朝から本部に出掛けているという迅の姿を、知り合いの方が少ない人混みの中に探す。関係者しか入れない本部の中できょろきょろと頭を動かす修の姿は、C級の隊服を着ていればまだしもB級のロゴが入った隊服のせいで時折視線を集めている。そうでなくとも、知っている人間が見れば修がA級3位部隊のアタッカーである風間と引き分けた人間――この際24敗したという情報はあまり価値を持たない――であることに気付いただろうし、同じくA級の緑川にぼこぼこにされて、横槍を入れるように緑川をぼこぼこにし返した彼の持つ戦闘訓練の記録を抜いた白チビに隊長と呼ばれていたことに気付く人間もいるだろう。加えて、元S級隊員かつ現A級隊員の実力派エリートに親しげにメガネくんと愛称で呼ばれ連れて行かれる姿まで目撃していれば修に対する「謎メガネ」という評価は影でじわじわと根を張り続けているのだ。
 そんな修が、C級隊員の合同訓練日でもないのに決して居心地がいいとはいえない本部に姿を見せているのは、朝から本部に呼び出しを受けている迅に用事があるからだった。
 ――4月9日。
 この日が迅の誕生日であることを修が知ったのは、つい一昨日のことだった。誕生日のお祝いにご馳走を作るからと、木崎に烏丸とスーパーまでお使いに行って来てくれないかと頼まれたとき修は初めて迅の誕生日を知った。当日を迎える前から購入してきた食材をおおっぴらにキッチンに並べてから、丁寧に冷蔵庫に仕舞う木崎の姿を眺める修に烏丸は「迅さんには誕生日のサプライズとか成功率が低すぎるから、こそこそしても仕方ないそうだ」と教えてくれた。烏丸も本部から玉狛に異動して一年とそこらである為、そもそも玉狛支部の隊員の誕生日を祝う為にご馳走が振る舞われるという風習そのものを感心したように修の隣に立っていた。「とんかつは出ないか」と、どこか残念そうに呟いた烏丸の声は、迅の誕生日という文字を脳内で反芻し続けていた修の耳をすり抜けてしまった。
 遊真や千佳を含め、自分たちは迅に多分に世話になった。玉狛に異動して隊を組むことができた以前に、修と遊真に至ってはそもそもボーダーに籍を置けていること自体が迅のおかげと言っても過言ではない。勿論、迅が親切心だけで自分たちを庇護してくれたわけではないことくらいわかる。修に言わせれば遊真は兎も角特に自分を玉狛に呼んで、かつB級への昇格までお膳立てして貰ったところでボーダーを含め迅には何のメリットもないように思えるのだが。師匠の形見、あるいは師匠そのものである黒トリガーを本部に返上してまで遊真をボーダーに入隊させてくれて、千佳の友人と兄を助けに行くために必要な実力を身に着けられるよう師匠とも引き合わせてくれた。しかし暗躍が趣味だという迅は、自分が手引きしたことを大仰に悟らせることをしない。風刃の件も、修は風間に教えてもらわなければ迅がA級になったという噂を耳にする機会を得るまで気付かなかっただろう。そんな風であったから、修は一度たりとも迅にお礼らしいお礼をしたことがなかった。迅も気にしていないに違いない。修はまだ何も達成していない。お礼を言うにはおかしなタイミングかもしれない。けれど誕生日なら、お祝いにかこつけて気持ちを籠めることはできるはずだった。それも勿論、迅本人を捕まえられればの話である。
 思えば、修は迅が暗躍していようがいまいが彼のことを殆ど知らないのだ。玉狛の人間である修が本部にやってきても、身の置き場はラウンジかランク戦のブースか。目立つことを望んではいないのに、どうしてか集まってしまう視線を避けてひっそりと佇むしかない。それに比べて迅が本部に立ち寄るときは大抵本部側からの呼び出しがあったときで、迅を呼び出す人間は上層部の誰かであることが大概であるから、修では近寄り難い以前に近寄る理由が――最近では――ない会議室であったりする。S級でなくなってからはスマホを片手にげんなりした表情で「またランク戦のお誘いだよ」と出掛けて行くこともあるけれど、迅を誘うということはそれだけで相手も相当の実力者だと知れる。所謂古株でもある迅のボーダー内での知り合いは多く、偶に本部で見かけても隣に修の知らない誰かを伴っていることが多い。
 もしかしたら、自分が迅について知っていることなんて本部で迅の隣を歩いている誰かよりも少ないのかもしれなかった。不意に異様なまでに迅を慕っていた緑川を思い出す。迅にとって、自分はボーダーが発足してから助けてきた大勢の人間の内の一人に過ぎないのだ。ボーダー隊員で、遊真と出会ってから人よりちょっと事情が込み入っていたものだから、結果として迅に近い玉狛支部にまで異動してしまったけれど。
 このままでは、一日中本部内を歩き回ったとしても迅を見つけることはできないかもしれない。何度か会議室に続く廊下を覗きこんだりもしたものの、ひっそりと静まり返ったそこには果たして会議が行われているのかどうかも判然としなかった。夜に迅の誕生日を祝うご馳走が待っているのだから、玉狛に戻れば顔を合わせることは確実だ。ただ、何となく。修は本部で、ひとりで歩き回るこの最中に迅を見つけたいと思った。プレゼントの入った紙袋をテーブルの上に置いて、ラウンジのテーブルに突っ伏す。歩き回って、喉が渇いたけれど飲み物を買う気力もない。修にしては珍しい、徒労を隠しもしない体勢を気遣って声を掛けてくる親しい人間もいないのだから寧ろ気楽なものだ。

