「はい」
 自販機で何か飲み物を購入しようと商品を吟味していたところ、横から差し出されたペットボトルの意図が分からずに、黒江は瞬く。差出人である古寺の顔を見上げてじっと見つめれば、彼は黒江の言葉を省いた問いかけに気分を害すことも怯むこともなくただ「あげるよ」と淡い笑みを浮かべるだけだった。黒江としては、古寺が自分にこのペットボトルを渡そうとしてくれていることは簡単に理解できた。だから聞きたかったのは、欲しがったわけでもないそれをどうして彼がわざわざ自分に差し出してくれるのか、その理由であった。警戒しているわけではないし、寧ろ嬉しかった。ボーダーでの黒江の周囲の人間は大抵が年上で、実力を示すポイント数に関わらず彼女を後輩として扱う人間ばかりだ。そんな人たちを相手に、彼女は自分が決して可愛げに溢れた少女ではないことを理解している。
「……ありがとうございます」
「うん、どういたしまして」
 だから古寺との無駄のないやりとりはひどく気楽だ。拒まれているわけでもなく、見下されてもいない。問いかけには適切な答えを、最低限だから黒江だって無礼を働く隙がない。年齢など関係ないような、そんなやり取りが幼さと実力のせいでつい認めたがる自尊心を満たしてくれる。でもどうしてか、その無駄のなさが、物足りなさに思えるときがあることも事実だった。
「あ、あの、古寺先輩」
「ん?」
「もしよろしかったら今度戦術指導していただけませんか」
「え? おれに? 加古さんじゃなくて?」
「は、はい。あの、この間のランク戦のときの説明、すごくわかりやすかったので!」
 突然すぎたし、どこか必死に映ったら格好悪くていやだとも思う。でも一度放ってしまった言葉は取り消せないし、そもそもこの頼みに偽りはない。受け取ったペットボトルをぎゅっと握りしめて返事を待つ。恐る恐る古寺の顔を見上げれば、彼は彼女の頼みに困っているというわけではないようだった。
「今日はこれから任務で……明日はスナイパーの訓練で奈良坂先輩と予定が入ってるから、早くて明後日からになるけど、大丈夫?」
「は、はい! 大丈夫です!」
「そっか、じゃあ明後日のこの時間に――待ち合わせ場所はここでいい? この自販機の前で」
「わかりました! よろしくお願いします!」
「うん、それじゃあ今日はこれで」
「はい、任務頑張って下さい!」
 我ながら、すいすい素直な言葉が出てくる。表情からはきっと古寺もわからないだろう。しかし本人である黒江には今自分がいかに浮かれきっているかがありありと理解できた。嬉しい、古寺が自分の頼みを聞いてくれて、自分と個人的に会う約束を受け入れてくれて、本当に嬉しい――!
 軽く手を挙げて任務に就くべく離れていく古寺に深く頭を下げて見送る。ひどく喉が渇いて、彼から貰ったボトルの蓋を開けようとして、それもどこか勿体ない気がしてしまい黒江は結局自分の財布から取り出した小銭を自販機に投入し、今手に持っているものと同じものを買う。取り出し口から掴んだそれの蓋をすぐ開けて喉を潤す。これでどちらが古寺から貰ったものかわからなくなることはない。
 じっと自販機を見上げる。明後日、今日と同じ時間ここに来ればいい。そうだ、と黒江は思い立つ。ちょっと早く来て、古寺の分の飲み物を買っておこう。言い訳の定番であるお礼の文句は使い放題だし、問題も障害もないはずだ。この約束はあくまでボーダーの隊員として戦闘能力を高めるための訓練の為であって、デートなどではないことくらいわかっている。わかっているけれどもそれでも、この自販機の前で古寺を待つ間くらいは、浮足立った気持ちでいたっていいはずだ。この約束は、黒江双葉の勇気の成果なのだから。


20150204


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