「×××さんと付き合っているんしょう」

 告げられた好意を断ると即座に切り替わる異性の表面に、奈良坂は表情には出さないだけで、実はいつも驚いて、呆れて、怯んでいる。断定的に気色ばんで、失恋した自分を可哀想と酔っている女の顔で言い募る相手の名を――目の前にいる彼女の名も、その彼女が挙げた、どうやら奈良坂と付き合っていると勘違いされる間合いにいるらしい相手の名前すら――奈良坂は知らなかった。呼び出しの手紙は匿名で、時には第三者に仲介を頼み、稀に「ちょっといい?」と顔を赤くしながら教室へ戻ろうとする奈良坂の進路を塞ぐ様々な女子の顔がのっぺらぼうのように白で塗り潰されて脳裏を過ぎった。つまり、よく思い出せない。

「そういうことにしておきたいなら、いいんじゃないか。その×××さんとやらと、俺が付き合っていた方が、アンタがヒロインぶって喚き散らして周囲に同情して貰えるなら」

 瞬間、好意を打ち明ける直前とはまた別の、屈辱や羞恥に歪み顔を真っ赤にして彼の頬を張ろうとした手を奈良坂はあっさりと身を引くことでかわす。怒らせたかったわけじゃないのに、淡々と、ただ理解して欲しかっただけなのに。自分の間合いに入り込んでくる他人とはいつもこうだ。肩を竦めて、踵を返す。きっと彼女とその周辺の女子たちに、今後奈良坂は影で口汚く罵られるだろう。けれど季節が一回りする頃には、同じグループ内の別の女子に告白されて、また同じようににべもなく断って、泣かせて、そんなことを繰り返していくことになるとはまだ奈良坂が知るはずもない。
 今はただ教室への道を歩き出しながら、自分が呼び出されるのを見ていた宇佐美や風間隊の面子が、告白してきた女子に殴られたか、もしくは泣かせた、怒らせた、いくつ当て嵌まるか賭け事をしていないかどうかだけが気掛かりだった。

「奈良坂先輩、恋人がいたんですか!?」

 耳をつんざくような声だ。声量の問題ではなく、トーンの問題かもしれない。うるさいと思ったので、思った通りそのままを声に出して説教しようかと思ったが、やめた。

「日浦、的」
「もうとっくに撃ちましたよ! ほら、今日は調子いいんです!」
「……すまない」
「お疲れですか?」
「いや」

 弟子の茜が、射撃ブースから背後に立つ奈良坂へと笑いかけている。師弟とはいえ、真面目な茜に基礎さえ授けてしまえば実はそれほど手を掛ける隙間は残っていなかった。実戦の中で学び、時折奈良坂に撃ってみるんで見てくださいと駆け寄ってくる姿は些細な光景で、しかし奈良坂の傍であったから物珍しく映る。
 日浦が撃ち抜いた的の弾痕をチェックして、合格という意を込めて彼女の帽子のつばを僅かに下げてやった。「えへへ」とはにかみながらずれてしまった帽子を直して、けれど誤魔化されないと瞳を輝かせて「それで、さっきの話なんですけど」と持ちかけてくる。

「俺の、恋人の話か」
「はい! C級のランク戦ブースで高校生かな、女の人たちが喋ってました」
「耳年増、やめなさい」
「違いますよう! あっちの声が大きかったんです!」
「いないよ、そんなの」
「えっ、あ、いないんですか?」

 奈良坂への弁解に前のめりになりかけていた茜は、あっさりと否定の答えを寄越した奈良坂に素っ気ないと怯むこともなくただ「なあんだ、やっぱり嘘だったんですね!」と笑った。
 それが安堵の笑顔だったら可愛かったのに。これは師匠として親バカ過ぎるかもしれない。素直な子だから、出来るだけ正直な言葉で接しようと決めていた。だから、三輪や米屋といった普段狙撃手の訓練場に寄りつかない連中に茜への師匠面を見つけられると彼等は一様にぎょっとして目を見開いたりする。「やめなさい」なんて、咄嗟に自分の口から出たとは思えない言葉。奈良坂はボーダーで学校での自分の噂が侵食して来ていることよりもそのことの方がよほど不気味に思うものだからつい突っ込みそびれてしまった。

