予め入れておいた予定が流れてしまった時間というものは、自由というよりも手持無沙汰で扱いに困ってしまう空白のようだった。修は携帯を開きもう何度も目を通したメールを再度読み返した。今日の修は非番で、C級の合同練習も入っていなかったので午後から玉狛支部で各々師匠に稽古をつけてもらうことになっていた。しかし烏丸は夕方までバイトが入っているとのことで、修だけは途中まで彼が残してくれる指示書に従って自主練に励むつもりでいた。しかし宇佐美から「みんなへ!」という件名で玉狛支部の隊員に一斉送信されてきたメールによると、朝一番に陽太郎が絡んだちょっとした騒動によりオペレータールームのパソコンが破損したらしい。トレーニングルームの管理も一括に行って いるので出来るだけ早く買い換えようと動いては見たものの業者によると明日までには何とかというはっきりとした時間帯が割り出せないことと、セッティング等慌ただしくなるだろうから申し訳ないが今日の予定は次の機会に流して欲しいとのことだった。修はレプリカに遊真もこの件を把握しているかどうか尋ね、二人分の了承の返事を出した。元より、本部に行かない日の殆どを玉狛支部で過ごすようになってきていたので一度くらい予定が流れたくらいで肩を落とすほどのことでもないのだろう。尤も、修個人の感情としては一日も無駄にせず研鑽を積み少しでも早く遊真や千佳に肩を並べられる実力を身に着けたいというのが本音ではあるが、急いては逆に道を誤る可能性もある。冷静に、慎重に、目の前 の日々に対処していくだけだと息を吐く。
 しかし午後からの予定がきれいさっぱり空いてしまったことは事実だった。今日のために宿題も予習も前日の夜にしっかり済ませておいた。仮にも受験生という身分ではあるが、毎日必死に机にかじりついて勉強しなければ届かないような高校を望んでいるわけでもない。そうでなければボーダーなどやっていられない。
 折角暇になったのだからごろごろして過ごそうという発想に至れないのが修の生真面目なところで、何か済ませておくべき用事がなかったか、次の予定のために片付けておいた方がいい事案はないだろうかと数分腕を組み唸ってから、やはり何もないなという結論に達した。

「――空閑はどうしてるかな」
「ユーマなら暇になったからと食べ歩きをするつもりのようだ」
「食べ歩きって……まさかジャンクフードばかりじゃ……」
「シャカシャカチキンが今ブームらしい」
「……レプリカ、空閑に今から昼ご飯を食べに出かけないかって聞いてくれ」
「ふむ。心得た」

 保護者ぶるつもりはないけれど。遊真がどんな不健康な食生活をしたところで成長に悪いなんて叱り文句を使えないこともわかっているけれど。心の底から物珍しさに胃袋を満たして満足していることもわかっているけれど。それでもやっぱり修には、友人がジャンクフードばかりの偏った食生活に身を置いているという事実にじっとしていることができないのであった。


 待ち合わせにあっさりと応じた遊真は、どうやら修がどこか新しい食事処に連れて行ってくれると思っているらしかった。元よりそのつもりではあったが、遊真の「期待してますぞ」と冗談めかした台詞に修の中で妙なスイッチが入ってしまった。どこがいいだろうかと道端で真剣に悩む修の姿に、空閑はどこか眩しいものを見るように瞳を細めてそれから「どこでもいいぞ」と訂正の言葉を入れる。自分の為にいちいち心を砕こうとする修の姿に、遊真は当たり前と慣れることはない。
 修は呼び出しておいて具体的な案を持ってきていなかったことを気恥ずかしく思うのか、頬を掻いていると偶然目に飛び込んできた看板を指差して遊真に「回転寿司でもいいか?」と尋ねてくる。寿司が回る以前に寿司すら食べたことがない遊真は首を傾げながら、しかし不満があるはずもなく素直に頷いた。
 全国展開しているチェーン店だけに修も名前だけなら馴染みのある店だが、如何せん子どもだけで寿司を食べに来たのは初めてで落ち着かなかった。席に案内されて、レーンの上をゆっくりと流れていく寿司に遊真は「おお」と小さく声を漏らした。

