運ぶ者のようにソフィアを不気味に揺らめかせていた。彼女が去った部屋、その床には、踏み砕かれた髪留めが、寂しく取り残されていた。




―――――――――――

世界絶命を鮮やかに告げる声は遠い
Title by『√A』
20111123



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