インターフォンのチャイムすらどこかくたびれて聞こえる。たった一度鳴らして、数十秒待って開かない扉ならば諦めて背を向けて行ってしまうと知っている。なまじ未来など覗き込むくせに、思いつきで誰かに会いに行くことをやめられないでいる。こちらの都合も考えてくれと文句を言えば――飄々と暗躍などして他人に睨まれることなどさらり流してしまえるのに――妙な気を回して勝手に疲弊して足を遠のかせてしまうのだろう。 ――バカだなあ。嵐山は、迅の構われたがりなんだか他人を撥ねのけたいんだか、それとも自分の大好きと認めた人間だけで世界を囲いたいんだか――それにしたって迅の好意は受け入れるとはまた違った意味合いだからややこしいのだけれど――複雑で掴みようのない歩み寄りに想いを馳せる度に唱えてしまう。バカだなあ――と。
 嵐山が実家から遠くもないアパートで独り暮らしを始めたのは、何も決然たる覚悟を抱くほど必要に迫られたからではない。ただ何となく、ボーダーでA級に昇格して広報の仕事もコンスタントにこなせるようになってきた頃、母親に用事を頼まれて銀行に出掛けたついでに自分の口座の記帳をしてみたところ表示された総額に目を剥いてしまって。大学卒業に必要な単位の取得もこのまま極端に出席日数を欠くような事態がボーダーないし三門市に起こらない限りは余裕を持って滞りなく可能だろうと見通しが立ってしまうと、途端にすることがなくなってしまったと手持無沙汰な気持ちになったのだ。するべきことは、日々目の前に細々と転がっているのだ。ボーダーの防衛任務もその一つ。それらは勿論嵐山が自身の意思で選択して行動に起こすことが大前提だが、それでもどこか高校までの決められた時間割通りに授業を受けているのと変わらない受け身の退屈さを思い出させた。
 だから一人暮らしをしようと思い立ったのだというと、大抵の人は「だから」以前の説明の意味はよくわからないけれど時間的にも金銭的にも余裕があるのならばいいのではないかと肯定してくれたし、ボーダーでの嵐山のポジションをよくよく理解している人などからはファンにばれないように気を付けてなどと物騒な心配をされてしまった。
 嵐山が双子の弟妹に注いでいる過剰な愛情の具合を知っている人たちからは心底驚かれたし、その驚きは嵐山自身にとっても物件を選ぶ際最大のネックになった点であったから、思い立てばいつでも顔を見に帰れる距離なのだと説明するとやっぱりねとしたり顔をされたりもした。犬の散歩当番は外されることなく自分の番を担当し続けることは黙っておいた。一人暮らしというよりも、自室の位置がずれただけと言われてしまってはそれなりに手間暇かけて荷物を運び終えた後ではよりやるせなくなってしまうので。
 ――へー、じゃあ遊びに行くよ。
 そう言ってくれたのは迅だけで、しかし実際何度も嵐山の部屋を訪ねてくる彼は何をしに来ているのかわからない。ゲーム機のひとつも漫画もない大学生の部屋でできる遊び自体が壊滅的に少ないのもあるだろう。ただ嵐山のベッドで惰眠を貪りテレビを見ながら小腹を満たし――迅のせいで嵐山の部屋の台所にはぼんち揚げのダンボールが常に中身のストックを切らさない状態で置いてある――夕飯時になれば「悪いな」と悪びれていない言葉と共に夕飯を食べていくこともあったし「悪いから」とやっぱり悪びれていない言葉を残してふらり帰ってしまうこともあった。男同士見送りが必要ではないだろうと、嵐山はいつも玄関までで迅を送り出してしまうのだけれど、どうにも彼の定まらない雰囲気に夕飯を食べ終えて食器を洗い終えてもそわそわと落ち着かなくなることが多々あって、そいうときは迅が家を出て何時間も経ってから無事彼の家である玉狛支部に辿り着いたかとメールしてしまうことがある。迅は大抵今更だとか、不自然な時間の開きを問題にすることなくとっくに着いてるよと返信してくれる。それならば、またこの部屋にも来てくれるのだろうと尋ねるのは厚かましいだろうか。

