慕ってくれる姿が嬉しかった。自分の姿を見つけると距離なんてお構いなしに名前を呼んで、手を振って、駆け寄ってくる姿が可愛かった。それは異性に向かう恋愛の情よりも、性別などお構いなしに抱ける年少者への庇護愛に似ている。仁科カヅキにとって福原あんという少女は小さい頃からの付き合いで、妹分のようなものだった。頼られれば応えずにはいられない性質のカヅキを慕う人間は多い。高架下で毎日踊るプリズムダンスを媒介にして、その数は幼少の頃から変わらぬ性格のまま、気楽な付き合いのできる仲間を増やした。
 カヅキの背中を見ながら育ったあんもまた、周囲の人間から頼りにされる面倒見のいい人間に育っていた。スイーツ作りが好きで、真面目な委員長。自由なカヅキとは一見違う畑に育ってしまったように見えるあんは、しかし裏表のない善良な人間として変わらずにカヅキを慕っている。一人前だと放り出すには、彼女は他人の面倒は見るくせに自分の悩みは上手く外側に放出できないタイプで、壁を乗り越える最後の一押しをしてやるのがいつからかカヅキの役目になっていた。
 そんな代わり映えのない、けれども決して退屈ではない日々が続いていくのだと思っていた。緩やかな変化の訪れは、きっとあんが同級生とプリズムストーンで働き始めた頃だった。暫くぶりにカヅキを頼ってきたあんは、彼に貰った歌をマイソングとして使用することで起こった問題を解決する手助けを求めた。そのとき、カヅキはそういえばそんなこともあったなあと記憶を掘り起こしていた。
 カヅキが、コウジから貰った曲をあんにやったのは、アイドルっぽい歌詞と曲調のそれを自分が持っていても仕方がないと思ったからで、それから、その曲を聴いたときに真っ先に思い浮かんだのがあんの顔だったからだ。
 頑固な父親を慕いながらも、示される道があんの望む道とは違うことをカヅキは遠巻きに知っていた。けれども真っ直ぐなあんは父親とぶつかって、乗り越えるだろうと思っていた。そういう親子の在り方なのだと見ているだけで良かった。
 事実、父親との関係から始まり、様々な壁をあんは乗り越えた。カヅキの支えも時には力にして。けれどもきっと、カヅキの知らない時間を共有する友だちとの絆も大きな要素だった。カヅキが心配してやれるのは、同じく自身の後輩であるわかなが関わっていることが多く、またあんだけでなくわかなにも心の内に押し込めようとしている問題があることをお節介故の鋭さで見抜いてしまった。
 きっとタイミングの問題だった。あんにしろ、わかなにしろ、カヅキが誰かの問題に真剣に寄り添っている姿を見れば自分のことで手を煩わせまいと一歩引く。そういう、不格好な遠慮の仕方しか知らない良い子なのだ。そして泣きじゃくるわかなを抱き寄せるカヅキの姿を見た日から、あんのか彼に対する態度はどことなくぎこちない。




 デュオ大会に向けて動き始めてから、あんはカヅキの前で以前のような底抜けに明るい笑顔を見せることが少なくなっていた。初めは、わかなのことを気にしているのだと思っていた。あん自身彼女を大切に想っていることは勿論だが、カヅキにも気に掛けてやってくれと言われたことで二人でいてもつい彼女を案じる気持ちが首をもたげて表情を曇らせてしまうのだろう。そんな風に思っていたけれど、わかなの件が解決してもカヅキに対するあんの余所余所しさは改善される兆しを見せなかった。

「何かあったのか?」

 以前ならば、カヅキがこういえばあん本人は隠していたつもりの悩みを先輩だからわかるんだと上手く引き出してやることができたのに近頃では「何もないよ」の一点張りだった。いつも通りのつもりでいる作り笑いが、カヅキの胸に引っ掛かる。
 深く追及することもできた。けれどカヅキはそれを選ばなかった。恐らくカヅキが問い詰めればあんは逃げ出すだろう。今まで素直に自分を慕ってくれた少女に逃げ出されたら、そう考えるとカヅキはいつもの勝気さは何処へやら全く解決策を見つけられないまま途方に暮れるしかなかった。

