※ディザスター解散後捏造





 目を覚ますと、お腹の辺りが温かかった。肩には用意した覚えのないブランケットが掛けられていて、ソファで休んでいる内にうっかり寝入ってしまったのだと気付く。身体を起こそうとして、上手くいかなかった。下肢が動かない。ソファに横になったまま、視線をそちらへ向ける。ぼんやりと働かない頭で予想はしていた。纏わりついているこの熱が、ひと肌であることを。
 朽縄てる美は、彼女の腰に腕を回してお腹にぴったりと頭をくっつけて眠っている黒岳テツヤに呆れの溜息を吐いて、それから――あくまで呆れが先立つことを自身に確認してから――ブランケットの礼のつもりで被ったままの帽子の上から彼の頭をそっと撫でた。
 ひとり暮らしをしている異性の部屋に平気な顔で上り込んで来られるのは子どもの証。てる美はそう思っていて、その点に関しては彼女のバディであるメデューサも、テツヤのバディであるアスモダイも同じように考えていた。ただ彼女たち――てる美とメデューサ、彼女は自身とバディを二人きりで括ることが好きだ。関係が完結している。簡単で、とても平穏だ――とアスモダイの認識の違いと言えば、テツヤがどれだけ子どもであってもてる美を慕う気持ちは一端の人間が他者に向ける恋であると認めているか否かという点だった。てる美たちは勿論認めていない。そうでなければ、こんな風に自分にしがみついて眠っているテツヤの頭を撫でたりしない。引っ叩いて、即座に部屋から放り出している。
 テツヤの歌とダンスは苛々する。初対面から、てる美にとって彼は天敵のような存在だった。見ている者たちを楽しくする、テツヤが持つ一種の才能のような現象は、他者とは違うとキョウヤによって与えられた特別を拠り所にしてきたてる美には受け付けられなかった。メデューサは、きっとてる美がそう言うのだからという理由だけで立場を決めている。彼女には本当の所は問題ではないのだ。てる美に不用意に近付こうとしている不届き者。その者にてる美は特別な好意を寄せているわけではない。この二つが直線で結ばれてさえいれば、メデューサはいつだってテツヤをその弓で射る準備が出来ている。

「魔界の王の妻は不満か?」

 いつだったか、アスモダイの言葉にてる美は肩を竦めて返事をしなかった。異世界と繋がったカードゲームが当たり前に広まった世界で、メデューサというバディモンスターを傍に置いているてる美に言わせても、その言葉はファンタジーに過ぎた。

「あれが王になる姿なんて、想像つかないだわさ」

 テツヤを嘲ったわけではない。魔王アスモダイがそこまで入れ込む人間、見ている者を魅了する歌とダンス、弱くとも周囲を沸かせるバディファイター、連れていけるものだろうか。寧ろアスモダイの方がずっと人間染みた考え方に染まっているのではないか。そう思ったから、笑っておいた。
 ――おれは先輩のこと好きだYO。
 初めてテツヤにこう告げられたときも、てる美は笑って取り合わなかった。力ない笑みで、ただ「そう」とだけ答えて、聞こえていることだけを伝えた。嬉しいことなのだろう。恋でないにしろ、自分たちの出会いを振り返ればこんなにも素直に「好き」という言葉を貰えるのは。けれどだからこそ、他に返しようのない、それだけのこととしてテツヤの言葉はてる美の耳をすり抜けて行った。
 時計を確認すると、夕方の六時を過ぎていた。テツヤを家に帰らせるなら早い方がいいだろう。そう思うのに、上体を起こす動きが、彼の眠りを妨げないようぎこちなくなってしまうのは何故だろう。
 もう必要ないブランケットをテツヤに掛けてやりたかったけれど、てる美の身体に掛けられたそれの上からしがみついているテツヤの所為でそれはできなかった。
 アスモダイは何をしているのだろう。ふと彼のバディのことを思い出した。迎えに来ればいいのに。或いは起こしに出てくればいいのに。それとも、テレビだかラジオの収録が被っているのか。てる美はテレビもラジオも殆ど見ないし聞かないので、人気ぶりは耳に入って来ても実際の活躍を確認したことはない。テツヤは時々、てる美に自慢のバディの活躍を見て欲しそうにしている。明確に拒否する理由があるわけではない。けれどわざわざ彼の願い事だと意識して行動することは憚られる。期待させてしまったらと思うと、何もする気になれない。てる美にとって期待とは裏切られるものだ。その可能性を捨てきれないもの。絶対的に信じきれるものは、この広い世界中を探したってきっと数えるほどしかないだろう。その内のひとつを、てる美はもう通り過ぎてしまった。
 何故ここにいるのだろう。テツヤも、自分も。時々てる美は不思議で仕方ない。世界を救う力だと、教え諭され縋った力を手放してから、てる美はずっとこの部屋にいる。この部屋と、学校、時々バディポリスに出掛けてカウンセリング――嘗てディザスターに属していた子どもたちの経過観察として行われているそれは、今も連絡が取れる何人かの間では尋問しているつもりのお喋り会と称されて嫌われている――を受けて、あとは日用に必要なものを買いに商店街に出掛ける程度。ぐるぐるとまわるだけの行動範囲を歪めるような友だちは、てる美にはいなかった。それは昔からなので、気にすることではなかった。ただ力を手にする以前に戻っただけと考えるには、この部屋には余計なものが増えていて、それが黒岳テツヤだった。
 テツヤが初めてここに訪ねてきた日を、てる美はもう覚えていない。どんな流れて部屋に上げたのかも、彼がどんな風に玄関で靴を脱ぐかも、出迎えも見送りもしない彼女にわかるはずもない。ただ頻繁に、テツヤはこの部屋に現れる。勝手に扉を開けて上り込み、ずるずると無為に時間を過ごし、陽が傾き電気を点けなければならなくなった頃に時計を見上げ、別れの挨拶を残して帰って行く。
 ここがテツヤにとって通過点なら、どれだけ気が楽だろう。てる美はただ知らん顔をしていればいいのだ。いつでも見送ってやれるように。それが当たり前だという風に。それは期待しているのではなく、そうあるべきことだと初めから知っていることとして、事実として在らねばならない。好きだなんて言葉は、要らなかったのだ。

