※捏造・恋人


 ソファの上で膝を抱き込み小さく丸まった姿は、ただでさえ小柄な体躯をいっそう縮ませて映った。なるの自宅で夕飯をご馳走になり、せめてものお礼に食器洗いを申し出てから時間はそれほど過ぎていない。幸せな家庭の空気を充満させた台所に立つことに慣れていないヒロは、細心の注意を払って食器洗いを完遂した。二人分の食器はそれほど多くない。なるは最後までヒロの申し出をやんわりと断ろうとしていたし、譲歩として一緒に片付けようとしてくれていたがそれでは逆に時間がかかりそうだと判断したヒロは頑として自分の提案を下げなかった。結果、お客人に洗い物をさせるなんてと眉を下げるなるにリビングでテレビでも見て待っているように送りだし今に至る。
 なるの両親は、夫婦の記念日だとかで二人で昼から出掛けている。勿論、両親がいない暇を狙って女の子の家に上り込むなんてとんでもないことだと、彼等が出掛ける前にやってきて挨拶は済ませている。家庭環境も、その後の育った環境も手伝って、ヒロは一般的な両親の愛情の度合いというものを知らずに生きてきた。自分の母親が良き母とは呼べないことは成長するにつれわかってきても、感じ方など人それぞれで、余所の母親を分析するわけにもいかない。エーデルローズの寮に入ってから同年代の人間と肩を並べる機会が増えて、発表会の折など色々な家族の姿を遠まきに見つめながら、やはりヒロは家族というものをどこか自分とは関わりのない世界のものと感じていた。
 綾瀬なるの家庭はきっとありふれた幸せを体現していた。両親の愛と、その愛情を真っ直ぐに受け止める純粋さ。ヒロの元には降らなかった温もり。羨ましいと思ったわけではなく、ただあまりに違い過ぎると悲しくなるからそんなに無邪気に笑わないで欲しかった。けれどヒロは笑顔で自分に駆け寄ってくるなるのことが大切になって、好きだと自覚して、手に入れた。それから漸く気付いたのだ。この子はどうやら、純粋に過ぎる気があるのだと。そしてそれは間違いなく、この両親と家で生まれ育った結果なのだろうとも。

「なるちゃん? 眠い?」
「……眠くないです」

 なるの隣に腰を下ろす。テレビにはバラエティ番組が流れていて、中にはヒロが仕事で共演したことのある芸能人もちらほら映っていた。思わず眉間に皺を作ってしまっていた。ヒロはこうしたテレビ番組を娯楽としてそのまま楽しむことをしてこなかったので、笑う気にもなれなかった。プリズムショーを始めてからは猶更。眺めて楽しんでいる暇があるならば、早く自分が世間から注目されるスターにならなければと思ったものだ。
 テレビをつけたなるが画面を全く見ていなかったので、テーブルの上にあったリモコンで消してしまった。しん、と静まり返ったリビングが僅かに居心地の悪さを醸し出した。
 ころころと表情を変えるなるが好きだ。けれどもその素直さに怯むことがあるのも事実だった。例えば、こんな瞬間に。眠いのだろうと予想しても本人が違うと言えば、その態度は機嫌がよくないように見える。そんなにヒロに洗い物をされるのが嫌だったのだろうかと勘繰ってしまったり、もしかしたら夕食前に既に何かやらかしていたのかもしれないと瞬時に記憶を遡ってみても心当たりはない。あまり人の顔色を窺うのは得意ではない。得手不得手以前に、作り上げていた外面は無難な人付き合いを成立させてくれていた。飄々と微笑んでいれば良かった。けれどなるを相手にするとどうにも勝手が違う。本音で他人と付き合うというのは難しいことだとなるに打ち明けてみれば、きっと相手と常に本音で付き合ってきた彼女には通じないだろう。

「眠いなら寝ればいいよ。部屋、行く?」
「むー…」
「あ、あと洗い物はちゃんとやっておいたからね」
「ありがとうございま…す」
「やっぱり眠いんだよね?」
「眠くないんですってばー」

 丸まった身体を抱き寄せてみれば、あっさりヒロの胸に体重を預けてきた。眠くないと主張して、ヒロの疑いに頬を膨らませているのが腕の隙間から見えても説得力はないわけで。膝を抱えて体育座りの体勢でいる彼女の膝裏に腕を通して抱き上げると、なるはぎょっとして丸い瞳を大きく見開いた。眠気も吹っ飛んでしまっただろうかと歩き出すのを待ってみれば、またうとうととし始める。

「よっぽど眠いんだね?」
「……昨日、なかなか眠れなかったんです」
「どうして? 怖い話でも聞いた?」
「―――明日、ヒロさんと二人きりなんだなあって思ったらどきどきしちゃって、眠れなくて……いっぱい、お話ししたいことあるのに……」
「――――、」
「ヒロさん?」

