※92・93話を読んだ時点での捏造



「お前、俺を殺したくならないか」

 尋ねているのだろうか、誘われているのだろうか。荒船はぼんやりと見上げていたランク戦のモニターから、隣で同じように表示される対戦の様子を見ている村上に視線をずらした。映る横顔はいつも通り静かで、引き結ばれた口元は滅多なことがなければ開かないように見えて――実際にはそんなことはないと知っているけれど――数秒前に村上が話しかけてきたことはひょっとしたら自分の勘違いかもしれないと、荒船は被っている帽子のつばを押さえて、また視線を前に戻した。
 鈴鳴支部所属の村上と狙撃手である荒船が、普段ならほぼ足を向けることのないC級のランク戦ブースで暇を持て余している。顔なじみの正隊員が現れれば珍しい人が来ていると面白がって寄ってくるかもしれないが今の所その気配はない。本部所属の荒船はまだしも、わざわざ鈴鳴から本部へ足を伸ばして対戦ブースまでやって来たのにC級同士のやり取りを見ているだけでは村上の方はさぞ退屈だろうと、荒船はそんなことを考えていた。

「――なあ、」
「聞こえてる」
「じゃあなんか言えよ」
「と、言われてもな」

 どうやら、村上は確かに自分に話し掛けていたらしい。荒船はしかしどう答える気もなかったものだから、しっかりと返事を求められても困ると椅子の背に頭を預けて天井を仰いだ。どうしてそんな物騒な言葉を使うのだ。殺したいなどと、感情が突き抜けすぎている。愛情だとか憎悪だとか、走りすぎて他人を殺してしまうような。少なくとも荒船はこんな風に並んで座りながら共にモニターを見上げながら時間を食い潰し合うような相手のことをそれほど強い感情で意識したりしない。
 それにきっと、いざ殺してやると襲いかかっても無駄だろう。想像してみる。刃物を持って、村上に振りかぶる。彼はきっと難なくその一撃を躱すだろうし、何故自分がそんな目に合うかよりも淡々とまず荒船の動きを観察し、読みきって、次の手を封じきって、もう放っておいても何もできないところまで追い込んでからあっさりと荒船を置いて踵を返して行ってしまう。実に腹立たしい、強者の振る舞いだった。
 想像の中で殺人者になろうとしている荒船の動きは、彼が弧月を握っているときのもので再生されている。初めは包丁など握らせてみても、想像が進んでいく内にその手の中身は弧月にすり替わっている。そして相手が村上である限り、荒船の頭の中で動き回っている自身と他者であるのに思い通りに動かすことは出来ない。荒船は、村上には勝てないのだ。そう、本能と理性が絡み合って理解している。刷り込みのようなそれは、しかし尻尾を撒いて逃げ出す負け犬のものではなかった。届かない牙を後生大事に磨き続けたって仕方ないから、新しいものに変えたのだ。でもそれは村上を殺さない。荒船は本物のライフルなど握ったこともないのだから。

「俺はお前を殺したいとは思わない」
「――そうか」
「それ、残念って顔か?」
「そう見えるか?」
「わかりにくいんだよ、お前」

 読みにくい、仕事をしない表情筋だと常々思う。それでも同年代というだけで、気安さと自然と顔を合わせて手合わせなどしてしまった頃があって荒船はある程度ならば村上の機嫌くらい読み取れる。もっとも、読み取る必要があるほど極端に上方にも下方にも振れないのが村上の感情というもので、落ち着いていると表現すればそれまでだが静か過ぎた。そんな風貌で、弧月など構えて容赦ない強さなど見せつけられれば如何にも武士のようだなどと囃されてしまっている。元はただの学生だろうに、ボーダーとは奇妙なところだ。異世界からの侵略者から街を守っているという図式だけならひどくシンプルなのに、その為の力に序列を割り振ろうとするから同じ組織の人間同士で手合わせなどして、トリオンという目に見えない生体エネルギーを抜きにしたって優劣というものが存在する。
 そして村上は、荒船より優れた人間だった。強さというその一点に於いて、同じ土俵に立っていては決して並ぶことも前に出ることももう出来ない。
 村上よりもずっと頻繁に足を運んでいたこの対戦ブースからも遠ざかって、攻撃手としての崩せぬ壁を突きつけられて、それでも、それだけで、どうしたって荒船は村上鋼という少年を殺したいなどと思えるものではない。
 何より。

