※ヒロ(なる)+おとは


 あらあら、何だかそれってちっともメルヘンじゃありません! というのがおとはのヒロに対する総評なようで、胸の前で形取られたバツ印が一挙に頭上から圧し掛かってくるような勢いが彼女にはあった。普段ののほほんとした雰囲気とは一変、口癖であるメルヘンへのこだわりが彼女を豹変させているのか。実際は、おとはが幼いころから読み漁って来た少女漫画の影響で、他人様の恋バナに過剰反応する癖があるというだけのことである。それにしても、実際現在のヒロの状況はメルヘンではない。甘いお菓子とティータイム、おとはのショーをメルヘンとするなら、ヒロの口に広がるのは苦味なのだろう。折角淹れて貰ったカモミールティーは、ヒロの気持ちを癒してはくれない。

「ところでこれ、有料じゃないよね?」
「いいえ? どうしてですか?」
「おとはちゃんは――なんていうか、べる専用って感じがするから」
「まああ! 私なんかがべるさん専用だなんてそんな! いえ、でも!」
「おとはちゃん?」
「はっ! す、すみません〜!」
「ううん、話聞いて貰ったのはこっちの方だし……」

 おとはに打ち明けた話は、ヒロの恋バナで、彼の親しい友人には隠してもいないものだ。それでも、コウジやカヅキ、べるでもなくおとはを相手に選んだのは、己の非があることをどこかで自覚している話をしても、彼等はその正しさでヒロを諭して、叱って、背中を押してくれるだろうから。ヒロはただ、話を聞いてくれる相手が欲しかった。赤い薔薇に囲まれたラウンジで、四人掛けの席を一人占有しながら呆けていたヒロに話しかけてきたおとはは意外性もなくべるを探していた。見ていないよと答えるのと、ちょっと相談に乗ってくれないかなという言葉の間が開かないように気を付けた。話を聞いて欲しいだけなのに、相談という言葉を使ったのはずるかったかもしれない。疑うことなく、それではお茶の準備をとどこから持って来たのかわからない――けれど小鳥遊おとはを見つめる上では当然のように付随してくる品々である――ティーポッドを取り出して、丁寧な仕草でお茶を用意してくれた。

「なるちゃんをね、怒らせちゃったんだ」

 ぽつり、打ち明けた真実はおとはの興味を誘ったようだけれど、瞳がきらり輝くと同時にその輝きはそっと首と共に傾いた。

「なるさん、怒るんですか?」

 なるが怒る仕草――それはヒロを落ち込ませるほどの攻撃的な熱量を持っていなければならない――、頬を膨らませるのとはわけが違う。どうにも想像がつかないようで、湧き上がる好奇心を押さえながら瞳だけで続きを促した。以前よりずっと思ったことを口に出せるようになったというけれど、慎み深さは失わない。もっとも、単純に個人的な馴染みを持たないヒロ相手だから慎重になっていただけかもしれない。いとに対しておとはが根掘り葉掘りコウジとの恋仲の進捗具合を聞き出そうと捲し立てたことを、ヒロは知らないので。

「嫌いだよって、嘘を吐いたんだ」

 嫌いになっちゃうよ、じゃなくて。嫌いって言っちゃったんだ。
 言い訳のように付け足した言葉に、意味なんてなかった。程度の問題ではなくて、時間の問題でも、場所の問題でも、状況の問題でもなかった。思ってもいないことを戯れに手繰れると思った、その自惚れが大切な女の子を傷付けて、怒らせた。せめてもの救いは、泣かないでくれたこと。なるは知らないだろうけれど、ヒロは間接的になるを泣かしたことがあって、それから季節が移ろうほどの時間が過ぎるまで罪悪感も覚えないような人でなしなことをしたという秘密があったので、出来るだけ彼女を泣かせたくなかった。ぶつかり合わなくてはいけなくなる時が、円満なだけではいられない二人の道のりの途中にやってきたときは向き合って、泣いてしまうかもしれないけれど。たぶん今回は、そういう、二人の関係を見つめ直したり、直面した困難を乗り越える為に必要なその困難自体ではない。

「どうしてなるさんに嫌いなんて言ってしまわれたんですか?」
「何でだろう。にこにこ笑ってるなるちゃんが目の前にいて、それで、それだけなのにね、本当、何でだろう」
「わからない?」

