※84・85話直後のとりまる+陽太郎


 眩しいものを見た。京介は目元に傘を作るように額へ手を翳し天井を仰ぎ見た。室内では幾分不自然な動作に、隣にいた陽太郎が首を傾げながらどうしたのだと率直に尋ねてくる。ヘルメットで綺麗なラインを保っている小さな頭に手を置いて、何でもないのだと伝えた。何でもない、自分のことではないのだから。京介の脳裏に過ぎるのは、もはや悪意とも呼べそうな糾弾の矢を放つ記者たちの前で堂々と宣誓してみせた弟子の修のことだった。
 先の近界民による侵攻が、規模からして四年前に三門市を一変させてしまった、ボーダーという組織が表立つにいたった際のもの以上のものだったことは京介も理解していた。ただ実際戦っていると気に留めていられるのは自分の家族の無事と、迅から聞き出していた修と千佳が危機に陥ったときに自分ができること――迅には京介には救えないと言われていたが、それでも――と、結局は目の前にいる敵への対処ばかりだった。規模は問題ではなく、それを果たして処理できるか否かが問題であり今回も爪痕は人に寄り浅くも深くも残ったものの一先ずは乗り切ったのだ。流石に修が生身で重傷を負い意識不明で何日も目覚めないことに驚きはしたけれど、迅の死なないという言葉を頼りに、京介はさっさと侵攻前と変わらぬ日常に戻らなければならなかった。何せ彼にはボーダーと学生、それからバイトという何日も先のスケジュールを淡々とこなしていく習慣があったのだから。
 その日も京介はバイトで、一週間ほど前の大規模侵攻に関する結果報告の記者会見があることは知っていたが興味はなかったし自ら進んでチェックしようとも思わなかった。ボーダーが近界民と戦っていることを、そのおかげで「守られている」と捉える人間もいるし、それが役目の組織なのだから自分たちを「守って当然」と捉えている人間もいる。こうした会見というものは圧倒的に後者の人間へ向けて行われるものでもあり、組織が巨大であればあるだけ世話になるスポンサーへの義務でもあり、あとはやはり味方ではないとはいえ未知の存在への情報を閉じ込めていくことは無知な者の不安を煽りやすいからといったところだろう。京介はバイト先の休憩室で携帯に届いていたメールへの返信を打ちながら――昨夜ずっと眠っていた修の意識が回復したので見舞いに行くわよという有無を言わさぬ小南からのメールだった――、先に休憩室に入っていたバイトの先輩が着けていたテレビのチャンネルがボーダーの会見に合わされていることに気付いて、それから暫くは興味がないとずっと携帯に視線を落としていた。久しぶりだったけれど、直ぐにわかった修の声に、反射的に顔を上げるまでは。
 結局のところ、わざわざ質疑応答を設けるまでもないのだ。受けた損害も、人的被害も。異世界からの侵略者に負わされたそれの非が、どうしてボーダーにあるのか京介にはわからない。たぶんこれは、子どもじみた主張なのだろう。人間の成長にしろ、組織の中にしろ、三門市という社会の上にしろ、進めば進むだけ捻じ曲げなければならない真実だってきっとある。それは理解できる。ただどうしたって浅ましく、卑しく、汚らわしく映る。テレビ画面の中で見るからに怪我人で、中学生という子どもに向かって、いかにも自分たちが理を説いてやっているという体で説教がましい質問を投げつけている記者たちを見つめる京介の顔は、きっとバイト先では見せたこともない険しいものだったのだろう。休憩室にいた誰もが、京介の様子がおかしいことに気付きながらも避けるように声をかけてこなかったのは、彼が何に不快感を示しているかわからなかったからかもしれない。わかってたまるかと内心で吐き捨てて、それでも京介は休憩が終わってからはできるだけ平常心で残りのバイト業務をこなし、それが終わるやいなや即玉狛支部へと足を走らせた。会って無事を確認したい相手は、きっと今も病院にいるとはわかっていたけれど。

「きょうすけ、おつかれだな」
「――わかるか」
「うむ、」
「まあ、俺が疲れてても仕方ないけどな」

 玉狛支部には現在京介と陽太郎がいるだけだった。支部長である林藤は本部だろうし、宇佐美はここ連日徹夜していたので自宅で寝ているだろう。木崎は京介と入れ違いで陽太郎の面倒を頼むと買い出しに出掛けてしまった。そして小南は陽太郎と一緒にここで先の会見の中継を見ていたものの件の修の登場に怒りだし、我慢がきかなかったのか迅の首根っこを掴んで本部まで文句を付けにいったらしい。だったらもう少し待っていてくれれば京介も一緒に行ったし、それよりも修の見舞いに行けたかもしれない。修を心配する気持ちのまま衝動的に動けたらいいのだけれど、頭の中はどこか冷静で目覚めたばかりで今日の会見もあっては疲れているだろうから見舞いはまた後日の方がいいだろうとあっさり諦めてしまうし、何なら退院の日まで待ってもいいと思う。腰かけたソファからずるずると沈み落ちていく京介に、陽太郎は単純に疲労を読み取りまた心配の言葉を寄越してくる。生意気なときもあるけれど、基本的に身内意識のある優しい子どもだ。

