高架下の落書きを、これは何だとあの白髪の少年に尋ねられたらどう説こうか。スプレーで描く奇怪な髑髏や宇宙は修の背丈よりもずっと大きく、これらを描いた人間の体躯を想像の中で肥大させてしまう程だった。明るくはないけれど、見事な色使い。横目に流れていく、どれだけ巧みであろうと振る舞い自体が褒められないその絵を修はどこか親近感を持って眺める。整えられた景観の中では馴染まない異質な物。今の修自身がそうだった。三輪秀次という人間の隣を歩くには、自分は全く馴染んでいないと思う。居心地の悪さは肩書きの差だけではないはずで、A級とB級の差は愕然としており、また修の力量はその中でも下位に沈んでいるのだから、二人の実力差は相当な物があるのだろう。

「遅いぞ」

 視線だけで、歩みは止めない。修の為にはそれをしない。三輪の態度を、修は当然だと受け止める。「すいません」という謝罪と同時に開いていた距離を小走りで詰める。目的地はわからない。方角としては、ボーダー本部からは遠ざかっている。そもそも三輪と遭遇したのが本部のC級のランク戦ブースだったので当然のことではあった。
 十センチもない身長差は、しかしそれ以上の距離感を修に感じさせている。心理的距離であるというのなら、閉じているのは三輪の心であったし、修の心でもあるのだろう。近界民に家族を奪われた三輪に、軽々しく可哀想などと印象を押し付けるつもりはないけれど。修だって、家族ほど身近ではないにせよ大切だった人を奪われて、取り戻す為に今動いている。しかしそれでも、死と誘拐の字面がもたらす絶望感の差は拭えない。修は家族でなかったから、一番に悲しむべき人間は自分ではないと大切な女の子を見守りながら己を奮い立たせることもできた。実力が伴わなかったとしても、折れずにいられたことは修の核となり道を示してくれた。
 ――けれど。
 勝手に推察するべきではないけれど、修は横目に三輪を窺いながら思う。この人は、折れてしまうべきだったのだと。大切な家族を、姉を殺されて。憎しみを糧に生き残って、復讐の手段として力を手にして、生きている三輪は、きっとこの三門市内に於いて真っ当な感情任せの生き方をしている。そうするだけの能力があった。羨ましいとは思わない。それは三輪の姿勢には関係なく、無い物ねだりをしても仕方がないという修の諦観とは違う堅実な部分が断案している。
 修にとって、近界民に対する感情は正直二の次だった。近界民に何をされたと嘆くよりも、近界民をどうしたいと滾るよりも、彼は自分の大切な女の子を守りたかった。尊敬する先輩に託された願いを叶えたかった。相手が誰であるかは、実のところあまり関係がなかったように思う。だから修は、自分の直感――そうはいっても、判断を下すには他人よりも時間がかかっているのだが――が悪ではないと訴えた近界民の遊真と親しくなることに何の疑問も持たなかった。寧ろ、目指す背中として、並べ合う肩としてこちらの世界で遊真より付き合いの長い人々よりも近しい付き合いを続けているといっていいだろう。そして、それが隣を歩く三輪の不興を買っていることは想像に難くない。
 ――空閑にだっていいところがたくさんあるんですよ。
 言うは容易く、それ以上に彼の怒りに火を点けるだろう。理解して貰うには、修には三輪への理解が足りていない。三輪にとって、空閑遊真という固有名詞は飾りにもならない。人格も容姿も意味を持たず、近界民であるという広すぎる括りが彼の憎しみを煽る。単純でわかりやすく、悲しいほどに真っ直ぐな三輪の世界だった。

「――三輪先輩」
「何だ」
「どこまでいくんですか?」

 修の声は、親しくもなく寧ろ敵意すら孕んで接してくる人間に無言で連れ回されている人間にしては、やけに凛と響いた。





「どこまでいくんですか?」

 修の問いに、三輪は口元を動かさずに奥歯を噛み締めた。その問いは、三輪だって聞きたかった。同じように、「どこまでなら、お前は着いてくるんだ」と尋ねたかった。
 三輪にとって、修は余所者だった。姉を第一として、三輪の周囲には志と行動の一致を以てしか同士を作れなかった。同じ隊の人間すら、友だちとは呼べないのだろう。近界民への憎しみと排除が三輪にとっての正義であって、排除はするのに別段憎んではいないのだと――いい奴だっているんだから親しくもできるだろうなどとほざく――連中は理解できなかった。いい奴は、人の大切な家族を殺したりはしない筈だ。絶対に。
 三雲修は、三輪の目線で捕える限りいたく平凡な少年だった。トリオン量も、戦闘経験も乏しい、ボーダーの下位で燻って終わるだけの凡庸な少年だった。そしてそれは三門市内に於いては安全地帯に留まれるということだ。三輪は望まないけれど、近界民への憎しみを持たない人間には最良の場所だろう。そこから明らかにはみ出してしまったのは、あの黒トリガーを持つ近界民と関わったからだ。三輪には偽りの友情としか思えない感情で結びついて、下手くそな嘘までついてボーダーから、正義から匿おうとした。それは三輪には信じられない背徳行為だった。
 けれど、修自身が悪い人間でないこともわかる。C級時代に彼が規律違反を犯した際の処分の場に居合わせていた三輪には、人間として正しい情を働かせて行動できる人間のように映った。ただどうしたって現実への認識が甘すぎる。弱いことは、最悪の事態を迎えたときに自身への消えない罪となる。だから強くならなければならない。けれどどうして玉狛支部などに異動してしまったのか。それもまた三輪には腹立たしい。そもそも自分が修に何か言える立場にはないこともわかっていて、しかし感情は直進するばかりだった。飄々と人を馬鹿にしたように物事を裏から手繰る余裕など、三輪にはなかった。そして修にも。
 守りたいものがあるのだろう。三輪にはもう、守れなかったものしかない。だからというわけではないけれど、守れる可能性の為に、最善の方法で着実に強くなっていく修が眩しかった。羨ましくはない。希望を持ち合わせた人間に自分の過去を重ね合わせてもしもと未来を空想するのは惨めなだけだから。三輪には、過去と現在しか必要なかった。未来なんて、描くものではなく近界民を殺す自分の積み重ねで十分だ。

「――真っ直ぐだ」
「……はい?」
「真っ直ぐ進む。行き止まりにぶつかるまで、ずっと」
「行き止まり…」
「行き止まりになったら、好きな方に歩いて行けばいい」
「――三輪先輩?」
「だからそれまでは、隣を歩け」
「………はい」

 目的地の説明にはなっていないなと思いながら、三輪はほっと息を吐いた。修には、自分の言葉は通じているという実感が持てた。
 近界民は敵だった。それは姉を失った日からぶれることのない三輪の指針だった。同じ指針を持つ人間の元に集ったつもりで、同じ指針を持つ人間と肩を並べていたつもりでいた。それがいつの間にかぶれて、同じでなければ仲間とも思えなくて、三輪の世界はどんどん狭まっていく。修はきっと、三輪の世界の外側にいるのだろう。
 それでもどうしてか。親しくもない、交流もない、あまつさえ本人が友人だと主張している相手に初対面で銃をぶっ放すような仏頂面の先輩に連れ回されてさぞ居心地が悪いであろう三雲が隣にいるという現実に、悪くない気分だと思ってしったことを三輪は心の片隅で自覚した。
 だから行き止まるまでは。真っ直ぐにしか進めない自分たちの道が、決して交わらない道に折れてしまうまでは。どうかこのまま、触れることもなく並び歩くことが許されるよう、三輪は願った。




20140405