 そう、あの時なるは笑っていた。笑って、それでもヒロをやきもきさせるような話をしていたわけではない。いつもヒロと会えない間の報告がてらに彼女の口から飛び出す知り合いの名前を指折り数えては、恋人というたった一つの座を射止めてもまだ稚拙な嫉妬を押さえられないヒロの気持ちを意図せず刺激するようなことはなかった。
 ――ヒロさん、ヒロさん、大好きですよ、ヒロさん――。
 思い出しても、浮かぶのは笑顔ばかりでそれを幸せと呼べないはずがないのに、でも、あの時自分はたぶん――。

「笑ってばっかりじゃ、それはそれで不安になるんだよね」

 だってヒロは、どれだけ内側にほどけないわだかまりを抱えていてもステージの上で、カメラの前で、ファンに向けて笑うことができるから。対する相手によってなるが態度を変えるような子ではないことは知っていて、けれどありのまま、素直な感情を発露させる相手として自分は認められているかどうかなんてわからない。それにしたって結局はヒロの自負の問題であって、やっぱり、なるを探るような、疑うようなことを言うべきではなかったのだ。
 ――僕は、なるちゃんの、にこにこしてばかりいるところ、ちょっと嫌いだな。
 ぽかんと、ヒロの言葉を理解する為に他の一切の機能が停止してしまったようななるの全身。不味いと思って「そんなのウソだよ」と打ち明ける頃には、なるは涙よりも怒りに小さな肩を震わせていた。謀られたことへの怒りでも、軽んじられたことへの怒りでもなかった。
 ヒロが信じないこと。なるを、或いはヒロ自身を。笑って許してしまっては、いつまでも変わらないヒロの根っこにある憶病な心に、なるは怒ってしまった。
 ――私も、ヒロさんなんか、嫌いですよ。
 涙声だった。ヒロが謝る隙も与えずに、なるは彼を置き去りにして行ってしまった。さよならも言い残さなかったことが、「よくよく反省してください」という意味だということを、ヒロはまだ気付いていない。

「あらあら、何だかそれってちっともメルヘンじゃありません!」

 そうしておとはは言い切った。ヒロとなる、二人の愛の現在地はとっても苦い。甘くない。メルヘンじゃない。おとはにきっぱりと言い切られて、ヒロは項垂れた。にこにことは言わないけれど、気遣わしげなおとはの表情はそれでも柔らかさを保っていた。これが他の誰かだったら、今頃ヒロは罵られていただろう。
 いつの間にか空になったティーカップに、おとはは「おかわり淹れますね」と手際よくまたポットに手を伸ばす。それから、お茶を淹れ直す途中の、独り言のようなものだから、あまり真に受けなくてもいいけれどといった距離感でもってヒロに視線を投げることもなく紡がれた言葉は、彼の耳にするりと入り込んで来た。

「愛は試すものではありません、信じて、与えて、与えられて、育てていくものでしょう? 断ち切ろうとしてはいけません。想いが、まだ溢れているのなら」
「――まだ?」
「そう、まだ。もしかしたら、滔々と、ずっと」
「……うん」

 ヒロの前に再度置かれたカップを覗き込む。小さな波紋を描いた紅茶を、ヒロは行儀が悪いとは思いながらも一気に飲み干した。その様を、おとはは今度はにこにこと微笑ましいものを眺めるような目で見つめている。
 お茶会は、いつだって憩いの場であり癒しの時間であり次の行動への士気を高めるものでなくては。
 カップを置き、勢いよく立ち上がる。後ろに突き飛ばされるようにして椅子が音を立てた。周囲の視線が誘われて集まるが、それも一瞬のことだ。

「話し、聞いてくれてありがとう」
「いいえ。お気になさらないでください」
「今度改めてお礼するよ」
「それでしたら、是非お二人ののろけ話でも聞かせてください」
「? そんなのでいいの?」
「はい!」

 変わった子だなと思いながら、ヒロは別れの挨拶もそこそこに走り出していた。行き先は勿論なるの元。背後から聞こえた「メルヘ〜ン!」が応援なのかはよくわからなかった。それでも出来るだけ、次におとはに会うときは無事仲直りした自分たちののろけ話を要求通り聞かせてあげられればいいと思う。その考えが如何に甘いかを、ヒロはまだ知らないのだけれど。
 それでも、メルヘンなお話の最後はいつだって同じ文句で締め括られるべきだろう。
 ――めでたし、めでたし。



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今日よりちょっとだけさみしくない明日のためのラプソディー
Title by『√A』




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