「俺はお前を殺したいとは思わないし」
「――ああ、」
「死んでほしいとも思わない」
「…………」

 一対一では決して勝てないとしても、チーム戦ならわからないだろう。真正面から斬り合うことを諦めて、身を隠しながらその額と心臓に照準を合わせて引き金を引くことを躊躇わない。だから変わらずに、B級の小さな支部に所属する身だとしてもソロでは一目置かれるSE持ちの攻撃手ランク4位の村上鋼のままでいて欲しい。ついでにさっさとA級上位陣を食らってしまえ。
 ――お前に遮られたものもあるけれど、お前に拓かれたものもあることを伝えようなんざこれっぽっちも思わねえけど。
 何を言おうとしているのだろう。はっとして、帽子を目深く被り直す。目まで覆ってしまう仕草が却って墓穴で、荒船が彼にとって何やら気恥ずかしい、都合の悪いことを言おうとしていたことを村上に教えてしまって、彼はじっと眼差しで続きを促してくる。逃げ出すことは簡単だ。素早く視線を走らせて、空いてるブースを二つばかし見つけて、いい加減じっとしているのも退屈だからとランク戦をけしかければいい。けれどそれが、真っ先に塞がれてしまう選択肢だということを、村上の問いから始まった思考の中で何度も確認して来たのだ。勝てないとわかって、一時の気まずさ紛れの為にポイントを差し出して、それは賢い選択だろうか? 答えは否、上を目指す気概は消えていない。無駄なことはしない。荒船は元々賢い人間なのだ。

「あーー、俺は、お前のこと結構好きだしな」

 腹を括って苦々しさを噛み締めて、顔を背けながら捲し立てた言葉はしかし決して嘘ではなかった。同い年の男に告げるには気持ち悪い、なよなよした言葉だと荒船は肩を竦める。村上もリアクションに困っているだろう。さっさと彼の相手をしてやれる人間がやって来ればいいのに。
 そう思いながら振り返って見た村上の顔は、予想通りの部分とそうでない部分が混じり合った何とも言えないものだった。リアクションには困っているのだろう、けれど貰った言葉自体には困っていないと、笑いをこらえているような、珍しく見開かれた瞳が荒船の言葉をダイレクトに受け止めたことを物語っている。馬鹿にしたいなら潔く笑えばいいのに、しかし人を馬鹿にするようなタイプでもないんだよなと荒船の方が始末に困り出す。
 そんなことはどこ吹く風で、やがて村上はほっと息を吐いて表情をいつもの通りに落ち着かせると、そのままソファの背にどっかりと身を預けた。瞼はしっかりと閉じられている。

「は? お前寝んのかよ」
「ああ。荒船の告白を忘れないよう本気で寝る」
「いや、お前のSEそういうんじゃねえだろ。なに学習すんだよ。っつうか告白じゃねえよ!」
「あはは」
「笑ってねえだろ、お前!」

 荒船を茶化しながらも村上は目を開けようとしない。やはりらしくないことを言うものではなかったと羞恥心が湧き上がり、業を煮やした荒船は村上の隊服の襟首を掴んで思いきり揺さぶる。そんな攻撃を物ともせずに村上の口元はずっと緩んでいる。
 騒ぐB級隊員の二人を遠目に見つめるしか出来ないC級隊員たちは喧嘩だろうかと不安げに目配せし合うことしかできない。二人のじゃれ合いは、彼等の隊の隊長と同級生が「相変わらず仲がいいなあ」と駆けつけた早々口を挟むまで続く。



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けれど幕は下りない
Title by『わたしのしるかぎりでは』






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