「ポッキーって何ですの?」

 扇子で口元を傾げながら小首を傾げる鈴羽は、物を知らない純粋な子どもの様で可愛らしい。くぐるは、年上の彼女に失礼だとは思いながらもそう思った。割とメジャーな菓子だと思っていたのだが、世界に名立たる大企業、天野鈴コンツェルンの一人娘でどこか浮世離れしている鈴羽は見たことも聞いたこともないようだ。
 ふと、両手で背中に隠し持った赤い菓子の箱を鈴羽の前に差し出すことが躊躇われた。彼女のことだから、きっと毎日名のあるパティシエが作ったスイーツなどをお茶の時間や食後のデザートに口にしているに違いない。ABCカップの前夜祭、鈴羽が提供した巨大なケーキを思い出す。くぐるもカード会社の社長令嬢として、富豪の類に名を連ねる家の娘ではあるけれど、それでもやはり天野鈴とはその規模は比べようがなく格が違う。牙王はくぐるの家に始めてやって来たとき驚いていたけれど、鈴羽の天空ルームを目にした時の比ではなかったろう。価値観にしたって、くぐると鈴羽を比べれば後者の方がどこまでも温室で純粋に育てられた花だ。常に執事やメイドを引き連れるような仰々しさは、くぐるの周囲では一度たりとも起こりえない非日常の類だ。
 ――相棒学園の購買とか、行ったことないんだろうなあ。
 もしかしたら、自分の手からお金を払って目の前で商品を購入したこともないのかもしれない。鈴羽のお財布なんて、あるのだろうか。相棒学園の購買で、くぐるが自分のお財布からお小遣いを削って購入したポッキーは、鈴羽からすれば物珍しさはあるかもしれないけれど、どこか価値のない、安っぽいもののように思われてしまうのではないか。
 ――それを差し出した私も……?
 どうしてだろう。くぐるは怖くなる。綺麗な場所で育ってきた鈴羽は、綺麗なものばかりその瞳に映している。彼女にとって素敵なものばかり。恐らくそれは、鈴羽自身の価値観で、社会的価値を考慮してのものではないだろう(どうやら鈴羽は牙王を気に入ってやたらと好意的な助力を申し出てくれていることからして)。だからもしも、鈴羽の瞳にくぐるがつまらないものとして映るとしたら、それはもう絶望的なまでの、二人の間に横たわる溝になってしまうに違いなかった。

「ええっとお、お菓子です」
「ふうん、貴女は食べたことがおありなんですの?」
「あ、はい! 美味しいですよ! そおの、鈴羽お嬢さまのお口には合わないかもしれませんけど……」

 言葉尻がどんどん自信のなさでか細くなっていく。言い出してから、余計な言葉だったと気付いた。これでは鈴羽の顔色を窺っているみたいで卑しい。くぐるはそんな汚い言葉を、生まれて初めて自分に向けて抱いた。それがショックで、つい俯いてしまう。もうこれ以上二人きりで話して墓穴を掘る前に、牙王や爆、鈴羽の従者たちが割り込んできてくれればいいのに。願ったけれど、そうタイミングよく誰かが駆けつけてくれるはずがない。
 中等部の屋上から、バディスキルでひとりで可憐に降り立った鈴羽は珍しくひとりで、購買からの帰り道で偶然通りかかったくぐるに「あら、」と嬉しそうな笑みを向けた。その邪気のなさに、くぐるは人間としての清らかさを見て、寄越される挨拶と伸びた背筋に礼節の美しさを知る。胸に広がる気恥ずかしさは、圧倒的な他者に感じる気後れとは違うもっと温かい感情だったということを、そのときのくぐるははっきりと理解することが出来なかった。
 ――珍しいですわね、ひとりでいるなんて……。
 鈴羽お嬢さまも、とは馴れ馴れしい気がして言えなかった。
 ――そう、購買の帰り……。お店ですわよね、何かお買いになったの?
 その時に、無難にお菓子を買いましたとまとめていればよかったのだ。ついポッキーを買いましたと商品名で答えてしまったから、それが何だか知らない鈴羽は当然くぐるにそれは何だと問い返して来たのだ。予想外に続いてしまった会話は、予想外に難しい。

「――貴女は?」
「え?」
「貴女はその――ポッキーというお菓子、お好きなのですか?」
「あ、はい! 好きです!」
「でしたら美味しいのでしょうね。私は食べたことはございませんけど――」
「……どうしてですか?」
「どうしてと言われましても……ううん、どうしてでしょう。難しいですわね……」

 ううん、と眉を吊り上げて、鈴羽は唸りながら自分でも咄嗟に根拠のないことを言ってしまったらしい。口元に扇子を当てたまま悩み続ける鈴羽が、くぐるにはさっきまで一対一で向き合うことに委縮していた相手とは思えないほど近しい同性として映った。自然と笑みが浮かんでくることが自分でもわかる。けれど笑うのは失礼だとか、あの天野鈴コンツェルンの一人娘の前なのだからとかそんな理由でその笑みを引っ込めようとももう思わなかった。
 だって鈴羽は、くぐるのことをきちんと一人の人間として認識してくれているらしいから。あまり話したことはなくても、牙王のチームのライブラリーという印象から始まっていたとしても。そうだ、鈴羽は自分からくぐるを呼び止めたのだ。それだけで、くぐるは嬉しくなってくる。

「あの、鈴羽お嬢さま」
「はい?」
「私、今丁度ポッキー持ってるんです。 ――だから、よろしかったら美味しいかどうか、ここで食べて確かめてみませんか?」
「――まあ!」

 背に隠していた赤い箱を、両手で顔の前に掲げる。ちょっとだけ恥ずかしい。断られたら怖い。だけど私は――。くぐるがこれ以上言葉を重ねるよりも先に、鈴羽が手にしていた扇子をパチンと閉じて「それは素敵!」と花が咲くような笑顔を向けてくれたから、胸がいっぱいになってしまって何も言えなくなってしまう。
 ――私、鈴羽お嬢さまと仲良くなりたかったんだ……。
 今更気付くなんて。そうはにかむくぐるの背後にこそ花が舞っていそうな幸福感が滲み出ていたけれど、それには二人とも気付かなかった。

「――でも立ったまま頂くなんてお行儀が悪くないかしら?」
「それを言うなら、鈴羽お嬢さま、たこ焼きだって立ったままお外で食べてましたよ?」
「あらうっかり!」

 じゃれ合うように肩を寄せて、一つのお菓子を分け合うくぐると鈴羽の二人は、遠巻きに眺めれば紛うことなくただの友だち同士に見えたことだろう。
 ――ポッキーゲームとか教えたら、鈴羽お嬢さまびっくりするかな?
 そんなことを考えるくぐるは、鈴羽に向ける親愛と一抹の憧れ、彼女の内側にある温かい感情の全てを浮かべて優しい表情を浮かべながら、鈴羽が興味深そうにポッキーを咀嚼する姿を「やっぱりとっても可愛らしい」と見つめていた。



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しあわせを食べる
Title by『魔女』

20141108



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