「――修は、大丈夫かな」
「おさむもつかれてるのにな」
「そうだな。あんな無茶して、傷に響いたらどうするんだか」
「むむむ、あんな記者たち、おれがいた一撃でたおしてた!」
「なるほど」

 幼い慕情だ。この小さな子どもに、あの会見場でどれだけの敵意と悪意とが修に向かっていたか、彼がそれらと向き合っていたかが理解できただろう。敵と名付けようがないのに、背中を任せるには心許ない組織の小賢しい策を見せつけられてしまっては京介も下手に陽太郎に同調するわけにはいかなかった。そして何より、どうせ、当の本人が。大人の思惑に気付いていたって被害が自分一人に留まるならばそういうものだと受け入れてしまうのだろう。理不尽は個人の感情、利益は組織の合理的な選択。正しさなんて、今更。そもそも三門市に開く門それ自体がかつての戦うといことを知らない人々からすれば理不尽なのに。だから京介は目元を手で覆ってしまう。影を作って、眩しいと眺めているだけ。矢面になど立たないし、立たない人間の方がきっと世の中には多いのだ。
 どうしてか修の平凡は時折ひっくり返って物事の先頭に立っている。追い駆けたい人がいて、辿りつきたい強さがあって、取り戻したい人がいる。珍しくもない高貴な志なんて掲げてはいないのに、京介には修がひどく眩しく映って仕方ないときがある。例えば、今。
 師匠として欲目を挟まないようにしたかった。挟んだって修は弱くて、だからこそ冷静に見極めて育ててやらなければならなかった。京介は他の二人の師匠とは違って直接指導してやれる時間が限られていたから、着実であることを望んだ。それでも初めての弟子は可愛くて、言動に随分とその影響が出ていたようだが京介には自覚がない。入隊式の様子を見に行ったのは単純に時間の都合が付いたからだ。深い意味はない――と言っても信じてくれるのは当の修だけであった。

「おさむが元気になったら、よくやったと撫でてやらないとな」
「じゃあ俺はハグでもするか」
「でも心配をかけたからおしおきも必要だ」
「それなら俺が思いきり頭を撫で繰り回すから大丈夫だ」
「ふむ、京介はおさむが大好きだな?」
「……陽太郎もだろう?」
「かわいいこうはいだからな!」
「そりゃあ可愛いな」

 後輩は可愛い。認めてしまえば、可愛いから心配で、心配だから怒りもする。可愛がり方が、過保護に守ることであってはいけないと、戦い方を教えながらそれにしたって困難を選んでいくであろう弟子に、京介はそれでも師匠として庇護欲を抱かずにはいられないのだ。
 陽太郎ととりとめもなく浮かんでくる元気になった修にあったら何がしたいかリストは淡々と、確実に埋まっていく。本人がいないから口にできているようなものまで、恥ずかしげもなく自制もなく交互に取りあげては修の冷や汗をかいたリアクションが目に浮かぶようだった。
 それでも、やはり頭の中の冷静な部分ではこのリストの半分も行動に移すことはできないであろうことがわかっていた。らしくないし、スキンシップ過多だし、唐突過ぎるし、何より元気になった修を見たら、たった一週間という空白にも関わらずただただ安堵で胸がいっぱいになってしまうような気がするのだ。それくらい、いつの間にか修の不在ははっきりとした穴になっていた。

「――早く修に会いたいな」
「お? さびしんぼか?」
「……まあ、そんなところだ」

 ぽつりと零した本音には、幼い子どもの素直な同調を得られなかったけれど――挙げ句追及されると思いの外恥ずかしかった――本音なのだから隠しようもない。
 修の意識が回復するのを待っていた間とは如実に違う、楽しみだという感情が湧き上がってくるのを感じた京介は自然と緩む顔を隠そうと両手で顔を覆う。
 すぐ隣でそれを見ていた陽太郎は、幼いながらに察するところがあるのか今度は何も言わなかった。全く良くできた先輩だ。



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見えにくい愛
20150508






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