クリスマスイブになって飾り付けられたツリーは、邪魔にならないようにと膝丈くらいしかない小さなものを選んだ。なるの自宅に小さい頃から飾られているものと比べるとどうしても慎ましくて、けれどヒロが時折眠るためだけに立ち寄る手狭なアパートの一室には丁度良かった。これくらいなら、勝手にクリスマスプレゼントとして置いて行っても許されるだろう。いらないのならば、ゴミ袋に簡単に放り込んでしまえばいい。ヒロに手渡すことを想像しながらあれでもないこれでもないと選んで購入したプレゼントは別にあるのだけれど、たぶん、今日も明日も渡す機会は得られないだろうから。だからいかにもなクリスマスの痕跡を、なるはこの部屋に残しておく。四六時中鍵を開けたままの不用心な部屋は――ヒロは盗むものもないから大丈夫だと言い張るけれど、なるは時々心配に思ってしまう――、突然の思いつきでいつ立ち寄っても家主であるヒロが不在であろうとも上り込めるところが便利でもあり、苦しくもある。小さなツリーに電飾を撒きつけながら、俯いてしまうのはツリーの丈のせいだとなるは思っている。けれど目の前にあるのがなるの背丈ほどあるツリーだとしても、今の彼女には顔を上げててっぺんに星を飾るわくわくした気持ちはとても湧いてこなかっただろう。

「――会いたいなあ」

 呟きに、白い息が纏わりついていた。暖房を付けていない部屋は寒い。どうしたって冬のせいであるその冷たさを、なるはどこかでヒロの不在が続いているからだと決めつけている。
 本来の起源とは離れてしまった楽しみ方だとしても、クリスマスが近づけばテレビや雑誌で見かける世間もなるを取り巻く周囲の人々もうきうきとその日が来るのを待ち望んでいたし、ごちそうやケーキだったりプレゼントだったり想像することも用意するもの沢山あって、なるだってその流れに漏れずにこれまで過ごしてきた。サンタさんの正体は知っているけれど、夜更かしのできないなるはその目で真実を確かめたわけではなくて、毎年両親に言われるまま素直に吊るした靴下に届けられるプレゼントを抱き締めて、寒い朝に破顔しながら両親に向かって何度もお礼を繰り返した日々を覚えている。けれど今年は、きちんと起きられないかもしれない。プレゼントよりも欲しいものがあって、けれどそれはものでもなければなるが好き勝手していいはずもないもので、そしてそれはクリスマスイブである今日もクリスマス当日である明日も、なるの傍には存在しないから。その現実にへそを曲げるように、布団を被って時間をやり過ごすのも一日くらいなら許されるのではないか。そんなことを考えながら、なるは飾りを終えたツリーに明かりを灯して、陽が傾いて暗くなってきた部屋に映えるその輝きをぼんやりと眺めていた。温かい筈の赤や橙の光が、今はやけに刺々しく映った。
 恋人と迎える初めてのクリスマスに、無意識の内に期待しすぎていたのかもしれないとなるは膝を抱えて顔を押し付ける。ヒロは記念日に疎いとか、女の子の気持ちがわからないという鈍感な人間では決してなかったが、なるの為だけに生きているわけでも決してなかった。彼がコウジやカヅキと組んでいるOTRがクリスマスイブとクリスマス当日にライブをすることは何カ月も前に決まっていたことで、なるはそれ自体が不満なのではない。否、そもそも不満などないのだ。ただ自分の予想とか計画性が甘かったせいで、最後にヒロと直接会ったのはいつだったろうかと必死に記憶を手繰らねばならないほどの空白が迂闊だったと胸に痛かった。ヒロはライブの準備で12月に入った途端忙しくなったしライブ直前の数日前から会場近くのホテルに泊まり込んでおり会えない。なるも自分の仕事が忙しかった。ここ数日クリスマスに向けてなのかショップに来てくれるお客の女の子たちに何度「彼氏とのデートに着ていくんですけど、組み合わせおかしくないですか!?」と相談されたことだろう。きらきらと期待に煌めく瞳を見ていると、なるは恋をしている女の子は可愛いものなのだなとちょっぴりお姉さんのような気持ちになって、時間の許す限り親身にコーディネートの模索に手を貸していた。せめて、このショップに来てくれた女の子たちは幸せなクリスマスを過ごせますようにと、身勝手な祈りを織り込みながら。
 クリスマス近辺に全く会える目処が立たないことを、ヒロは何度も謝ってくれた。なるは何度も気にしないでいいと顔の前で手を振ったし、仕事があるのはお互い様だとも言った(何と学生らしくないフォローだろうと苦笑してしまった)。なるが欲しいのは謝罪ではなかったから、それ以外どう言い募ることも出来なかった。
 会えないことを、申し訳ないと思って欲しくなかった。クリスマスに恋人らしく寄り添っていられないことをおかしいと罪悪感を持ってほしくなかった。けれどやっぱり世間の流れに浮かされて会いたいと思ってしまうなるの気持ちを汲んでやれないことを落ち度と思って欲しくなかった。なるはただ同じようにヒロが自分に会いたいと思ってくれていれば、それができないことを一緒に残念がってくれれば、それだけで良かったのだ。ヒロは結局、詫びるだけ詫びて、申し訳なさそうな表情のまま笑顔らしい笑顔も見せないで行ってしまった(微笑むくらいはしたのかもしれないが、なるは覚えていない)。
 そんな風にしてクリスマスを迎えてしまったから、今のなるには心を奮わせる燃料がないのだった。ちかちかと光り続けるクリスマスツリーは、果たしてあと何日後に家主に見つけて貰えるのだろうか。


