※コウジ+ヒロ→(←)なる(不在)



 速水ヒロは考えている。変装用の伊達眼鏡越しに憂いを帯びた眼差しで、コーヒーショップの窓際の席に頬杖をつきながら外を見ている彼が周囲の女性客をいかに悩殺しているかだとか、一体どうしてそんな悲しげな瞳をしているのかしらと勝手な物語が作られているだとかそんなことは当然ヒロ本人が知る由もないことだ。何よりヒロの脳内を占めているのはたった一つの事案であり、それは彼にとってのみ深刻であり悲劇であり困難であり試練であった。しかし赤の他人から見れば全くの些事なのである。例えば、ヒロの前に座って譜面を書き起こしている親友のコウジなどからすれば。

「――どうして学生の本分は勉強なんだろう」
「言いたいことの予想はつくけど一応聞いてあげるよ。何だったらいいと思うわけ?」
「……お菓子作り」
「製菓学校の学生ならそうなんじゃない」
「なるちゃんの学校は――」
「それよりヒロ、ちゃんと新曲の歌詞書いてる?」
「それより?」
「それより」

 コウジの切り返しは手厳しい。ヒロはテーブルの上に置かれたルーズリーフを手に取る。一文字も書かれていない、購入したときから引いてある罫線以外真っ新な紙。それをコウジに向かって両手で掲げて見せれば呆れと困惑のないまぜになった微妙な表情で「もう一杯コーヒー奢ってでもここで書いてもらうよ」と、ルーズリーフと同じくテーブルに放り出されていたシャープペンを差し出された。
 その自信のなさ気な顔はアイドルらしからぬものだぞと注意しかけて、恐らく声に出せば倍以上の叱責が飛んでくるのだろうなと思い直しヒロは黙って差し出されたペンを受け取る。アイドルらしからぬも何も今は仕事中ではないのだし(だから変装用の眼鏡だってかけているし、帽子だって被っていたのだが流石に店内で席についてからは行儀が悪いと脱いでしまった)、それならばここで新曲の作業を進めようとするコウジにやっぱり問題があるのではないかとヒロの思考はループする。最近ではずっとこうだ。考えることが捗らないし纏まらない。纏まらないから、行動に移れない。カヅキは考えるより動いてしまえよと言うだろう。それもそうだと思うのだが、いざ行動しようとしても「何を?」と思考が動いてしまうのだからまたぐるぐると考え込んでしまい停止する。コウジは何も言わない。ただ彼はヒロがぼんやりとしている間何かと忙しかったらしい。彼等の新曲を作らねばならないし、家に帰れば夕飯だって作らなければならない。何より恋人の誕生日が控えていたものだからそのプレゼントの用意も――ここでヒロの聴覚はコウジの言葉の続きを理解することを拒否していた。

「ねえコウジ、バレンタインってさ」
「もう終わったよ。とっくに」
「どうしてとっくにを強調して言ったんだ?」
「ヒロがカレンダーをちゃんと見てないみたいだから」
「……優しくないな」
「優しくなかったらこのテーブルの上には僕の分しかコーヒーはなかったんだよ」
「なるほど」