「なあ、あん」
「何ですか、カヅキ先輩」
「……デュオ大会、調整順調か?」
「はい、わかなもなんだかんだ言ってプリズムショーには真剣ですから」
「そうだよな」

 開店前のプリズムストーンにお邪魔して、商品のスイーツを準備するあんに話し掛ける。生憎、彼女はカウンターに座るカヅキに背をむける形で作業をしている為どんな表情をしているか観察することはできなかった。
 仕込みは前日から。食いしん坊な桃色の河童が出没するので戸締りは厳に。以前そんなことを言っていた。河童の下りは冗談だろうが、夜な夜なスイーツが食い荒らされる事件が発生したのは事実らしい。カヅキに語る姿は楽しそうだった。無邪気な笑顔で、河童の正体は秘密だと人差し指を立てていた姿を思い出す。大袈裟だろうと、もう随分と長い間あんの心からの笑顔を見ていないような気がしていた。
 カヅキの前に置かれた食器とティーカップには、サービスだと出されたケーキと紅茶が置かれている。季節ごとに入れ替えるメニューのひとつだそうで、時分が肌寒さを訴えるようになって随分と過ぎたが初めて見たあんの作品にカヅキは素直に「美味い」と称賛の意も込めて感想を伝えた。

「――ありがとう、ございます」
「……嘘じゃねえぞ?」
「そりゃあ、これ出してから時間経ってるのに不味かったなんて言われたらスイーツ担当の面目丸潰れなんで疑ってませんよ」
「じゃあもっと嬉しそうにしろよ。褒めてるぞ?」
「そうですよね、…うん、嬉しいです」
「顔がそう言ってねえけどな」
「すいません、何か、変で…」

 律儀な性格で、礼を言うからにはきちんと相手の顔を見ようとするあんの、それでいて取り繕えていない覇気のない表情で、彼女自身戸惑っている様子にカヅキは慎重に言葉を選ぶべきだと思った。けれども意識すると、結局どんな言葉も浮かんでこないまま彼女が必死に紡ごうとする次の台詞を待つしかできない。

「――カヅキ先輩といると、苦しくって、私、おかしいんです」

 ぽつりぽつりと気持ちを吐き出して俯くあんは、本当に苦しくて仕方ないのだと心臓の辺りの服をきつく握り絞めていた。自分でもどうしてかわからなくて、けれど平然を装うには無視できない痛みが襲って、傍にいることが辛いとあんは言う。あれだけ慕った人なのに、尊敬する先輩なのに、今は顔を見ることさえままならない。きっと自分が悪いのだとあんは疑わない。カヅキは何も悪くない。カヅキはいつだって真っ直ぐに、自分が正しいと思ったことをやり通しながら、相手のことも思いやれる強い人なのだからと輝きしか持たない人のようにあんは彼を慕って来たのだから。
 一方のカヅキも、思ってもみなかった気持ちを打ち明けられたものだから、動揺による硬直からなかなか立ち直ることができないでいた。純粋にショックだった。クラブ時代からの後輩はそれなりにいるけれど、あんは特に目をかけていた後輩だったから。可愛い妹分だったから。色々と理由を探ってみるけれど、そのどれもがしっくりこないまま、カヅキはただあんにこんな悲しげな顔をさせてしまった原因であろう自分に腹が立つよりも落胆していた。
 自分は何か間違えてしまったのだろうか。知らぬ間にあんを傷付けるようなことをしてしまっていたのだろうか。自問しても、答えをくれるあんは唇を引き結んだままこれ以上は何も喋ることはできないと立ち尽くしている。口を開けば、きっと泣いてしまうだろう。カヅキは後輩が悲嘆にくれた泣きじゃくる姿なんて見たくはない。けれどもこの沈黙が歓迎すべきものではないことくらいわかっている。
 カヅキはきっと聞くべきだった。苦しみの内側を、覗くべきだった。けれど、あんを後輩としてしか自覚しない彼には、踏み込み過ぎることは無神経に思えた。吐き出したくなったときに受け止めてやるのが先輩の務めだと思っていた。その公平さがあんを苦しめるきっかけになっているとは露とも知らず、カヅキは自分の非の在り処もわからぬ謝罪と、いつも通りを装って、カウンター越しに少し身を乗り出して彼女の頭を撫でてやるしか思いつく所作がない。
 カヅキが気分を害してないことがわかって力なく微笑むあんは、時計を見て開店時間が近いからとカヅキの前の食器類を引き取った。空になったそれらが下がっていくに合わせて掛けるべき言葉を、カヅキはあんの素早さに言いそびれてしまった。
 あんの作るスイーツは美味しかった。本当に。
 ――けれど。
 こんなにお腹は満たされているのに、胸にぽっかり穴が開いたようで満たされない気がするのは何故だろう。
 やはり答えなど得られぬまま、カヅキは自分には似合わぬ女の子の為の居場所から立ち去った。



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ごちそうさまでした(美しかっただろう明日)
Title by『春告げチーリン』




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