華京院学園高等部の卒業を機に、今暮らしている寮を出て新しい部屋を借りなくてはならない。ヒロが持ってきた数冊の住宅情報誌は、彼が広げている一冊以外全てひとまとめにしてなるの膝の上に乗せられている。興味深そうに表紙を見比べては、世の中にはこんなにたくさんの部屋があるのかと、自分が引っ越すわけでもないのに随分と楽しそうにしている。中学生の頃からプリズムストーンといったショップの店長として社会で働くということを体験してきたなるでも、未だ一人暮らしというものは体験したことがない。また引っ越しというものも。
 ヒロは幼すぎてよく覚えていないものも含め、引っ越し自体は何度か経験している。しかしこれまでは移動するのはヒロ自身なのに、その移動と行き先を決めるのはいつだって大人だった。あの頃は荷物なんて殆ど持っていなくて、身一つで放られてエーデルローズに属し現在暮らしている寮に落ち着いてからようやく私物といったものを増やせるようになった。アイドルとしてプライベートでも誰に見られても見苦しくない程度の身嗜みを整えるものくらいしかないヒロの私物は、やはり今でもそう多くはないけれど。
 引っ越しは出来るだけ仕事に行きやすいように交通の便が良い場所を選びたかった。それ以外に、ヒロは住居を選ぶ基準が見つけられなかったから。エーデルローズが管理している寮へ移動するだけというお手軽な方法もあったのだが、それは真っ先に選択肢から外した。別に今までの寮生活が窮屈だったというわけではないが(友だちはいなかったが、ヒロは気にしていなかったし)、高校卒業という区切りがとても大きく思えたのでつい勢いに乗って決断してしまった。未成年ではあるけれど、高校生でなくなったらもう半分は大人として扱われるような。既にアイドルという職業に就いているヒロが、子どもとか大人とか拘るのも今更で、今も高校生だからと子ども扱いされるには咄嗟に頼る大人の顔など思い浮かばないのに。それはそれで世知辛いことだ。もう、慣れているとしても。

「ヒロさんの新しい家かあ、」

 呟くなるは、きっと楽しい想像ばかりを膨らませている。身一つで飛び込めばいいわけではない、生活環境を整える為の面倒な手続きのことなど知らないままで真新しい部屋のことを考えている。住み慣れ過ぎた部屋に不満があるわけではないけれど、綺麗な別の(大抵今より好条件の場所に)移住することを考えるのは楽しいことだった。
 ヒロは雑誌の気になる物件の載っているページの端に折り目を付ける。そうしてなるの膝に乗っている別の一冊を取って、読んでいた方をまた彼女の膝の上に乗せた。そうして乗せられた一冊を、ヒロが折り目を付けたページをなるが読む。そんな動作を、今日は二人でずっと繰り返している。

「私もいつか一人暮らしするのかなあ……」
「それは――高校を出てからの進路にもよるんじゃないかな」
「そっかあ……、でも大人になったらいつまでも今住んでる家には暮らせませんよね」
「まあ、そうだね」
「一人暮らしするなら、やっぱりブルーみたいな猫さんと一緒に暮らしたいなあ」
「猫と……」
「ヒロさん?」
「いや、別に……! 犬もいいんじゃない!?」
「可愛いですけど、やっぱり大きいから……」

 ヒロがやけに動揺している気がするが、寄越された言葉のせいでそのことを怪しんで指摘するタイミングはあっさりと過ぎてしまう。そしてやっぱり飼うなら犬より猫がいいなとなるは胸の内で頷く。犬も可愛いし、近頃では成長しても小さい犬種が沢山いるとわかっているのだが、やはり長年一緒に暮らしていた猫の方が愛着があるし、小さい頃今よりもずっと小柄だったなるには犬というものは大きい動物として映った。だから、無意識に警戒して怯えているのかもしれない。

「――ヒロさんは犬の方が好きですか?」
「ん? 猫よりってこと?」
「そうです」
「うーん、そんなことはないけど……。どっちも可愛いと思うし」
「! じゃあ猫でもいいですか!?」
「えっ、うん、いいよ?」
「えへへ、よかった!」

 ヒロの言葉はどっちつかずだったにも関わらず、なるは両手を合わせてにっこりと破顔した。質問の意図も判然とさせず、しかし会話の流れから察するにいつかなるが一人暮らしをするという仮定の元、彼女が動物を飼うとしたら猫がいいという意見に賛同したことになるのだろう。それを彼女はいたく喜んでいる。一人暮らしなら、なるが好きな方を飼って当然のはずなのに。
 ――まさかね。
 無意識に都合のいい妄想を生み出してしまい、ヒロはそれをやんわりと否定する。先程なるが暮らしのパートナー候補に真っ先に猫を挙げたことに一抹の寂しさを覚え情けない声を出してしまったこと。他愛ないおぼろげな話の中で描く未来予想図の中で、ヒロはなるにとってどんな存在になっているのだろう。それはとても大袈裟な質問だ。だから慌ててなるに言葉の続きを促して誤魔化した。
 それなのに、なるはヒロの意見を求めた。私は猫の方がいいけれど、ヒロさんは犬の方がいいんですか? といった具合に。
 まるで二人で暮らす部屋で飼う動物のことは二人で決めなければと言っているかのような。話の頭に一人暮らしをするならという前提があったにもかかわらず、ヒロの顔は無意識の内に緩んでいく。同じく無意識にヒロを喜ばせているなるは、何故ヒロがにやにやしているのか理由がさっぱりわからないので首を傾げるしかない。それから、また膝の上に抱えていた別の雑誌を広げる。それは既にヒロがチェックした折り目がいくつかつけられていて、その間取りをひとつひとつ確認しながら、もしかしたらこの先ヒロが暮らすかもしれない空間を思い浮かべてみる。果たしてそれをこの目で現実として眺める日が来るだろうか。一人暮らしを始めるというだけでは実感が湧かないけれど、引っ越してしまうというのはどこか別れを連想させる響きだ。
 そしてなるは、今までヒロがチェックしてきた部屋の間取りばかり確認して、住所を全く確認していなかったことに気が付いた。これでは、ヒロが遠くに行こうとしているのかどうかもわからない。

「――ヒロさん、」
「ん?」

 急に声に元気がなくなったなるに、今度はヒロが首を傾げる。本当はそのまま隣に座る彼女の顔を覗き込もうとしたのだが、俯いてしまった為に出来なかった。

「ヒロさん、遠くに行っちゃいやですよ」
「なるちゃん?」
「一人暮らしとか、ヒロさん、私より先に大人になっちゃいますけど、でも、あんまり遠くに行かれちゃったら私、寂しいですから!」
「――――!」
「……我儘ですよね、ごめんなさい」
「――ううん、ちっとも」

 そうとも、寧ろ今すぐ喜びで歌い出したいくらいだ。ヒロの心は、先程彼から犬じゃなくて猫でいいという発言を引き出した際のなるよりもずっと歓喜に震えている。思わずなるの小さな身体を抱き締める。拍子に膝から落ちて行く雑誌を気にするなるに、どうせ全部読み直さなければならないから構わないとヒロは益々腕に籠める力を強くする。勿論、なるが痛くない加減で。
 今まで仕事への交通の便しか考えていなかった引っ越し先選びの条件に、なるの家からも遊びに来やすいという立地条件が加わったのは、言うまでもないことだった。



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望むようにすべて
Title by『さよならの惑星』



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