 握ったペンで邪魔な前髪を払う。仕事に手を抜く気はないので、歌詞を書くことに不満も妥協も抱いてはいないのだがやはりタイミングが悪い。ここ最近のコウジの手厳しさは、延々と同じ問題で思考を滞らせているヒロに付き合っていられないという意思表示だとしてもつまるところ出来るだけ干渉したくない彼なりの尻叩きなのだろう。ならもうちょっと具体的な話をさせてくれと思わないでもないけれど。
 コウジの彼女の誕生日。その話題について触れるとついついヒロの意識が遠のきがちになるのはその日付に問題があった。2月14日。カレンダーにも行事としてしっかり書き込まれているバレンタイン当日である。日本中の男子も女子も製菓メーカーも或いは他の業者もときめく一日のはずである。ヒロたち宛てにも全国のファンから沢山のチョコレートや贈り物が届いた。生憎食べ物に関してはファンから送られてきたものを軽々と食べることは出来ないので、貰ったチョコの量に比例して食生活がチョコレート一色に染まるということもない。ただヒロの思考は見事にチョコレートのことしか考えられなくなってしまった。意中の子にチョコを貰えなかったという現実が、彼を暗鬱の渦へと叩き落としていた。
 別に付き合っているわけではないのだが、お互い好意は寄せあっているのではと思しき微妙な距離感で、これはバレンタインにチョコを貰えるのではとそこそこの期待を(裏切られてから、そこそこの度合いが高すぎたことを知るのだが)持って当日を迎えたヒロとしては勝手に思いを募らせていた自分が恥ずかしいら痛々しいやら、兎に角穴があったら入りたいといった具合で一緒にいたコウジやカヅキを戸惑わせた。
 しかし相手の方にも事情はある。ヒロよりも年下の彼女は紛うことなきれっきとした学生である。プリズムショーにどれだけ青春を捧げようとも学生という身分からは逃れられない。何故なら義務教育だからだ。

「バレンタインがテスト期間と被ってなければなあ!!」
「……まだ言ってるの」
「貰えない以前に作ってないなんて……」
「作ったのに貰えない方がヒロ的には悲惨でしょ」
「ああ、まあはい、その通りだけどね?」
「まあ僕はいとちゃんから貰ったからバレンタインに何の未練もないよ」
「カヅキもあんちゃんとわかなから本命チョコを貰ったんだよね!! 知ってる!!」

 畜生、なんて薄情な親友なんだ!! 歯噛みしながら悔しさをぶつけるようにルーズリーフに歌詞を書き殴る。いやに愛憎渦巻く歌詞でコウジは「ちょっと曲に合ってないよ」などと口を挟んでくる。誰のせいだと思っているのだ。
 ヒロの意中の君である彩瀬なるという少女が、バレンタインを放り出してまでテスト勉強に精を出すなんて(失礼ながら)思いもしなかった。勉強はあまり得意でもないとのことだったが、ここ一年彼女はプリズムショーもディアクラウンの店長業務も勉強も手を抜いてこなかった。勿論好き嫌いで語らせれば優劣はつくのだろう。中学生活最後のテストだからというわけでもなく、単純にテスト範囲の内容への理解度を鑑みてバレンタインよりも勉強を優先することを決め、周囲にもそのことを打ち明けてしっかりと私を取り締まってねと謎の協力を扇いで見事やり遂げて見せたらしい。尤も、なるはチョコを贈らないと何も用意しなかったが、彼女の友人たちはきっちりバレンタイン当日にテスト勉強をしているなるの口に各々が用意したチョコを放り込んでいったけれど。
 同じ中学校に通い、同じ日にテストを受けるあんは日頃の真面目さと菓子作りの手際の良さからイベントを我慢するほど勉強に時間を取られなかったし、いとはいとでバレンタインが彼女の誕生日でありバレンタインが恋愛のイベントとして定着していれば一日くらい自由に時間を使うことができた。要するに、ヒロだけがなるにとって時間を切り詰めてまで予定に挟み込める存在に位置付けられていなかったという寂しい現実が浮き彫りになってしまったのだ。
 思い出しただけで虚しくなる。とうとうペンを放り出したヒロは、ルーズリーフに自分が書いたばかりの文字を読み直し「これはダメだね」と折りたたんでコーヒーのマグの下敷きにしてしまう。半分ほど残っているコーヒーはもう冷めてしまっているだろう。長居をしている自覚がある分、きちんと飲み干してもう一杯分くらい売り上げに貢献したいとも思うのだが、温かいコーヒーを頼んだのに冷めてしまったとなると急に飲む気力が削がれていくのは何故だろう。
 溜息を吐くヒロに、コウジが肩を竦める。いい加減にしろと怒られるかもしれない。ヒロも「いい加減」の加減が本当に酷い具合になっていることくらいわかっている。けれどわかって欲しいのは好きな子に会えない物足りなさなら、コウジにだってわかるはずだろうということなのだ。バレンタインにチョコを貰えなかった、それ以前にヒロはもう随分と長いことなると直接顔を合わせてだっていない。テストはもうバレンタインの翌週には終わっているはずなのだが。だからといってじゃあヒロと会わなければと算段がつかないのが二人の関係だ。ただのお友だち、お友だちなら、予定を都合するまでもないあんやいとがいつだって傍にいる。
 ――あ、すごい虚しくなってきた。
 自分で確認しておいてこれだ。我ながら情けないと項垂れかけたその時、ヒロのスマホが小さく震え着信が入ったことを訴えた。「はあ、」と再度溜息を吐いてから相手を確認することなく通話ボタンを押したヒロに、会話を聞いては悪いかなとコウジは席を立つ。レジに向かい、上方に設置されたメニュー表を見て新しく飲み物を注文する。きっと今日の仕事は長丁場になるだろう。肝心のヒロがあんなことでは。
 お金を払い、品物が用意されるのを待つ。その間、コウジは一度もヒロの方を振り返らなかった。他に注文しているお客がいなかったので、すぐに受け渡されたカフェオレを持って席に戻る。通話はもう終わっていた。