「お土産」

 扉を開けると、敷居を跨ぐよりも先に手に持っていた物を渡される。片手の掌に収まる大きさの紙袋には、嵐山も何度か入ったことのある大型書店のロゴが印字されている。
 迅が靴を脱いでいる間に袋の中身を検めると中から更に袋が出てきてそのパッケージには象と思しき動物が印刷されていた。どうやら今日の土産はナノブロックの象のようだ。立体パズルといえばいいのか、組み立てると象になるそのブロックの動物は既に嵐山のベッド脇の窓枠スペースに犬とペンギンが陣取っている。これもまた迅にお土産だと渡されたものたちだった。
 迅の土産はいつも土産らしくなくて、食べ物や飲み物といったものを持ってくることは滅多になかった。常時ストックさせられているぼんち揚げはまた土産とは別勘定で持ち込まれているらしい。今回のブロックパズルのように、スノードームやゲーセンの大量に積まれた山を崩せば落ちてくるような小さなぬいぐるみ、雑貨屋で売っていそうなサボテンやら100円ショップで売っていたオイル時計や砂時計だったりと細々とした、消費しようのない置き物ばかり。
 律儀に貰った全てのお土産をそのベッド脇の窓辺に並べていることに迅は特に反応を示さない。先週嵐山隊のみんなを招いたとき、木虎に窓辺一帯が部屋の雰囲気と合っていないと指摘されてかいつまんで事情を話せば盛大に眉を顰められてしまった。何も悪いことじゃないんだからと嵐山は丸く収めようとしたけれど、木虎は納得してはくれなかった。けれど礼儀正しい子だから、余計な浸食もしないのだ。しかし木虎らしい物怖じしない真っ直ぐな瞳で見上げられながら「嵐山先輩にとっては悪くないことでも、迅さんにとってはわからないじゃないですか」と指摘されたときは流石にぐさりときた。

「――なあ迅」

 台所で飲み物を用意しながら、呼ぶ。テレビの前のソファに腰を下ろしたばかりの迅は、お茶やお菓子を運ぶのを手伝えと言われるのかと腰を浮かしかけた。顔だけ居間に覗かせていた嵐山は慌てて立ち上がらなくていいと迅を留め置いて、それから盆に乗せたコーヒーとぼんち揚げを運ぶ。妙な組み合わせになってしまったが、迅は特に何も言わない。ぼんち揚げなら何にでも合うと信じているのかもしれなかった。
 テレビ前のローテーブルに置かれたカップに遠慮なく手を伸ばす迅は、これから嵐山が言おうとしていることなどとっくにお見通しなのかもしれない。それは文字通り、未来を見るサイドエフェクトによってもたらされる、多くの人にアドバンテージと受け取られる光景。その中に、迅は自分の姿を見ただろうか。勘繰っても意味はなくて、だから迅の前で大切なのは躊躇わないことだった。踏み込むか、立ち止まるか。その判断は一瞬で、線引きの間違いは存外溝にはならないと知っている。手を止めて真面目に聞いてくれなんて言わない。じっとしているのは、怖いんだろう。一人で暗闇を動き回るよりもずっと。

「お土産はもういらない」

 この部屋を訪れるために礼節が必要だと思われていること。その中にうごめく親しみと執着に、木虎に窘められるずっと以前から気付いていたこと。言い訳は、しようと思えばお互いにいくらでもできた。ただそうなると遅々として話が進まないだろうから、嵐山はポケットから取り出したそれをテーブルの上、迅の手元近くに差し出した。
 真新しい、今日迅が来る前に買い物にでかけたついでに作ったこの部屋の合鍵を。

「これ、渡しておくから」

 だから、ここに来る理由を主張するように、窓辺を占拠する置き物たちに場所取りみたいな真似はさせなくていい。
 好きなときに来て、上り込んで、時には待っていてくれたりなんかすると嬉しいかもしれない。
 嵐山の手が離れた鍵を、迅はゆっくりと持ち上げて、眺めた。その瞳に驚きはなく、ただわかりにくいけれども喜びが見えた。サンタクロースを信じていない子どもが、それでもクリスマスの朝に欲しかったプレゼントを受け取ったときのように。

「――ん、貰っとく」

 満足げに上着のポケットに仕舞われていく鍵を見届けて、嵐山はぼんち揚げの袋を二人でも食べやすいように一枚の敷物状になるように破いた。

「その開け方はおれ的に言わせてもらうと邪道なんだけどなあ」
「迅に邪道とか言われたくないな!」
「ひどくない?」

 憤慨しても袋の中身は変わらないのだから、ひょいとぼんち揚げを口に放り込み途切れた会話に取り残されないよう、二人して無言で咀嚼に専念する。
 それでも嵐山の視線は無意識のうちに迅の方へとばかり向かってしまって、回りくどいアピールが報われたと途端心なしか寛ぎが広がっているように見えた。
 ――バカだなあ。
 嵐山の願望が眼球に膜を張ってしまったのかもしれない。それを差し引いたって今の迅はわかりやすかったから、自分と彼に向かってもう一度バカだなあと愛ある罵声を心の中で浴びせてみる。
 もっと強引に上り込んでくれたって迅なら構わなかったのにという台詞は鍵を渡す前に言うべきだったと反省すると同時に、お茶と一緒に飲み下した。



―――――――――――

なにもわるいことないのよ
Title by『さよならの惑星』
20150413






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -