どうして言葉は宝物として記憶の中にしか取って置けないんだろう。
 心底悩ましくて仕方ないのだと、ヒロの疑問になるは「ううん、そうですねえ……」と腕を組んだ。だって言葉は物量を持たないから、記憶の中でも取っておけるのならばそれでいいじゃないですかとか。どれも不正解だなと自己採点しながら、なるは視界がぐるぐると渦巻いていくのを感じる。これは考え事で袋小路に陥っている証拠だ。答えは、もうなるだけの力では導き出せそうにない。
 ヒロさん、私は無力です。ごめんなさい。
 そう項垂れてしまうなるの頭を、ヒロは「ごめんね、難しかったね」と撫でた。初めから無理だとわかっている願いだ。ブロックのように文字が飛び出して仕舞えておけてしまったら、それはそれで場所を取って大変だろう。言葉は簡単に口から飛び出して、何気ない一言に心を躍らせるのが人間だから。
 例えば、ヒロだったら一人でプリズムショーの練習をしていたときに初めて褒められた言葉、母親に一緒に暮らそうと手を引かれながら呼ばれた名前、コウジやカヅキに一緒にやろうと言って貰えたときの言葉や、ファンのみんなが掛けてくれた声援、とって置きたい言葉は山のように積み重なってたちまち身の置き場が無くなってしまうことだろう。喜怒哀楽だとか、籠められた感情が違うからと――色違いの同型のグッズをコレクションするのと似ている――、なるの「ヒロさん」と呼ぶ声を集めてみたら、それこそ大参事だ。

「ヒロさん、何か嬉しい言葉を貰ったんですか?」

 随分と未練がましい顔をしていたのだろうか。なるはヒロの両袖をくいっと引っ張ってヒロを屈ませると――両手で、両袖をというのが彼女のわかりやすい合図だった――、今度は彼女の方が彼の頭を撫でてくれる。なるの要求はわかりやすい。これは、元気を出して欲しいという意味だ。だからヒロは、なるに撫でられたときは顔を上げる際に笑うよう心掛けている。それを見たなるの表情を確認し、「あ、信じてないな」と膨らむ頬をつつくまでがセットで、毎度同じ表情を作って不興を買ってしまうヒロもヒロだが、それにいつだって頬を膨らませることで抗議の意を知らせてくるなるが可愛くて、実際ヒロはこのやり取りを通じて幾分元気を取り戻してきたように思う。今日だって――落ち込んでいたというよりは、どうにもままならないと思っていただけだ――同じだ。

「ヒロさん?」
「言葉は、そうだね、たくさん貰った。ありがとうって返して、ついでにこの嬉しさをわかって欲しくて抱擁のひとつも添えようとしたらみんな頑なに固辞するんだ。嬉しさと切なさが入り混じって僕は複雑だよ」
「ヒロさん、冗談にしちゃやですよ」
「――うん」
「実は私も、ヒロさんに渡したい物があるんです」
「それは貰って嬉しいものかな?」
「どうでしょう? ヒロさんはどっちだと思いますか!?」

 いじけた声で、話題をちょっとずつずらして行こうと思った。言葉は手に取れる形では取って置けない。手紙やメール、目に見える文字に保存が利くだけでも今日のヒロは幸せだと思えるはずだった。だって、普段どうしようもなく鈍い――無邪気さでヒロをとことん振り回す様を振り回されている側から表現するとこうなる――なるが、にこにこと笑っている理由が、ヒロの期待とその内容が合致しているようだったので。どっちだと思いますかという問いには、なるがヒロに貰って欲しいと差し出すもの全てを喜んで受け取る自信がある。絶縁状とか、そういった類の物でなければ。
 今日、なると待ち合わせたのはヒロが母親と暮らし始めた自宅の方で、散らかっているわけでもない部屋をそれでも念入りに掃除している息子の姿に母親はヒロの実の年齢よりもずっと幼い子どもを見るような柔らかい眼差しを残して仕事に出かけて行った。
 その数時間後、元気よく、軽快にヒロの部屋の扉をノックして現れたなるの肩に掛けていた鞄からはみだしていたラッピングされた包装紙とリボンには、ヒロは気付いていないことになっている。

「うふふ、ねえヒロさん、問題です」
「? うん」
「言葉は記憶の中でしか取って置けないかもしれません。そうですね?」
「うん、そうです」
「では、それが悪いことのように思えたとして、代わりの物を贈り続ければ、ヒロさん、満たされますか?」
「それは――」
「あのねヒロさん、私今日、ヒロさんに渡したい物がいっぱいあるんです」

 先ずは鞄からはみ出してしまった、リボンのついた贈り物を。それから、ヒロに贈り物をする理由でもある今日と言う日への感謝と喜びの言祝ぎを。そして、今日もまた明日も続くであろう確信を持ちながらなるがヒロを想っている証として、ほんの少しの背伸びと共に愛なんて言葉を使ってみたりして。
 渡したい物は、いつだってあるのだ。ヒロが肩を落とす通り、言葉は思い出にしかならない。いつか掠れて、ニュアンスくらいにしか形をとどめずに正確さを失っていくかもしれない。それでも、目に見える形で、失くさない確証を持って取っておきたい言葉をくれた相手の、その瞬間の気持ちをどうして疑うことが出来るだろう。
 例えば、これからなるがヒロに告げようとしている言葉は音にすればほんの数秒で通り過ぎていく短い言葉だけれど。その言葉を発する為になるが募らせてきたヒロへの想いは彼の中に保存されないのだろうか。お互いに何かを期待して、こうして一つの部屋に二人きりで閉じこもっている、それなのに。
 そんなはずがないだろうと、なるは思うのだ。いつかの日付を指定されて、二人の会話を違わず再生せよと言われてもそんなことは不可能で、けれどそれでも、自分はきっとヒロの言葉にいちいち笑ったり、拗ねてみせたり、胸を高鳴らせたりしたはずなのだ。男女の駆け引きというものがなるにはどうしても上手く出来たという自覚は持てないままだけれど、ヒロも同じだったらいいなとだけはいつだって願っている。

「ヒロさん、お誕生日おめでとうございます」

 そう告げて、差し出されたプレゼントをヒロはなるごと抱き締める。もう、今日になってから何度もメールや電話、或いは面と向かって言われた言葉。おめでとう、誕生日おめでとう。本当にうれしかった。誰かに生まれてきたことを祝福して貰えることがこんなに嬉しいことだと今年は改めて実感した。だから全てをそのまま保存出来たらどれだけ素晴らしいだろうと願った。それは事実。
 けれどきっと、なるに諭された言葉に、彼女に差し出される全てに、ヒロは確かに言葉以外の何かで以て満たされてきたことも真実だ。
 その気持ちを、ヒロはもうずっと前から愛しさと名付けている。

「ヒロさんが生まれてきてくれて、私と出会ってくれて、とってもはぴなるです!」
「――うん、僕もなるちゃんに出会えて、はぴなるです」
「えへへ、お揃いですね!」
「……うん」

 言葉少なに微笑んだのは、これ以上はちょっとだけ泣いてしまうと思ったから。
 10月10日。毎年必ずやってくるたった一日。速水ヒロは、今日生まれた。そしてそれを喜んでくれる大勢の人に出会ったこと、たった一人大切な女の子を見つけたこと、沢山のことに感謝しながら、ヒロは生きていく。



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僕たちが今日も幸せだったお祝いをしよう
Title by『にやり』


■1日遅刻しましたが、10/10 Happy Birthday!! ヒロ様!!



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