「奈良坂先輩に恋人ができちゃったら」
「うん」
「きっとわたしの指導にあてる時間が減っちゃいますよね」
「そうかな」
「そうですよ! 絶対!」
「まあ、作る予定もなにもないから、暫くは日浦の面倒を見ると思うよ」
「奈良坂先輩が恋人といちゃいちゃしてわたしを放り出したら、わたしも弟子をとりますよ!」
「まだ早い」
「あいたっ!」

 でこぴん一つで、茜は痛がる体で顔をくしゃりと歪めてみせる。
 ――今の、不細工。
 思うだけで言わないけれど。本当は、女の子相手に思うことすら失礼なのだろう。たとえば先日、奈良坂に告白してきて、断って、そこで終わればいい話を全く関係ない第三者の名前を挙げて引き延ばした、もう顔も忘れてしまった、名前なんて覚えることすらしなかった女子相手に不細工なんて言葉にして伝えてしまったら、次に奈良坂の顔を狙うのは平手ではなく拳かもしれない。

「――日浦」
「はいはい!」
「……俺に不細工と言われたら、どうする?」
「えっ」
「殴るか?」
「うーん、凹みます」
「凹む」
「凹んでそれから暫く鏡と向き合って自分の顔を眺めます」
「…………」
「可愛くなれ可愛くなれ可愛くなれとひとしきり念じてみて、あともしかしたらお母さんのパックとか高級な化粧水なんか勝手に使ってしまったりするかもしれません。でもそれでも鏡に映る自分の顔が変わるはずもないのでまた凹んで――」
「凹んで?」
「那須隊のみんなに慰めてもらいます!!」
「うん」

 それは非常に不味い流れだと思うのだけれど、しかし奈良坂は出来る限り全力で、注意を払って、言葉を選んで、可愛い頑張り屋な弟子である茜を傷付けないように立ち振る舞うつもりでいるので、背後から変化弾で打ち抜かれることも両手持ちの弧月で全体重を乗せた一撃で斬りかかられることもないはずだ、たぶん。
 でももしも奈良坂が茜と師弟以上の関係に――例えば、唯一の可能性として、恋人とか――なってしまったときなどは例え茜がにこにこ幸せそうに笑っていたとしてもその限りではないのだろう。女子の集団の思考回路は、奈良坂には全く以てわからないことだらけなので、心構えはしておこう。
 そこまで考えて「いやいや何の心構えだ」と奈良坂は首を傾げ、茜の帽子のつばをくいっと下げて楽しげな不興を買う。可愛いと思いつつ、それでもその言葉は弟子という既に自分の中で完結している関係にのみ掛かっている語ではなかったか。
 けれどやっぱり。やっぱり、もしもの話だけれど。全く受け入れる気になれない告白の後味の悪い付録に吐き捨てられる文句が、奈良坂の知らない第三者ではなく「日浦さんと付き合っているんでしょう!?」と茜を引っ張り出してきたとしたら。たぶん、自分は笑ってしまうだろう。仮にも自分に好意を訴えている女子の前で、別の女子のことを考えて、自分はきっと三輪や米屋に目を丸くされたときのような、柔らかい空気を纏ってしまうだろう。

「――可愛い日浦が弟子でいる間は、恋人とかはいらないな」
「えっ、何ですかその殺し文句は! あ、さっきの訓練分のご褒美!?」
「……失礼な弟子だ」

 こんな風に自身の内側を占拠されてしまっていることを、奈良坂はまだ決して恋とは呼ばないけれど。
 俺の弟子が可愛いと認めることに関しては、とっくにもうやぶさかではなかった。






おれの磨いた君なので
Title by さよならの惑星
20150814






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