意図せず触れ合ってしまった手を、不自然に引っ込められた瞬間。熱があったら倒れていそうなくらいに赤くなった顔を覗き込んでしまった瞬間。風間は「ああそういうことか」と、修の気持ちに気が付いてしまった。他人の気持ちなど決めつけるべきではないとわかっていても、この時ばかりは確信という言葉が相応しいくらいに理解した。伝わってきたというほうが正しい。動揺というよりは純粋な驚きが支配する風間の瞳が見開かれる様を、しかし修は恥じらいとは違う泣き出しそうな瞳で見つめていた。そのことも、風間の確信の裏付けになっている。何より、この出来事があって以来修が露骨に風間を避けているということが証拠だった。その期間約十五日。カメレオンを持ち出して修の不意を強襲しなかった自身の忍耐力を風間は讃えたい。だがそれも二週間が限界だ。時間は刻一刻と前に流れていく。無駄にすることは許されない。そのことは日々、連れ去られた大切な人を助け出すために研鑽を積んでいる修であれば重々承知しているはずだ。修の覚悟と風間の焦燥は全く別の類のものであると指摘してできる猛者がいるはずもなく、そもそも無言のまま普段から無表情に近い涼しげな相貌のまま不機嫌なオーラをまき散らしている風間に近付いて来る者がいるはずもない。同じ隊の人間すら、ここ何日間かの風間の苛立ちに気付くやいなや無関心を貫くことを決定したらしい。周囲に八つ当たりする人ではないという信頼の下、触らぬ神に祟りなしといったところだ。
 ――三雲はきっと自分のことが好きなのだ。
 頭に思い浮かべる修の姿と好意の矛先を自分に持ってくることを、自意識過剰の恥ずかしい行為だとわかっている。けれどその解釈がしっくりきてしまう現状と、同性同士であればいやまさかと否定して目を逸らしておいた方が都合のいいはずの好意を見失わないよう回想を繰り返す自分がいることを風間は否定しない。
 ボーダーの新人入隊式にて風間の模擬戦の申し出を受け、観察眼と発想力と明確な意思で以て24敗もののちにやっとこさもぎ取った引き分けの価値をどれだけの人間が理解してくれるだろう。無価値だと呼ぶ人間の方が多いことを風間は知っている。行われたのはポイントの動かない模擬戦で、しかも勝利したわけではない。修に間違って誇大した風評により余計なトラブルを招きよせる結果に繋がったし、その後は自分との模擬戦に関する間違った噂が風間の評価を貶めたのではと冷や汗をかいていた。他人の評価など風間は今更気にしない。ボーダーに属する以上やるからにはトップを目指すという決意に変わりはなく、その為に明確なポイントとシステムがある組織の中で下位の人間の要らぬ言葉に惑わされるほど風間は軟ではない。その辺りは、修とて似たようなものだと思っていた。年上であろうと年下であろうと気を使い過ぎる。それが修の他人に対する距離の取り方だった。そこまで分析すると、風間の中に浮かび上がるのは不愉快の念だった。修の――玉狛支部の人間であるからこそ目につく――特別は彼の両サイドを固める小さな二人組だった。それは風間に出会う以前に完成した関係で、別にその二人に取って代わりたいなどとは思っていない。
 それでも、わざわざC級の訓練時間に合わせてひとりきりのときを狙って修に声を掛けたのは、今になって思えばわかりやすい風間の下心だった。他者の模擬戦やランク戦をブースにあるモニター越しに観戦している修に声を掛けて、周囲の様子から模擬戦を持ちかけるのは咄嗟の判断で止めた。代わりに同じ模擬戦を観戦しながら修の分析に耳を傾け、修正や仮定の戦況に対する対応案を話し合った。A級隊員には不思議がられるほど声を掛けられている姿を目撃されている修は、同レベルの力量で気楽に話し合える友人関係の隊員がいないらしく風間との会話にいたく感激と感謝の意を示した。大袈裟だなと肩を竦める修に、取りあえず落ち着けと飲み物を買ってやろうとしたのが悪かったのかもしれない。風間は振り返る。遠慮する修の声を黙殺して、自販機に小銭を入れてボタンを押して、商品を取り出そうとしたときにそれは起こった。
 風間に世話になり過ぎては申し訳ないと思う修が、飲み物を取り出そうと身体を屈めたのを見て――大した労働ではないにも関わらず――、それ以上は自分が働きますと慌てながら自販機の商品取り出し口に手を伸ばし、偶々二人の手が触れ合ってしまった。改めて振り返っても、それだけのことだ。数秒きりの、事故だった。けれども修は大袈裟な所作でその手を引っ込め、すいませんと謝罪を繰り返し、極め付けには耳まで赤くして風間の前から逃亡した。それからの約二週間、修は本部で風間を視界に収めようものならば即座に回れ右をして来た道を引き返し、その露骨さは風間の死角にあっても第三者の修を訝しむ発言が耳に届くことにあってもその逃亡が発覚してしまうほどだった。呆れの息を吐きながら、時間が立てば修の気持ちも落ち着きを取り戻すだろうと見て見ぬふりをしてきた。そしてその限界が訪れただけの話だ。修の気持ちの真相はともかく、これ以上の遠回りは風間の精神衛生の為に非常によろしくない。
 そして風間が捕まえると決めてしまえば修の捕獲など容易い。カメレオンを発動していれば猶更。非番なので、近界民の襲撃があったとしても問題はない。