 ヒロのアパートを出ると、いつの間にか雪が降っていた。天気予報をきちんと見ていなかったので傘を持っていない。けれどちょっと歩いて電車に乗るし、粒も小さい。降り出したばかりなのか、積もる気配はまだなかった。人通りの少ない路地はとても静かだった。
 電車に乗ると、車内はとても温かかった。席は空いていたけれど、ドアの端に寄り掛かって立つことにした。ガラスに映る顔がやはり辛気臭くて、なるは誰に対してか「ごめんなさい」と謝りたくなる。自分がひどく我儘な振る舞いをしているように思えたから。或いは、子どもっぽいことを。
 駅から自宅への道のりは、やはり住宅街に向かっているので静かだったし、それでも何軒かはクリスマスに合わせて電飾を施した家だったり子どもたちがはしゃいでいる声が漏れ聞こえてくる家だったりを通過して、なるは両親のことを考えて少し気持ちが軽くなる。ヒロと会えないことはわかっていたので、最初から家族とご馳走を食べることになっていた。仕事があるので――午前中だけだということを、意図せずなるは言い忘れていたので、仕事を終えてから彼女は先程のヒロのアパートに足を運んだのである――、もしも間に合わなかったら先に食べていてくれて構わないともきちんと伝えてある。
 冬はすぐ暗くなってしまうし、夜の静けさは夏と比べてずっと静かで、けれど余所余所しい。だからだろうか、夕飯時を過ぎて家に帰ることはとても道を外れているような悪いことをしているように思える。恋人と初めてのクリスマスを一緒に過ごせないことよりも? それは、なるにはわからない。

「――なるちゃん」

 そう、こんな風に自分の名前を呼ぶ声を、もう長いこと直接会って聞けていない。髪に隠れた両耳は、それでもひんやりとした夜気に晒されて痛んだ。
 幻聴というより、音声の回想だったに違いない。それにしても、精密だったとなるは自分のヒロの記憶に感心しながら、心持ち自宅への道のりを足早に進む。

「な、なるちゃん、なるちゃん!?」

 突然腕を掴まれた。驚いて思わずひゅっと息をのんだが、悲鳴は上げなかった。慌てたように被さってくるなるの名前を呼ぶ声が、直前まで思い返していたヒロの声とそっくり同じだったから。
 もしかしたら、その回想だと思っていた声も、本当はなるの外側から発せられた声だったのかもしれない。

「――ヒロさん?」
「うん、そうだよ」
「…………え? 本物ですか?」
「うん、本物」
「そ、そんなはずは……」
「どうして!?」

 暗い路地だ。至近距離に立っているのに、なるは目をしっかりと凝らして相手の顔を探らなければならない。けれどそろそろと見上げて行く視線がその全体を捕えるよりも早く、なるの脳にこの人が誰かなんてわかりきっているじゃないかという信号が届いている。その直感を、疑ってはいけないことをなるは知っている。けれどあまりに信じがたい状況に、なるは口をぱくぱくと金魚のように動かしながら立ち尽くすしかできない。そんななるの反応がしっかり見えているのか、ヒロが微笑む気配がして、なるは漸くこの顔は可愛くないと慌てて緊張から解放されて頬を押さえる。

「ヒ、ヒロさん、今日ライブでしたよね?」
「うん、終わってすぐコウジとカヅキを拝み倒してちょっと抜けさせてもらったんだ」
「――はあ、」
「それで一度なるちゃんの家に行ったんだけどまだ帰ってないって言われたから、駅まで迎えに行こうと思って歩いてたら丁度なるちゃんが帰ってきたんだけどすれ違ったのに全然気付いてくれないし、名前を呼んだのに聞こえてないみたいだしびっくりしたよ」
「すいません……帰ってからのこととか――ヒロさんのこととかぐるぐる考えてたのでまさか本物の声だとは思わなくて……」