 瞼をこするなるは、もう眠くないと片意地を張ることを諦めた。付き合い始めてから、ヒロを自宅に招いたことは何度かあるけれどもそのどれもが両親のいるときに一緒にダイニングでお茶を取りながら他愛ない会話に興じることが殆どだった。それが初めて両親のいない家に二人きりで過ごすという事実を、なるはらしくもなく意識してしまった。
 今まで二人きりで過ごしたことだってあるけれど、普段自分が何気なく暮らしている場所で、ヒロと自分しかいない光景を想像すると不思議な感じがしていた。けれど違和感を覚えるとか、異質な存在として彼を迎え入れているわけではなくて。ヒロが当たり前のように自分の隣にいてくれる存在になってくれたように思えて、そんな彼が自分を大切な女の子だと思ってくれていることが信じられないくらい素敵なことだと思えて。夜中、布団の中で煌々と瞳を輝かせていたらなかなか寝付くことができずにうつらうつらしている内に朝を迎えてしまったのだ。なるはあまり、夜更かしは得意ではない。小柄な体型がコンプレックスで、寝る子は育つと信じて睡眠時間はしっかり確保する子どもだった。それでも朝は苦手だったけれど。
 些細なことかもしれないけれど、実際にヒロがやって来て、なるの隣で出掛けて行く両親を見送って、リビングで話に花を咲かせて、なるの作ったご飯を褒めてくれて、使い終わったお皿を洗ってくれて。ヒロが相手でなければ、有り触れた一日にしかならないことばかりをソファに座りながら振り返っている内に眠りの浅瀬に浸かってしまっていた。

「ねえ、ヒロさん――」
「うん?」
「私たち、今日一日、この家に二人で暮らしているみたいでしたね」
「……なるちゃんは、」
「はい?」
「――いや、もう寝惚けてる?」
「寝惚けてませんよう!」

 またしても頬を膨らませて抗議してくるけれど、甘えるようにヒロの首に回された腕は明らかに寝惚けている。そうでなければ、こんな積極的なスキンシップは望めない。触れなくても、なるは充分ヒロを振り回す魅力を兼ね備えているから問題ない。振り回されるヒロの精神的余裕が削がれていくだけだ。
 腕の中の身体が温かい。抱き上げてからのなるの言葉を頭の中で反芻する。正直、なるが寝惚けてくれていてよかった。素直すぎる言葉に気恥ずかしさで怯んでしまい、とてもうまく言葉を返せる状態じゃない。
 二人きりだとか、きちんと意識してくれていたことに不覚にも動揺してしまった。仮にも付き合っているのだから、その辺りの機微をなるだって理解しているはずなのに普段の爛漫さがいつだってヒロの目を眩ませる。
 二人で暮らしているみたいだと言ったなるの言葉のそのままを未来の自分たちに当て嵌めてみたら、毎日が今日みたく穏やかに過ぎて行くのだろうか。きっと、過ぎて行く日々の何割かはなるの友人たちがやってきて目を光らせるのかもしれないけれど、そんな日を迎えることがあればヒロは誰に憚ることなく公言できるのだろうか。

「――なるちゃんは、俺の大切な人だよ」

 口に出してみれば、どこか畏まって響いてむず痒い。ヒロにしがみついているなるは移動する際の揺れにあやされているようで、彼の呟きは聞こえなかったらしい。
 なるの部屋に着くと、覗いたことのないロフトへ上がり敷いてあった布団になるを寝かせてやった。こうなってしまっては別れの挨拶が疎かになってしまって悪いとは思うが自主的にお暇させてもらうべきなのだろう。そう思い腰を上げようとしたヒロを、彼の上着の裾を握りしめたなるが引き留めた。今にも睡魔に完全敗北しそうなのだろう。焦点の定まっていない寝ぼけ眼で、けれどもしっかりとした声でヒロの名前を呼んで、それから――。

「私も、ヒロさんが、大切な人ですよ」

 瞳の輝きが、夜の薄暗い部屋に差し込む月明かりを受けてヒロを見つめていた。すっぽりと彼女の視界に囲われたようでいて、先程の呟きが聞かれていたのだと察するよりも先に彼の頬には熱が集まって、言葉にならない叫びを飲み込むように下唇を噛んで耐える。
 これだって寝惚けているに違いないのだ。そうは思うけれど、羞恥と歓喜とが混ざり合ってヒロはじっとなるを見つめるしかできない。本当にもう眠気の限界だと力尽きる寸前、「ヒロさんもお隣で寝て良いですよ」などと間延びした声で言い残し目を閉じたなるに、未だ動揺していたヒロが返した言葉といえば「布団から足がはみ出るから」という間抜けな断り文句で。
 結局、ヒロはなるの両親が帰宅するまでずっと彼女の手を握っていた。恐らく、今夜はヒロが寝不足になる番だった。



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Title by『春告げチーリン』





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