「――しかし全ての物事はいつまでも逃げおおせるものではないぞ」
「…………」
「のこのこ本部に顔を出している時点で逃げ切れるわけがないだろう」
「く…空閑と千佳の付き添いが…」
「真面目だな」

 俯く修に前髪に隠れることのない眉を顰める。風間との気まずい雰囲気から逃げ回るより、空閑と千佳の付き添いを全うすることの方が修には重要であるという事実。自分のことと、他人のこと。その他人の中にいる風間のこと。正確な比重など割り出せるはずがないと知りながら、風間はやはり不愉快だと奥歯を噛みしめた。全てを詳らかにしなければ、風間は修の中で仲間の二人よりも蔑ろにされていると感じる。そう感じて不愉快だと訴える資格と、その認識を改めろと求める資格。それは修が風間に抱く感情よりも、風間が修に抱く感情が根拠だった。

「――三雲」
「……はい」
「お前、俺のことが好きだろう」
「すっ!? う、えっ、はい! いえっ!」
「どっちだ」
「う、うあああ……」
「落ち着け」

 慎重な言葉運びを求めていたのかもしれないが、そんな優しさは修が風間を避けまくった二週間の間に砕け散った。赤くなったり青褪めたりを繰り返す修の脳内でどんな予測が行き交っているのかは知る由もない。ポジティブに考えることをしない修のことだから、今こうして捕まっていること自体風間の不興を買って折檻されるとでも思っていそうだ。折檻されるだけならまだしも、完全な拒絶の言葉を告げられることもあり得ると、修の顔は赤くなることをやめ今や蒼白で、こんな光景を第三者に見られたら確実に風間が修を追い詰めているように――強ち間違いではない――映ってしまうだろう。そしてそんな他人の心象は、くどいようだが風間にとってはどうでもいい。

「三雲、お前想像の中の俺の答えを勝手に決めつけて落ち込んでいるだろう」
「うっ、あ……はい、」
「思い込みは視野を狭めるぞ」
「わがっ、わかってます……」
「本当にそろそろ落ち着け」
「――はい」
「俺はお前が嫌いじゃない。だから勝手に俺のことを決めつけて落ち込むのはやめろ」
「……えっ」

 虚を突かれ、顔を上げた修の視線は風間と正面からかち合う。無言で逸らすなと訴える風間に、その意思に逆らう勇気と好きな人と見つめ合う恥ずかしさに耐える羞恥心とではどちらが強いのか修の混乱しきった頭では判断が付かない。風間の「嫌いじゃない」という言葉の真意だって、わかるわけがない。自分は風間という人間を客観的に分析してその言動から感情を読み解くような真似はできないのだ。
 そう、しきりに混乱している修がもう限界だと床にへたり込むのを見つめながら、風間には寧ろここまで来てどうして察せないのだろうと修の鈍さが心底不思議で仕方がなかった。二人して、お互いのこととなると視野が狭まってきているのだと正常な判断が下せるようになるのは、この後とにかく一息つくべきだと飲み物を購入する為に自販機に向かいその商品を取り出そうとした二人の手がまたしても触れ合った瞬間、同じく顔を真っ赤にして手を引っ込めた修が逃亡を図ったその首根っこを掴まえた瞬間なのであった。




20140520