※暗・崩壊気味注意



 目の前で頭を抱えて蹲る修に、京介は途方に暮れて立ち尽くしている。あまり感情を映さない表情が、それでも瞳を見開いて、呆けたまま閉じられない唇と共に彼の戸惑いを表していた。それを見てとって、助け船を出してくれる第三者はこの場にはいないのだけれど。そしてそれが寧ろ幸いであることを、見下ろす修の姿が教えてくれるのだ。小さく震え続ける背中はこんなに頼りなかっただろうか。弱いけれど大きくて、ちっぽけだけど強靭で。ちぐはぐな心象だとは認めながら、京介は修を正当に評価してきたつもりだ。けれどもそれは、まるで無意味なものだったらしい。現状への誠実さと、将来へのひたむきさに絆されて手を差し伸べてやりたいだなんて好意が一体何の役に立つというのだろう。好意はいつだって一方通行を自覚するべきだ。返って来るものがあったとしても、それが同等で同質かどうかなんて底まで漁らなければわからない。

「――修、」

 出来るだけ優しく呼んでやりたいと思った。けれど願望が意思に変わる前に零れ落ちた声は、いつもと殆ど変わらないように響いた。修行中の、淡々とした次を促す為の呼びかけ。褒めるのも叱るのも、後にして今は兎に角立ち上がれと促しているような声。京介にも、修にもいつの間にか随分と身に染みついてしまった。
 いつもなら、どれほど無残にふっとばされて倒れ伏していたとしてもはっきりとした声で返事をして驚くほど澱みのない瞳で正面を見据えながら立ち上がる修は、京介の声に頭を振って蹲った体勢を解こうとしなかった。幼稚な感情任せの拒絶は、またしても修らしくなくて京介は苛立つよりも焦ってしまう。覗き込めない顔は、きっと悲痛に歪んでいるのだろう。もしかしたら泣いているだろうか。想像を広げるのはこんなにも簡単なのに、どうしてか隣に跪いて背中をさすってやることすら出来ない。今の修をどう扱ってやったらいいのか、京介には全く理解できないのだ。そして修も、京介から差し出される慰めなど微塵も期待していないのだから益々やるせない。受け取って良いものとそうでないもの。修の内側でしっかりと線引きされているらしい何か。それが、京介を弾きだそうとしていた。
 修は「浅ましい」と言った。彼が京介に向けている感情を、名前ではなく印象で呟いた。謝罪も繰り返し呟かれた。師匠である京介に、自分は感謝こそすれどもそれ以外、それ以上は何一つ抱くべきではないとも。その強制は、修にとっては意思なのだ。千佳の兄を取り戻すという意思、千佳を守るという意思、それから自分たちとの日々が遊真の生きる目的に少しでも寄り添えればという願望。十五歳の少年の内側に覗くのに、どうしてこうも他人ばかりと京介は不思議で仕方ない。彼もまた家の為家族の為と高校生の身でボーダーを初めそれ以外の就労に日々勤しんでいるわけだが、修とはまた違う背負ったものだ。冷淡な見方をすれば、修は本来自分とは無関係な人間の事情を抱え込んでいる。自分でもない、家族でもない、余所の誰かの為にボーダーという初見からの軽率な判断を下すならば明らかに向いていない世界に飛び込んでしまった。それを大抵の人間は自己犠牲と呼ぶのだが、修の場合は自分がやるべきだと思ったことと言うのだろう。そして迅の手助けを経てやるべきことをやる為の具体的な力を手に入れ始めてからの修は(それにしたって前途多難の気はあるのに)一つの道にしがみついているのではないか。京介の周囲のボーダーの人間は、近界民との戦いも楽しんでしまっている人間が多々いるがそれだって普段の、それこそ近界民が三門市に現れなかったとしても似たような陽気さで生きていたのだろうと思わせるような人ばかりで、結局足を着くべき地盤は警戒区域の外側の世界なのだ。だから守らなければならないのだ。しかし修は、このままではより深く警戒区域の中心へ向かおうとして、挙句には境界線を飛び越えて向こう側へと飛び込んで行ってしまう気がする。勿論彼等の目的が近界へと遠征して千佳の兄を取り戻すことにあることは理解している。
 だがこのまま。京介の目の届く範囲で教え導いて、近界へ出掛けても大丈夫だと安心できるほどの実力を修が身に着けたとして。それじゃあいってらっしゃいと送り出すのに、京介はきっと不安を感じずにはいられないのだ。今の修に、警戒区域の外側が、玉狛支部が、お前の帰る場所だからそこで待っていると言えるだけの帰属意識があるのかどうか、京介は初めて疑った。それは修よりも遊真に抱く方が自然なのに。この二人は変な所が似ているのかもしれない。