「――起きなさい」
「ん〜?」
「起きて。帰りなさい。早く」

 一言ずつ、はっきりと告げる。けれど命令ではない。てる美の言葉を理由に、テツヤが行動を決める必要はないのだから。
 寝起きにぐずる子どものように、テツヤはてる美が発した「起きて」の語に抵抗するかのようにしがみつく腕に力を込めた。腹に彼の頭が押し付けられて、ちょっとだけ息苦しくなる。
 帰りなさい、早く。
 もう一度、言う。今度は、のろのろとではあったけれどテツヤの瞼も持ち上がる。変にてる美にしがみついていたから、右側の髪だけ押し潰されて痕が付いている。けれど外は夕方だし、薄暗い。家に帰るまで、いかにも寝癖をつけたままで出歩いている子どもという目でわざわざ見られはしないだろう。些細な心配事だと、そんなことは問題ではないとわかっている。大事なのはその心配が有効になる場所へ、さっさとテツヤを放り出すことだ。顔を上げた拍子にしがみついていた腕が緩んで、てる美はその腕をそっと引き剥がした。

「おはようだYO〜」
「時間はもうこんばんはだけど」
「おれ、寝ちゃってた?」
「ぐっすり」
「先輩の寝顔見てたら眠くなってきちゃって――」
「理由はいい。もう外も暗くなってきてるから、帰りなさい」
「む〜」

 もっと話を聞いてくれたっていいのに。テツヤの表情がそう言っている。てる美は、聞いたって仕方がないと、もう彼の前で何度してみせたかわからない肩を竦める仕草で、あくまで聞こえてはいるけれどという態度を取る。
 どれだけ不満に思っても、テツヤには帰る家がある。優しい家族がいる。正確に進む秒針を持つ時計がこの部屋に置いてある限り、彼は必ず腰を上げて、自分の足でここから出て行く。てる美の、最低限の望みどおりに通り過ぎていく。

「うわあ、メール……」

 どうやらテツヤのスマホには、家族からのメールが来ていたようだ。返信を、口に出しながら打ち込むせいで返信内容どころか受信内容まで大方察せてしまう。
 ――いつ帰って来るの?
 家族からのメールだ。
 ――今から帰るよ。
 返信は簡潔に。送信したのならば、実行するのだろう。

「それじゃあ先輩、お邪魔しましただYO!」
「…………」
「また来るから、次はアスモダイも誘ってくるYO」
「――勘弁して」

 声を聞いたくらいで、そんな嬉しそうな顔も止めて欲しい。言わないけれど。ひとりが相応しいこの部屋で、誰かがいることを当然にして会話するなんて、振る舞うなんて、恐ろしいことだから。通り過ぎていくだけの人を、もうてる美は拠り所にできない。
 ソファから腰は上げない。靴下で歩くテツヤの足音はとても小さく聞こえない。玄関に向かって歩き出す彼は、途中ちらちらとてる美の方を振り返る。手でも振ってやればいいのだろうか。振らないけれど。見送りは、訪問を歓迎する最後の手段だから、絶対にしないと決めている。
 決めているけれど、今日は随分とテツヤの背中が小さく頼りなく思えて、意思が躊躇して衝動に押される。迷わずに、背筋を伸ばして、出て行って欲しかった。或いは、浅ましい願いを抱いていたのだろうか。期待しないと決めたその胸に、通り過ぎる場所を迷わないことを。ここ以外を知らないてる美は、テツヤに同じ範囲を望んではいけないと、わかっているのに。

「――ブランケット、ありがとね」

 聞こえなくても構わない。そう思うときは、聞こえるように声を発しているのであって、実際聞こえなかったら落胆するに決まっているのだ。
 だから、滅多に聞かれないてる美からの感謝の言葉にテツヤが驚いて振り向こうとしたこと、慌てるあまりフローリングで滑って派手な音を立てて尻もちをついたこと、痛がりながらもてる美の方を見る彼がいたこと、それらは全て彼女の満足の行くものだった。
 そしててる美は、「どういたしましてだYO!」と言いながら、折角帰ろうとしていたテツヤが調子に乗って自分の方へ戻って来てしまうこともわかっていた。ソファに座ったまま、泰然と振る舞いながら、また肩を竦めた。
 わかっている。何もかも。この部屋を通り過ぎて行くこと、それが二人の別れとイコールではないことなど、とっくの昔、もう忘れてしまった、テツヤをここへ入れてしまったときからきっと。
 駆け寄ってきたテツヤに、てる美は初めて手を伸ばした。連れ出される先はどこでもよくて、たぶん、魔界でも。
 ――とんでもないことだわ!
 浮かんできた憤慨の言葉は、きっとてる美のバディの心からの声なのだろう。バディだから、言いたいことが簡単に通じる。
 ――とんでもないこと!
 それはなんて素敵な言葉だろうね? てる美の問いかけに返事はない。代わりに、今度は腹ではなく首に腕を回して抱き着いて来たテツヤのはしゃいだ声が耳元で響いていた。


―――――――――――

そして、君は尊い
Title by『3gramme.』

■てる美ちゃんはキレてないときはあまり「だわさ」言わないのではという妄想


20141101




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