付き合ってはいないにしろ、両親に愛されて育っている女の子の自宅にその両人がいない間に自宅に上り込むということは、ヒロの良心をなるの自宅を視界に収めてからというもの絶えず責め続けている。

「ヒロさんは真面目ですね!」

 なるの物言いはヒロにとって意外なものであったけれど、彼女のことだからヒロが感じたような意図は――年頃の女の子が両親の不在時に男を家に連れ込むことを何とも思っていないような、そこから派生する印象といった意味合い――決してないのだろう。実際、なるはそのあとすぐに両親にはきちんとヒロが来ることを朝一緒に朝食を食べた際に伝えていると教えてくれたし、速水ヒロについて彼女が知り得る限りのことを包み隠さずに食卓の会話の華として打ち明けているとも言った。
 みんなにもよく言われるんですけど、となるはよく前置きをする。この時なるが思い描いているみんなというのはヒロも知っている人物だけである。あん、いと、べる、おとは、わかな。時々コウジやヒロだったり、プリズムストーンのオーナーやその他の人が一抹含まれているが、ヒロの想像できない顔が想定されていることはない。ヒロが知らない相手の話をするときは、なるは出来るだけ説明を丁寧に、異世界の話をしているわけではないのだと言葉を増やす。ヒロはそれを悪いかどうかは考えることをせずに、せめてもの誠意として同じくらい丁寧に相槌を打つ。

「みんなにもよく言われるんですけど、私と私の両親はそっくりなんですって」
「どっちも?」
「はい! ええっと、そっくりというか、同じとか似てるとか、それは勿論あるんですけど、とりあえずみんな『ああなるの親だな』って思うらしいんです」
「――ああ、なんかわかるかもしれない」
「あれ? ヒロさん、私のお父さんとお母さん、知ってましたっけ?」
「いや、みんなの感覚の話の方」
「そうですか?」

 仲睦まじい家族だと聞いている。なると接していれば聞かずとも想像に及ぶだろう。彼女のショーや大会があればまめに応援に来ているし、姿を見かけたことはあるかもしれない。けれどできるだけ意識に留めないようにしてきた。それはなるの両親という固有性は関係なく、幸せな家族像を凝視することが苦手だった頃の話だから。今ならば、遠巻きにしっかりと彼女の家族の姿を眺めるだろう。あわよくば話し掛けようとすらするだろう。ヒロの環境の変化は勿論、なるに対する感情の変化も相俟って彼はいつだって彼女の間合いを測ろうとしてしまう。日頃気安く大らかな人間に近付きたいと思うこと、またそれを実践することは思っていた以上に神経を使う。ある程度ガードの硬い人間の方がわかりやすいくらいだ。線引きが明確であれば、それだけ自分の立ち位置だってはっきりする。
 果たして自分はなるにとってどんな位置に置かれているのだろう。
 それが、目下ヒロの最大の関心事項であるのだけれど。二人きりで歩きながら、自宅に招待される年上の男と字面だけ見れば脈アリの気がしてならないのだが、なるからすれば年上の男という箇所は赤ペン二重線で『変なことをいうけれど優しいヒロさん』と訂正されるのだろう。そして速水ヒロという個人は、なるにとってそれだけで信頼に値するだけの仲を築いているらしい。それは恐らく、喜んでいいはずだ。親切と下心の区別がついてしまうヒロの目線に立ったとしても。

「――本当にお邪魔していいの?」
「はい! お呼ばれしてくれてありがとうございます!」
「うん」

 そう言われてしまうと尻込みも続かない。なるのとめどないお喋りの中から、彼女の部屋が整っていること、好き嫌いをなくすために頑張っていること、今日の髪型も朝に必死に寝癖をひとりで直した賜物だということ、歯磨きを楽しくするために最近は歯磨き粉を甘いものに変えてみたということ。様々な情報が入っている。ヒロは相槌を打ちながら、自分も同じようにとめどない言葉をなるに贈っている姿を想像する。
 これからなるの家に行ってくるとコウジとカヅキにメールしたら、わずか数分でいととあんから彼女の部屋にいきなり上がるなんて無粋な真似はするなと釘を刺されたこと。一度好きだと言われたからといって同じスイーツばかりお土産にしてはいけないとべるに教えられたこと。またなるの寝癖は非常に頑固であるから、時々後ろ毛が跳ねていても決して笑うなとこれまた彼女の家に泊まったことのあるべるに言われたこと。なるが色々と試している歯磨き粉はおとはがどこかから調達してくるメルヘンなものであるから、ヒロは余計なことを――具体的にどのようなことを指すのかは不明だが――しないほうが身のためだとわかなに茶化されたこと。屈託なく全て打ち明けられたらどれだけ気楽だろう。ヒロの周囲に、本人を不在にしてなるの気配ばかり漂わせる言葉が飛び交っていることを。

「うふふ、嬉しいなあ」
「ん?」
「ヒロさんが、私のお家に来てくれるなんて夢みたい!」
「それは――俺も、夢みたいだよ」
「何がですか?」
「なるちゃんに、お家にお呼ばれするなんて、夢みたいだ」
「……。夢じゃありませんよ?」
「うん、きっとそうだね」

 なるの歩調が微かに速まる。それでも、ヒロの歩幅からすれば大差ない範囲で、道路脇を真っ直ぐに歩こうとしない彼女は気を付けないと直ぐにヒロの隣から姿を消してしまう。子猫なんて飛び出して来たら、一目散に道を逸れてしまうだろう。なるの自宅を視界に収めてから既に結構な時間が経っている気がするが、一向に辿り着かないのは気の所為ではないはずだ。

「――なるちゃん」
「はい?」
「真っ直ぐ歩こう」
「真っ直ぐ」
「でないと、いつまでもなるちゃんの家に着かない」

 それはそれで、デート気分に浸れて悪い気はしないのだけれど。諭す笑顔は、なるを子ども扱いしたわけではなかったが、彼女にはお気に召さなかったのかもしれない。きょとんとヒロを見上げる顔は不機嫌を浮かべ、頬を膨らませたものに変わる。怖くない。全然怖くないのだ。
 ――しかし、だ。

「ヒロさんは、私と歩いてても、デート気分とか思わないんですね」

 実力行使だと言わんばかりになるがヒロの腕に両腕を絡めて、そうまで言うのならばと駆け出そうとした瞬間。ヒロは間違いなくなるに気圧されていたし、バカみたいに顔を赤くして、心臓を跳ねあがらせていた。状況の把握などできていないにも関わらず。
 それから、ヒロは戸惑いを隠さないままになるに尋ねていた。もう何度目かわからない質問だ。

「本当に、お邪魔していいの?」

 答えは、至近距離からのなるのとびきりの笑顔と――。

「勿論です! ちゃんと好きな人ができたからお家に呼んでもいい? って、言っておきましたから!」

 今度こそ脳の処理速度が追い付かないヒロの意識の片隅で鳴ったのは、彼の男としての理性の警報だったか、彼女の玄関へと続く門扉が開く音だったのか。
 付き合ってはいない、しかしどうやら自分を好いてくれているらしい想い人の家に上り込むということは、両親の在宅に関わらず覚悟して臨まなければならない事態だということをヒロは遅まきながら理解した。



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愛しくても平気よ
Title by『さよならの惑星』





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