「なあ修、俺は――」
「すいません! 本当に、ぼくは、こんなっ、失礼なっ」

 修はひどく取り乱していて、京介は珍しい一面を見たと感心する暇もなくただ言葉を探さなければならなかった。修を落ち着かせるだけの、自分を納得させるくらいの言葉を。

「……失礼じゃない。浅ましくもない。ただ、そんな顔をされるのは辛い」

 はっと顔を上げた修は泣いてはいなかったが、その顔色は最悪で今にも倒れてしまいそうだった。京介の淡々とした声が、一度修を冷静にしかけて、それからまた混乱と――恐怖を連れてくる。唇を噛んで、また俯こうとするのを、名前を呼んで引き留めた。

「俺のことが好きなら、そんなこの世の終わりみたいなひどい顔はするな」

 二人きりの部屋で修が過失によって零した告白は、その返事に対するものではない重苦しさで埋め尽くされている。
 ――ぼくは……烏丸先輩が好き、です。
 京介の耳に確かに届いた告白は、一体どんな会話の流れだったか。けれど聞き間違いではなかったし、友人間のおふざけで交わされるような愛の文句とは生憎ここにいる二人の人間の性格からして違っていた。
 告げた瞬間に拒まれる想いもきっとこの世にはごまんと存在している。京介もまた、日頃告白してくる異性に対して思わせぶりな態度は一切見せずに断りの文句を告げている。それと同じことを、果たして自分は修に告げようとしていただろうか。今の修の態度に面食らっている内に、それすらもわからなくなってしまった。
 差し出したのは修なのに、拒んでいるのも修だった。告げるつもりもなく、修の内側に積もって、そのまま放置するか破棄するかどちらだったかはわからない。恋なんて身勝手な感情を放っておけばなかったことにできるなんて確証はないが、修の忍耐強さは京介も知っている。だから予想外に、無意識に告げてしまった想いに驚いたのは京介ではなく修だったのだ。気付いた途端冷や汗も通り越して顔を青くして、震えて、謝罪を繰り返して、蹲った。弱々しい怯える幼子のような動作は京介の知る修には全く似合っていないのに、それだけに事態は深刻だった。
 どうやら自分は、修に師匠として以外の役割を求められることはないらしいとわかってしまった。好きだけど、それだけだった。だから想いを伝えてしまった瞬間、返事を受け取るよりも修がするべきことは線引きをしっかりと引き直すこと。京介は何もしなくていいと、修の気持ちは修が勝手に抱いたものだからと。うっかり散らかしてしまったから、ごめんなさいすぐに片付けますと、そういうことだ。修は京介に拒まれるのが怖いのではない。怖がるほど、他人の――京介の間合いに自分が入り込んでいるとは端から思ってもいないのだ。それでも好意を持つ自己完結は、時にどうしたって独善的に映るのだと修は知っているのだろうか。京介は、修に出会ってから初めて、いつからか可愛い弟子だと思ってきた修を前に泣きたいと思った。

「烏丸先輩、ぼくは、烏丸先輩に助けられてばっかりなのにこんな、失礼なことをしてしまって、でも、」
「なあ修、俺は――お前たちの助けになってやれればって思ってたんだ。だから、なのに、」

 そうだ、出会ったときから助けになってやってくれと引き合わされたのだ。必要な強さの為に。いつしかそれが京介の自主的な願いになっていたけれど。あの時の修ひとりでは彼が目指すものに指先すら届いていなかった。今だってまだまだだけれど。色々な人の力を借りて、それができるくらい修自身が多くの人を惹きつけていて、京介もそうやって惹きつけられた大勢の中の一人で、数分前まではその中でも修の特別の座にいた京介は、その本音を聞いてしまったばっかりにあっさりとその座を追われるらしい。
 心だけでも一人で立とうとする、少年によって。

 ――今までみたいに。

 修の願いに、無茶を言うなと京介は苦々しく思う。けれど自分のするべきことの為に必要な道を踏み外さず、恐れず、先程までの取り乱しはどこへ行ったのかと見紛うほど真っ直ぐに京介を見上げてくる修に、結局自分はまた絆されるのだ。

 ――何で今更、好きって気付くんだろうな。

 京介の嘆きは、しかし今しっかりと心の扉を閉め己を立て直した修には決して届くことはなかった。




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それは仕舞っておいで。無理なら捨てなさい。
20150129







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