広い駅の構内を上方の電光掲示板を確認しながら歩く。新幹線に乗るというのは、普段の移動手段として電車に乗るのとはまた違う高揚感がある。数日前、指定席を予約して購入した二枚の切符を手に持ちながら、なるが得意げに「これは二枚一緒に改札機に入れるんですよ!」と教えてくれたの思い出すだけで、ヒロはここ数日笑いに事欠かない。勿論、微笑ましく可愛いという感情を誘発するからこその笑顔だ。
 さて、そのなるはと言えばヒロの隣を歩いて――いようとする意思があるもののなかなかうまくいかない。駅の人混みが邪魔をするせいもあるけれど、転がすキャリーバックの重みに引きずられ、他人様にぶつかりそうになっていやしないかと振り返り、両手で抱えてみるも重すぎて、気付けばヒロは何度も足を止めてなるが追いつくのを待っている。

「持とうか?」

 とっくにそう提案したけれどなるは唇を真一文字に引き結んで首を横に振る。旅とは、かさばる荷物にも自分で責任を持たなければならない。たぶん、格好良くキメているつもりであろうなるの頭をヒロは撫でた。それなら頑張ってと鼓舞すると、なるは任せてくださいという意気込みと、子ども扱いしないでくださいという憤りが中途半端に混ざった複雑な顔で頷いた。

「飛行機より新幹線の方が長く乗っていられるんですね!」

 きっかけは、ディアクラウンの店員の休憩室でなるが読んでいた旅行雑誌から顔を上げて漏らした感嘆の言葉からだった。修学旅行で北海道に行った際に乗った飛行機はたった1時間半で向こうの空港に到着してしまったらしい。浮いているのだとそわそわしている間に移動が終わってしまって、正しい楽しみ方ができませんでしたと肩を落とすなるに、飛行機の搭乗中における正しい楽しみ方とは一体どういう乗り方をいうのか尋ねてみたかったが止めておいた。即座に同じ部屋でテーブルに向かいながら真剣な顔でノートに何やら書き込んでいたあんが「機内食全種類制覇とか、無理に決まってるでしょ!」と指摘してくれたので大体の事情は察せた(ちなみに、この時あんが書き込んでいたのが週末にわかなと一緒にカヅキとデートする為の行程表を作っていたのだと、翌日頭を抱えたカヅキに打ち明けられてヒロは知ることになる)。
 また北海道に行きたいのかと尋ねると、なるはその質問を待っていたかのように人差し指を「ちっちっちっ」と振ってから、読んでいた雑誌をヒロの前にどどんと広げて見せた。そして直ぐに「あわわ反対でした!」と表紙ではなく記事の方をヒロに向け直していた。

「京都に行きましょう!」

 一緒に旅行に行く流れがどこから始まっていたのか、ヒロにもわからない。断る理由もなかった。宣誓しなければならない潔白は必要だったけれど、なるは同行する相手を周囲の人に偽ってまでの強行軍には走らないだろうし、ホテルの部屋を別々に取った証拠さえ残して行けば道理上何の問題もない(なるの両親まであっさりヒロと二人きりの旅行に快諾を示したのは衝撃ではあったが)。脳内で仕事の予定を瞬時に精査して、それでも若干勿体ぶるように「たぶん、この日にちなら大丈夫だとは思うけど本当に行くの?」と格好つけてみればなるはヒロの体裁など頓着なく「行きましょう! 早速行きましょう!」とヒロの言葉をわかっているんだかいないんだか、はりきって雑誌の目を付けていた記事の内容についてヒロに語り始めた。
 旅行に出かけるのは随分と久しぶりで、楽しみだと思える遠出はもしかしたら初めてのことかもしれない。中学生の修学旅行のことはよく覚えていない。最初のデビュー話があった年のことだからかもしれないし、単純に楽しくなかったのかもしれない。高校の修学旅行はこれからだけれど、仕事の方が順調だから行けるかどうかわからない。たぶん仕事と被ってしまったらそちらを優先するだろう。そこは同じグループのコウジ次第かもしれない。カヅキも同じ高校に編入してくれば良かったのに、表舞台に出る腹は括ったがどうにも華京院学園はお上品に見えてダメだと元の高校に通い続けている。
 雑誌の移動手段や所要時間のグラフを眺めながら、大人の世話にならずに新幹線に乗るなんて初めてかもしれないとヒロは思った。なるのここに行きたい、あそこにも行きたいという言葉に一つずつ相槌を打ちながら、なるの行きたいところに行こうと決めていた。どこにだって、どれだけ時間がかかったって行こうと思った。そんな大袈裟なヒロの決意を知らないまま、なるは何度も「楽しみですね」と繰り返していた。