「これを取って食べるのか?」
「そう。もし食べたいのが流れてこなかったら注文することもできる」
「ふむふむ、面白いな」
「気に入ってくれたならよかった。――まあ、特にぼくは何もしてないんだけど」
「む? こら、オサムは直ぐにそういうことを言う」
「え? ああ、ほら、空閑、箸が難しかったらお寿司は手で食べてもいいんだぞ」
「そうなのか? それは助かる」

 早速レーンからまぐろの皿を取り、箸で掴もうとするも形を崩してしまった遊真に慌てて教えてやれば彼はさっそく手で寿司を掴み口に放り込んでいく。そのペースの速さに、遊真が大金を所持していることは理解していても修の冷や汗は止まらない。店員に子どもたちだけであんなに食べてきちんと支払いができるのかと邪推されているのではないかとか。高額な値段設定はなされていないとはいえ、修はつい心配せずにはいられないのだ。
 修がようやく三皿食べ終える頃、遊真の皿は十枚を軽く超えていた。修の目には、遊真が回転寿司という場所を楽しんでいるように見えたので(あくまでも修の目には)、それだけで充分今日の目的は達せられたように思う。さて目的が何だったのかといえば、遊真の食生活が気になっていたからジャンクフード以外を食べさせるというこの場一回限りでは意味もないことだったのだが。

「? オサムはもう食べないのか?」
「ああ。ぼくはもういいよ」
「小食ですな」
「そんなことないよ。空閑は?」
「おれもじゃあこれで最後」

 レーンの上を真剣に眺めていた遊真にぼんやりと視線を送ってしまっていたことがばれても気まずくはなかった。遊真も居心地が悪いわけではなく、修の自分に対する何かしてやりたいという態度が雰囲気に滲んでもそれを拒もうという意思はないのだ。ただそこまでしてくれなくてもいいのにという想いと、そこまでしてくれて嬉しいという想いがせめぎ合って、礼なんぞ求められてはいないから何も言えなくなってしまう。
 遊真はこの世界の常識に疎く、近界にいても同年代の子どもと友情なんて築いたことはなかった。生きることにもしがみつけなくて、望みを託すには細すぎる光を頼りにやってきた場所で馬鹿正直に生きる目的をこじつけてくれた修に、遊真は確かに感謝しているのだ。修に言わせれば、感謝するべきなのは自分の方だと言い出すに決まっているけれど、義務ではなく、遊真の素直な気持ちがここにある。

「なあオサム」
「ん?」
「今日はありがとうな」
「な、何だ急に。誘ったのはぼくの方だろう」
「うん、オサムが誘ってくれるから、おれは何だか色んな世界に足を踏み出してしまうのかもしれないな」
「そんな……回転寿司くらいで大袈裟だよ」
「いいんだって。おれがそう思ってるって話なんだから」
「――じゃあ、また誘うよ」
「おう、楽しみにしてる」

 遊真がレーンから最後に取ったプリンを食べている間、修はじっと俯いて彼のらしくもない謝辞に照れて赤くなってしまった熱が早く引いてくれるようひたすらに祈っていた。ありふれたことをしているだけのはずだ。修も、特別仲のいい友だちと出掛けるといった経験は乏しいけれど、礼を言われるほど大仰なことをしているつもりは、やはりない。そんなことの一つに遊真からお礼を言われてしまうと、彼の住んでいた世界が遠く感ぜられて時折胸が痛む。近くにいない遊真の影に物憂げに沈んでも仕方がないとはわかっている。まさか独占欲なんて、抱いていいはずがないのだ。だから言葉通り、また誘おう。食事にでも、遊びにでも、何も用がなくたって誘ってみよう。
 遊真にとっての新しい世界が修の傍にある場所ならば、躊躇いもなく彼の手を引こう。のどかなBGMの流れる回転寿司屋の店内で誓うには真面目過ぎる修の密かな決意が固まる頃、遊真の「ごちそうさま」という声と手を打つ音が静かに響いた。




20140711