 本当に急いでライブ会場を後にしたらしく、よく見るとヒロの姿はいつもよりくたびれていて、普段なるの前に現れるときのきっちりとした感じが抜けているように見える。どうであるにせよ、ヒロは格好いいとなるは納得して頷く。
 しかし今のヒロは寒そうだ。雪だって、僅かとはいえ降っているのにコートの前も開いている。身体を動かして温まっている内は平然としていられるだろうが、こうして立ち止まって話している内にどんどん熱は逃げてしまうだろう。なるは自分のマフラーを外して、目一杯背伸びしてそれをヒロの首に巻き付けてやった。遠慮される前に、さっと手を繋いで歩きだしてしまう。そうすれば、なるの意図を察したようにヒロはただ「ありがとう」と礼を言って同じように歩き出してくれる。なるは歩幅を大きくするよう意識する。ヒロの身体が冷える前に家に着けるように。
 話はゆっくりと、家に着いてからヒロに温かい格好をしてもらって、お腹いっぱい美味しいものを食べてからすればいい。そう、ヒロを困らせないように良い子でいようとするなるの一部分は思っているのだけれど、どうしてもこれだけは今すぐ聞いてしまいたいと、なるはよく見えないヒロの顔を見上げながらほうっと白い息を吐いてから、尋ねた。

「ヒロさん、どうしてそんなに無茶してまで会いに来てくれたんですか?」
「え」
「……やっぱり、クリスマスだからですか?」

 それなら、気を遣わなくても、本当に本当に良かったんですよ。イベントに心を尽くさなければ恋人としての義務を怠っているように思われることの方が、なるには辛いのだから。クリスマスに浮かれる気持ちも真実だけれど、これも本物の気持ちだった。
 けれどそれを、やせ我慢しているわけではないのだときちんと理解して貰うにはどんな言葉を使えばいいのかがわからなくて黙ってしまったなるに、ヒロは小さく咳払いをしてから「あのね、」と言葉を切り出した。それだけで、なるには彼が恥じらっていることがわかる。

「ちょっと、格好悪いかもしれないんだけど……」
「? ヒロさんは格好いいですよ?」
「あ、ありがとう……ってそうじゃなくてね、あのね、クリスマスじゃない? まあ、イブだけど」
「……はい」
「――浮かれてるのかなって我ながら呆れもしたんだけどほら、その、やっぱり会いたいなあって、思っちゃって、それで……まあ、我慢しなかったっていうか、そんな感じ……です」
「はい!」

 夜道に手を繋いで何をしているのだろう。二人揃って、恥ずかしくて顔を背けた上に言葉遣いや調子が狂ってしまっている。
 だがなるは繋がったままの手にしっかりと力を込める。ヒロの気持ちが嬉しくて仕方がないという感動が、ちょっとでも伝わればいいと思いながら。
 なるが会いたがっているからではなく、ヒロが会いたかったから駆けつけて来てくれた。それだけで充分だった。それこそが、大切だった。

「ヒロさん!」
「ん?」
「メリークリスマス! イブ!」
「……うん、メリークリスマス、イブ」
「えへへ!」

 心が満たされてきて、なるは手を繋いだままぴったりとヒロの腕にひっついた。歩きにくいけれど、そんなことは気にならない。ヒロは一度なるの家に顔を出しているようだから、突然の来客というわけでもないしもし驚かせたとしても今日はご馳走なのだから彼の分のご飯だってきっと確保できるだろう。それから、まさか渡せるとは思わなかったクリスマスプレゼントを渡して(ヒロは突然の思いつきで飛び出してきてしまったので、なるへのプレゼントは持ってきていなかったが全然構わない)。それからそれからと次々に話したいこと、やりたいことが湧いてくる。明日もヒロは仕事なのだから長く拘束してはいけないとわかっているのに好きという気持ちから生まれる衝動はどうにもコントロールが利かなくて困ってしまって最終的には幸せだ。
 そしてふと、ヒロのアパートに置き去りにしてきたクリスマスツリーを思い出す。電飾を撒きつけただけの簡素なツリー。今頃、真っ暗な部屋の中にぽつんと一人ぼっちのツリー。あの子を、ハピなるにしてあげなくてはならない! 何故ならなるの心を奮わせる燃料が今満タンになったからである。
 今日は素敵なクリスマスイブだった。けれどやっぱり、世間のクリスマスとはずれ込んでしまったとしても、ヒロと二人であのアパートの一室で小さなクリスマスツリーを飾りつけてやりたいと思う。彼はきっと、初め自分で購入した覚えのない物が部屋に鎮座していることに驚くだろう。それになるは悪戯が成功した子どものように舌を出して、驚かせすぎたようなら謝って、それから――。
 あとはもう、二人で一緒にいられるなら何だっていい。そう、今この瞬間みたいに。

「ヒロさんだーいすき」

 舌っ足らずで夢見心地な声は、しかし直ぐ傍に感じるヒロの存在が決して夢ではないことを教えてくれていた。
 もうすぐ、なるの家が見えてくる。



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聖夜の奇跡と呼ばないで
Merry X’mas!!/20141225



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