「――もう、玉狛支部に戻ろうかな」

 プレゼントなんて、二人きりで渡さなければ機会を逃すような後ろめたいものでは決してないのだから。
 独り言は、ひとりぼっちの自分を鼓舞するためのものだった。修の場合は、自分の選択を容認する為の確認作業だった。けれどもその独り言に応える声は、修が座る二人掛けの席、その対面側の椅子が引かれる音と同時に降ってきた。

「あれっ、メガネくんもう玉狛に帰るんなら一緒に帰ろうか」

 反射的に顔を上げれば、そこには今日一日探しまわっていた迅がなんてことない飄々とした笑みを浮かべて座っていた。修は彼の名前を呼ぶよりも先に、テーブルの上に置いてあった紙袋をひったくるようにどかす。そうして開いたスペースに、迅は肘を着く。

「えっと、…こんにちは」
「はい、こんにちは」
「もう、本部での用事は済んだんですか?」
「済んだよ〜。メガネくんの方は? 今日は遊真たちの付き添いじゃないよね?」
「……えっとですね、それはその――」

 迅に誕生日プレゼントを渡したくて探しまわっていたという正直な理由は、支部で待っていてくれたらよかったのにと返されることが怖くてすんなりと口から出てきてくれなかった。嘘を吐くことが下手くそな修は、遊真のようにはっきりと嘘を見抜くサイドエフェクトを持っているわけでないにせよ、年上の迅を上手に躱す術を持ち合わせていない。
 迅を前にすると、どうしてか見抜かれてしまっている感覚に襲われて、そのくせその感覚に身を任せて正直に全てを曝け出すには、迅の態度は優し過ぎて怖い。迅の特別扱いを知らない修は、自分たちが充分彼に優遇されている現状を頭の片隅では理解しているつもりでいても、それぞれの事情に固執してどこか余所者の態度を拭い去れないでいる。そのくせ、迅を遠いなどと思うのもまた修自身なのだ。

「あのね、メガネくん」
「――? はい」
「おれ、今日誕生日なんだ」
「はい、知ってます。今日の夜はご馳走なんですよね」
「そうそう、だから遅くならないようにしないと」
「あ、じゃあ――」

 もう行きますかと腰を上げた修を手で制して、迅は笑みを深めた。戸惑いながらもまた座り直す修の前に、お小遣いを強請る子どものように、意思を持って差し出される、手。

「――プレゼント、頂戴?」

 迅の視線は修と、修の膝の上に移動させられた紙袋を捉えている。さもそれが自分の為に用意されたプレゼントなのだろうと言わんばかりに。実際その通りなのだけれど、修は冷や汗をかきながら逆らえない雰囲気におずおずとそれを差し出す。迅はまたしても子どものように、紙袋を両手で抱えてありがとうと礼を言った。それは修が迅に言いたかった言葉なのに、またしても言いそびれてしまった。

「何人かにはおめでとうって言ってもらったんだけど、やっぱりメガネくんに祝ってもらえて嬉しいよ」
「いえ……大したものじゃないんですけど……」
「そんなことないって! 来月末は期待しといてね〜。おれ頑張るから」
「え?」
「メガネくんの誕生日、来月だもんね」
「知ってるんですか?」
「そりゃあ知ってるよ」

 肝心の理由を伏せながら、迅はさも当然のことのように修の誕生日を知っていると言い、修が自分の誕生日を祝ってくれたことは他の人間に祝ってもらったこととはまた別に嬉しいのだと言う。
 ――乗せられてるのかなあ。
 思いながら、まさかこれも迅の暗躍の内ではあるまいと修は考えを打ち払って今度こそ玉狛に帰ろうと席を立つ。今度は引き留められなかった。当たり前のように、本部の隊員の多くに広く顔を知られている迅の隣に並んで歩き出す。ラウンジでテーブルに突っ伏すずっと前から自分を探して必死に歩き回ってる所在なさ気な姿が可愛いと迅にこっそりムービーで撮られていたなどと知る由もない修は、やはり自分がもう駄目だと諦めそうになるときに颯爽と現れる迅は格好いいなどと思っている。
 お礼の他におめでとうすら言いそびれていることに気付くのは、帰り道を半分も過ぎた頃の話である。




20140409
Happy Birthday!!