「――コウジ」
「ん?」

 やけに真剣な声で名前を呼ばれて、コウジは席に座ってから顔を上げてヒロを見た。そこには声同様真剣な顔つきの彼がいて、さっきとは打って変わったその表情に驚いていると、ヒロは勢いよく立ち上がって、言った。

「俺、帰っていいか!」
「は?」
「それが駄目なら1時間自由行動させてくれ」
「だから、はあ?」
「なるちゃんに会いに行かせてください!!」
「なるちゃん?」

 とうとう禁断症状が出たのだろうかと、もしそうなら力尽くで引き留めて余計な波紋が広がらないように処理しなければと顔を引き締めるコウジに、ヒロは目敏く「俺の名誉を傷付ける想像をしてないか」と反論してくる。その通りである。
 しかしヒロの言い分によれば、先程の電話はなるからのもので、彼女は今日当日に出来なかったバレンタインをやっぱりやりたいとチョコ菓子作りに励んでいるらしい。それでもしよかったらヒロに食べに来ないかと誘いの連絡を入れて来たとのこと。何だそれって脈アリじゃんとヒロを調子に乗らせるような横槍は入れない。あくまで仕方なく妥協してあげるのだという体を装って、しっかりヒロをじと目で睨んでから「いいよ」と一度だけ許可を出した。告白もしないで、好きな子からのモーションがなければ動けない、情けない親友の為じゃない。どうやら一生懸命テストに打ち込んだ、大切な恋人の大切な友人で、コウジにとっても大切な恩人兼友人であるなるの為に。
 そんなことはどちらでも構わないのだと言わんばかりに顔を輝かせて、礼を言い残してヒロはさっさと店を出て行ってしまう。席には帽子が忘れられていた。よほど急いでいたのだろう。子どもみたいに、純粋に。
 コウジはヒロのマグの下に置かれたままのルーズリーフを取り出し、書かれた歌詞らしき言葉たちに思いきりペンでバツを引いた。きっとここへ戻ってくる頃のヒロは、こんな言葉を続けるようなネガティブな思考はしていないだろうから。
 時間はあることだし、少しだけ自分でも歌詞を書いてしまおうとコウジはペンを握り直す。幸い、作業の友となるカフェオレはたっぷりとカップに注がれていることだから。
 そもそも今日は仕事ではなく休日に何となくヒロとコーヒーショップに入っただけだったのだが。まあいいだろうと気持ちを落ち着けて、コウジはゆっくりと頭の中で言葉のページをめくり始めた。



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愛とチョコが世界を救う
20150226



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