プリズムストーントランクを開けるのと同時に、なるは本日一番大切なストーンが入っていないことに気が付いて「あ、」と声を上げていた。咄嗟に口を押えたけれど、すぐそばで練習の準備をしていたいととあんの耳にはしっかりと届いてしまっていたらしい。「どうしたの?」と覗き込んでくるあんには、トランク内の空白箇所を指差せば事情が呑み込めたようだ。ハッピーレインで合わせておいた衣装の入ったストーンがない。練習だから、無くても別のストーンでプリズムショーをすることは出来るけれど、今日はもう最終調整として本番と同様にやってみようと事前に取り決めていたものだから困ってしまう。

「忘れたのか?」

 呆れて尋ねてくるいとの手には、彼女が今日の為に持ってきたストーン。あんも既に同様のものを持っている。それを見ると、なるは自分の不備を情けなく思うのだけれど、自分は確かに昨日の夜寝る前にこのトランクに今日使うストーンを仕舞ったはずなのだ。翌日の準備を当日に伸ばさずに寝る前に済ませておくことはいつからかなるの習慣になっていた。それを昨日に怠っていたとは思えない。何より記憶は確かに残っているのだから。そうなると、なるの知らない間にあったはずのストーンが無くなってしまったことになる。急いで探さなければならない。
 忘れたわけではないのだけれど、どこへ行ってしまったんだろうと首を傾げる。あんといとは、盗まれたのかと気色ばむけれどそんな物騒な事態だとも思わない。なるは店長を務めるディアクラウンのステージに来ると同時にトランクを開けたし、朝起きてからここに来るまでに顔を合わせた人物など数えるほどしかいない。そしてその一人一人を思い浮かべている内に、なるには事態の真実が見えて来てしまった。そしてそれは、正直に打ち明けてもいいけれどきっとあんといとを怒らせてしまうだろうから――怒られるのはなるではないのだけれど、誰かが怒られてる場面を見るのは得意ではない――、あまり上手いとは思っていないけれど精一杯の笑顔で、ストーンのありそうな場所を思い出したから行ってくると一息で言い置いてなるは駆け出した――それだけで、残された二人には事の中心にいる人物が誰かバレてしまうことをなるはまだわかっていなかった――。

 ――いつもそう、拗ねるとヒロさん、私の大切なもの隠すんだもん!

 必死に走りながら、頬を膨らませる。ディアクラウンのある表参道から、質に取られたストーンがあると思しき西新宿までは電車で十五分ほど。それすらも長く感じながら、なるは移動中にこれから行くので観念するように釘を刺す為のメールをヒロに送るか悩んだ。確証があるわけではないけれど、なるのトランクからストーンを抜き取ったのはヒロで間違いない筈だったから。
 ディアクラウンに向かう前、練習は午後からだったのでなるは午前の内にエーデルローズに立ち寄っていた。最近忙しいからとなかなかプリズムショーの大会やディアクラウンのショップに顔を覗かせてくれる以外に顔を合わせることができていなかったべると昼食を一緒に食べる約束をしていたのだ。勿論、その場にはおとはもわかなも同席した。いとやあんを誘っても良かったかと申し訳なく思ったが、約束自体はべるとしていたので二人が同席するかはわからなかったので仕方ない。おとはといと、わかなとあんはそれぞれ会っているようなので、なるはすぐその申し訳なさを忘れて久々の友だちとの会話を楽しんだ。ヒロと会ったのはエーデルローズを出てディアクラウンに向かおうとしていた矢先のことだった。そぐわない場所から出てきたなるにヒロは驚いたように瞬いていたし欠けていた眼鏡を外して目をこすりまでした。思えばヒロと会うのも随分久しぶりだった。メールや電話はしていたけれど、コウジやカヅキとの活動が新曲と合わさって多忙だった彼とのやりとりは体調の良し悪しを問うものだったり、朝と夜の挨拶で終わってしまったりと直接顔を合わせて話せばいくらでも続きそうな言葉のやりとりとはやっぱり違うものだ。だからなるは、偶然でもヒロに会えたことが嬉しくて元気よく「お久しぶりです!」と声を掛けたのだけれど。
 予想に反して、ヒロの表情はあまり明るいとは言えなかった。眉を顰めてなるを見下ろして何も言わない。わかりやすいヒロの不機嫌な態度に、なるは傷付くことはなかったけれど戸惑う。出会いがしら、何もしようがないのに。どう言葉を続けようかとしどろもどろになっている内に、ポケットに入れていたスマポに着信が入った。それは別れたばかりのべるからで、さっきまでの席に定期を忘れているとのことで慌てて取りに戻ろうとしたなるに、一転して笑顔を浮かべたヒロが声を掛けたのだ。