「新幹線に乗るのってドキドキしますよね!」
「そうだね」
「座席の番号通りに座れるかなとか!」
「大丈夫、僕が確認するよ」
「車内販売のお姉さんをタイミングよく呼び止められるかなとか!」
「うん、僕が呼んであげるよ」
「お手洗いに立って自分の車両と座席を忘れて帰れなくなったらどうしようとか!」
「あまりに長く帰って来なかったら僕が迎えに行くから」
「もー! ヒロさんそうやってすぐ私を甘やかすー!」
「えっ!? ダメなの!?」
「ダメじゃないです! でもダメです!」
「どっちなの!?」

 新幹線がやってくるホームの待合室で――幸いにもヒロとなる以外には誰もいなかった――、ぽこぽこと小さな拳でヒロの肩を叩くなるの頬は膨らみっぱなしだ。つつきたいけれど我慢する。なるを甘やかすなとはよくべるたちにも言われる。それはヒロの好意(時に下心と呼ばれる)の暴走を叱責しているからで、今なるが憤慨しているヒロの彼女への甘やかしは一体どうしてダメなのだろう。わからずに悩んでいると、「ヒロさんが私の面倒みた思い出ばっかり増えちゃうじゃないですかー!」となるが唇を尖らせた。

「ちょっとした苦労が旅先の素敵な思い出になるんですよ、きっと!」

 誰かに吹き込まれたのかな? と失礼なことを考える。この旅行にかける意気込みがいかほどのものかヒロは知らない。やる気に満ちているなるに水を差すようなこともしたくないし、自分を誘ったことを後悔して欲しくもないから言わないけれど。一人旅の方が、その覚悟は試されるんじゃないかなとか、楽しいことだけしかない旅行だって素敵じゃないのかなとか。

「なるちゃんと一緒に出掛けるのに、苦労も何もないと思うけどね、俺は」

 とか。
 うっかり呟いてしまった本心は、行先もきっかけも置き去りにしていて構わないから、なるに手を引かれて――実際は何度もヒロがなるを待つために立ち止まったけれど――やってきた楽しい旅の幕開けのホームに、この先待ち構えている(らしい)苦労への気構えなんて、なるがいるだけ、それだけでヒロには万全の準備が整えられているといっても過言ではないのだ。

「もー! やっぱりヒロさんそうやってすぐ私を甘やかすのダメですよ!」
「そんなことないと思うけど」
「ダメです! ヒロさんにそういうこと言われるとハピなるが溢れて大変なことになりますよ! その上!」
「うん」
「私はこれからヒロさんを京都へ連れ去って独り占めするわけですから、際限なくハピなるにさせられちゃうと困っちゃいます!」
「――――」
「……ヒロさん?」
「ごめんにやけるの抑えてるからあんまりこっちみないで」

 なるの無防備な告白に両手で顔を覆う。この子は本当に恥ずかしいというよりも自分を悶絶させるのが得意技だ。
 独り占めくらい、いくらでもさせてあげるのに。ヒロの意思はそう思っても、実際それができるかどうかと言われると難しくてそれは逆の立場でも同じことだ。みんなの人気者、愛される女の子、ぴっとりお互いだけにくっついているわけにはいかなかった。
 だから喜んで、なるが独り占めしたいという願いを――そう願ってくれていたこと自体ちょっとした驚きで――叶えられるのならば、やはりヒロはどこまでも手を引かれて着いて行こうと思う。
 そんなことを考えていたから、とっくにホームに入って来ていた新幹線に乗り込むのがぎりぎりになってしまった。そして慌てていたものだから、旅の醍醐味のひとつである駅弁を買ってくるのを忘れてしまったのだけれど、自分で新幹線の車内販売のカートを押すお姉さんを呼び止めたなるが満足そうだったので、ヒロとしては何の不満もなかった。
 楽しい旅になりそうだ。


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愛を持て、旅に出よ


■京都に特に意味はない。



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