※捏造


 キーボードを弾く指先が美しかった。揃った爪先は木虎とて同じはずだったのに、綾辻の指を追う瞳にはどうしてか無機質な蛍光灯の明かりすら反射して映えた。
 不躾がすぎたのだろう。感づかれ、視線がかち合う。微笑まれれば頬が熱くなった。何故かしら、わからない。出会った日から変わらない。彼女はいつだって穏やかに木虎に優しかった。正しくは、木虎を含めた大勢に。
 慕っていた。その情を素直に表す術を矜持の外側に置き去りにしてきた木虎はただ見つめるだけ。仲間と囲う輪の中でひっそりと思う。綾辻のたおやかな姿に視線を惹かれる男性は多く、A級の、嵐山隊のオペレーターでなければなんて思い上がった雑言も聞こえて木虎は首を振る。いやだわ、どうしてあなたたち、そんな身の程知らずなの。冷めた一瞥で縮みあがる惰弱を嘲笑っては、ただ傍にいられることが嬉しい。

「気をつけてね」

 送り出される言葉には大人しく頷く。四肢が裂けても、胴体に穴を開けても、箇所さえ上手くやれば戦える。敗走と損傷ならば、木虎は後者を選ぶ。その為のトリオン体なのだから、恐れることは何もない。そして肩書きに見合う程度の実力は、木虎に心配しないでと紡がせることを容易にさせた。けれど綾辻は、木虎の技量を知っても尚同じ言葉で彼女と、仲間たちを送り出す。まじないの類だと、理解したから木虎は口を噤んだ。照れくささを拒絶に乗せるほど、幼稚を選べなかった。だって優しいばかりの綾辻の前だったから。素直であること、狙撃手の先輩とは違う、寡黙を好んだ。妹のようだわと髪を撫でる手は、女の子同士だからと、ただそれだけの理由で木虎にばかり舞い降りた。もどかしさ と、喜びで満ちていく胸。しおらしさをからかう声には顔を背けて不機嫌を、そうすれば、綾辻が苦笑しながらその声を諌めてくれるから。


 身長差はさほどなく、それでも、すれちがう誰もが綾辻を姉のようだと呼ぶ。わずか二センチ、埋められず、時に街中で出くわすヒールが木虎を物悲しい気持ちにさせた。綾辻らしい慎み深さで、けれども確実に広がった差に見上げるばかりの愚かしさを知る。纏う衣装の雰囲気は、そこかしこにあふれた「可愛らしい」類で、だけれども木虎から綾辻に対する「同じ」という意識を奪い去った。
 中学生、子どもだった。だからもてはやされているのだと、頭の片隅で理解していた。高校生は、大人だろうか。日頃傍にいる、綾辻以外の人を思い浮かべて、大差はないと思う。私の方が、と自負すること自体が子どもの背伸びだとは、木虎は未だ気付けない。

「気を付けてね」

 別れ際、いつもと同じ言葉。今度は頷かなかった。木虎もまた、綾辻の前で見せ慣れないスカートのままだったから。世界は安全ではないけれど、今日は平和のはずだった。世界のどこか三門市のどこか、警戒区域の中、戦うのは、今日に限って木虎以外の誰か。負けるなんて、思ってもいない。
 夕暮れは冷える。上着のポケットに忍ばせるトリガーを手袋越しに撫でて、いつでも戦いに飛び出せる備えを怠らない。こういうところが可愛くないのかしら、私。信頼しているふりをして、ダメならば私が処理するからと思っているのか。ひとりでやれることが多すぎた、そう、憧れの、美しい彼女が見ていなくとも。堕落を厭い、己を律し、矜持を持つことが美徳だと、木虎は信じていた。


「藍ちゃん、あまり無理をしてはダメよ」

 任務前、名前を呼ばれて、いつもと違う言葉。驚いて眼を見張る。反射で頷き、首を傾げた。前科は持っていないつもりだった。だってここ数日、最後に貰った言葉から、木虎は最善の手法で以て近界民を打ち倒していたはず。先輩たちが行ってしまう、追いかけなければ。思うけれど、足は綾辻に向かい合ったまま。瞬間、焦ってしまった。親しい人間には、彼女の感情の揺らぎを容易く見破ることができるらしい。木虎自身は、上手く取り繕えているつもりのものばかり。

「――私、大丈夫です。きちんと、できます」
「ええ、勿論。それはそうでしょうけれども……」
「綾辻先輩?」
「可愛い子に傷を負わされてしまうのは、やはり胸が痛むものでしょう?」
「……はあ、」
「ごめんなさいね、身勝手で」

 振り返ると、先輩たちの背中はない。ああこれはいよいよ急がなければ。そう思う木虎に、綾辻はそっと背を押した。わずかな反動に駆け出して、扉を潜る。曲がる振りをして顧みた綾辻は、既にオペレーターデスクに腰を下ろしていた。伏せた睫毛が落とす影が淑やかだった。柔らかく、しかし真っ直ぐな背筋が誇らしかった。キーボードを弾く指の細さと、爪先の曲線が美しかった。あの人は、優しい完璧な像だと思っていた。それが木虎の宝物だった。
 しかし綾辻は生きている。情で以て木虎に触れる。その戯れを、疎ましくは思わない。けれど――。綾辻に背を押された際の、彼女の手が触れた箇所ばかりがやけに熱を孕んで木虎を急かした。慕っている、その事実。恋と名付けられる手前の焦燥を、木虎は出遅れた距離のせいだと決めた。
 綾辻の言う身勝手を理解するには、木虎はまだ幼い少女だった。



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いまに言う、きみが好きだと
Title by『ハルシアン』







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