「取りに行ってる間、そのトランク僕が持っててあげるよ」

 今思うと突然すぎる申し出だったけれど、二人で出掛けたときなど危ないからと進んで荷物を引き取ってしまうヒロの言葉だったから大して疑いはしなかった。事実、慌ててべるたちの所へ走って行く間何度か転びかけたのでヒロの申し出には助かったと言える。けれど、今日使うストーンを取られてしまったのはその隙のことだろう。ヒロの元に戻ったなるにトランクを返すと、彼はこれから少しだけリーダーとしてしなければならない事務処理を片付けてから帰るつもりだと手を振って別れたのがまだ一時間も経たない内のこと。
 ヒロは拗ねると、なるの大切なものを隠してしまうから。もっとも、その隠し場所も決まって同じだから、なるはこうして急いで先回りして待ってみようと思うのだ。何で拗ねているのかも、きちんと説明してもらわなければならないのだから。


 西新宿のアパートに戻ったとき、太陽は既に傾き始めていて、階段の影になるが体育座りをしているのを見つけたヒロはバツが悪そうに顔を背けた。けれど無視して階段を上ってしまうこともできない。だって心の底では、こんな風に駆けつけて欲しくて、構って欲しくて、なるにヒロのことだけを考えて欲しくて彼女の大切なものを――それでも本当になるが困って嫌われるような事態に陥らないよう慎重に品を選びながら――こうして西新宿にあるアパートのポストに隠すようになったのだから。

「――なるちゃん、」
「……ヒロさん」
「うん。ずっと待ってたの?」
「ヒロさん、やることがあるって言ってたから先回り出来ると思ったんですけど、早く着きすぎちゃったみたいです」
「ショーの練習は?」
「いとちゃんとあんちゃんにはきちんと連絡しました。今日は行けないかもしれないって」
「怒ってた?」
「――えへへ、」

 笑顔で言葉を濁しても、二人の態度はヒロにありありと伝わったことだろう。それでもやはり悪いのでは自分だけではないのだと言わんばかりにヒロはなるから顔を背けた。「拗ねてるんですか?」と素直に尋ねてくるなるの問いにも「ふんっ」と更に意固地に顔を背けてしまう。ヒロが拗ねているときは、彼の素っ気ない態度にもなるが怒って声を荒げることはないという経験の積み重ねに甘えているのだ。危なっかしいなるを年下扱いして甘やかしてばかりいるつもりでも、ヒロも同じようになるに甘やかされている。そのことを自覚しているのに、どうしても年上らしく振舞い続けることができないでいる。今日だってそうだ。

「なるちゃんが悪いんだよ」
「どうしてですか?」
「エーデルローズに来たのに、べると会っただけで満足して帰ろうとしてたじゃないか」
「え」
「俺に会えるかもって、思わなかった?」
「えーっと、その……ごめんなさい」
「……じゃあ、こっち来て」
「? はい」

 ヒロの不機嫌の理由を何となく悟ったなるは、彼がこちらに来るよう伸ばした手を掴むことを躊躇わなかった。その手をどうされるかなんて予想はついていて、引き寄せられた力に「ああほら、やっぱり」と笑いながらヒロに抱き締められたことに驚きも抵抗も感じない。成程、確かにエーデルローズはヒロの領域でもあるのだ。べるとの会話が楽し過ぎて、ヒロに会えるかもしれないという可能性を失念していたのは失態だ。ヒロに対しても、彼のことが好きななる自身に対しても。だから、ヒロの不機嫌を癒す為の、罰則としての抱擁に抗ってはならないのだ。勿論、抗う気は微塵もないし罰にもなっていないのだけれど。久しぶりに抱き締められた温かさに安堵して目を閉じると、なるを振り回したヒロの不機嫌など可愛らしいことだと笑って許してしまえる。同じように、ヒロはなるの些細な薄情を今この瞬間に許していることを示し合わないまま二人はただ抱き合っていた。足元に伸びた二つの影も、一つに重なっていた。


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曇らせるのは拭いたいからだろう
Title by『ハルシアン』

BGM:虹/二宮和也


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