※尻切れ


 教室に入ってきた出水の髪がぼさぼさだったこと、きちんと留められていない制服のボタン(これはいつものことであったが、全体的にくたびれた雰囲気を醸し出していたこと)と肩からだらりと垂れた鞄の持ち手、踵を踏んづけた状態の上履きなど漂う気だるげな様子にとっくに自分の席で携帯を弄っていた米屋は片手を上げて挨拶の代わりを済ませた。それに対する返事は、気難しく寄せられた眉と無言の一瞥だけであったが、その程度で機嫌を悪くする米屋ではない。

「寝坊かよ」
「寝てねえし」

 机に乱暴に鞄を叩きつけた(中身が殆ど入っていないのでさほど大きな音も立たなかったのでクラスメイト達は気にもしない)出水はガタガタと椅子を引いてドカッと腰を下ろすとそのまま鞄を枕に突っ伏した。「あ〜」とか「もうさ〜」と苛立っているのか混乱しているのか唸っている出水の様子に朝から何だと米屋は席を立って彼のすぐ傍まで近寄って行く。

「どうしたよ、マジで」

 制服の尻ポケットにスマホを仕舞おうとしながら、聞く。

「佐鳥にフラれたんだけど、昨日、いきなり、フラれたんだけど」

 譫言のような答えに、驚いた米屋はスマホを落としそうになり、慌てて掴み直した。その慌てながらも適切な対処に、出水は「ふんっ」と鼻を鳴らして自身の不機嫌と不幸を隠すことなくまき散らしていた。さて、どうしたものか。


 出水と佐鳥が付き合っていることを、それぞれと近しい人間は直接打ち明けられずとも察していたし、もしかしてと尋ねれば本人たちから肯定の言葉が返された。米屋は割と出水と(ボーダーでも学校でも)つるんでいることが多いので、二人の関係の変化には早い内から気付いていたし、打ち明けられてもいた。当事者でない米屋からすれば出水の恋人が女であろうと男であろうと気にも留めなかったのだが、ボーダーで弾バカと呼ばれ自分や緑川とつるみ、はたまたトリガーを取り上げたら何が残るんだというくらいボーダーで戦うことを楽しんでいる太刀川の率いる隊で同じように自分のポテンシャルに自信を以て楽しんでいる出水が、たった一人の人間に入れこんでいるその事実が意外ではあった。
 フラれた、フラれたと言い募りながら鞄を抱き締めて顔を押し付けている出水の悲惨さときたら。それでも学校に来てしまう学生の習慣と、彼をこうまで骨抜きにした佐鳥が同じ建物内にいるという引力に吸い寄せられたことが手に取るようにわかってしまい、米屋は頭を掻きながら「重症だなあ」と零すしかできなかった。けれどどうせお前が何か不味いことをしたんじゃねえのと思ってしまうあたり申し訳なくは思うが矯正も出来ない。出水の男子なら誰でも発揮するような好きな子への格好のつけたさときたら稚拙極まりなくいじめっ子の域に片足を突っ込んでいるものだから、佐鳥からすればもうちょっと素直になって欲しいだろうなあと思うことが第三者である米屋ですら度々あったほどなので。

「どうせまた苛めすぎたんじゃねえの?」

 はっきりと言ってやれば、出水はじとりと米屋を睨む。労りを期待していたのならば、それこそ無理な相談だ。


 出水が教室で机に突っ伏している頃、佐鳥もまた自分の教室で同じように机に突っ伏して時折魂が抜けたような声を上げていた。ただし出水と違うところはといえば彼には時枝という、甘やかすことなく適度に慰めてくれる存在が傍に寄り添ってくれていたということだろう。佐鳥の隣の席を拝借しながら、今日の一時間目の予習をしている時枝は佐鳥が情けない声を出す度に手を止めて、ぽんぽんと頭を撫でて、それからまた作業に戻って行く。いい友人を持ったものだと、佐鳥はしみじみとまた泣けてしまいそうである。
 同性の恋人と別れ話をして、しかも自分から吹っかけておいてこんなにも凹んでいるなんて、自分でも勝手だとはわかっているけれど時枝は決してそうした部分をちくちくと突いてきはしなかった。

「嫌いじゃないのに、別れなきゃいけないの?」

 ただ一言、こう尋ねられただけ。そして佐鳥は、その問いに答えることができないでいる。


 結局、出水は授業が始まっても全く機嫌が上昇せず、クラスメイト達から集まる視線をものともせずに寝不足で充血した目でぼんやりと黒板を眺めていた。勿論授業を真剣に聞いているわけではなく、もう一ミリも動きたくないと言わんばかりに静止状態に陥っていた。それを授業中の居眠りの合間に確認しながら米屋はやはりそんなに別れたくなかったのならばそう伝えればいいではないかと同情よりも呆れの方が勝ってしまう。佐鳥はしょっちゅう出水に弄られては涙目で拗ねるし怒るし、しかし最終的には出水のちょっかいから逃げられなかった。その延長で丸め込んで恋人関係に陥っていたわけでは流石にないだろうし、それでいて押しに弱い部分があるのは事実。
 しかし別れたくないという出水のごり押しに突き合わせて望まない恋人関係を延長させるのは佐鳥に気の毒だ。やはり背中を押すのは止めておこうか。米屋は窓の外を見る。空はたった一組のカップルの雨模様などお構いなしに晴れ渡っている。
 米屋としては、後腐れなく気楽な関係に落ち着いてくれるのが望ましいのである。そう結論付けた米屋がまた惰眠を貪ろうと目を閉じたのとほぼ同時。教科書の入っていない机の中に置いてあるスマホが、メールを受信していた。


 どうして別れてしまったんだろうと、思わなかったと言えば嘘になる。時枝は、器用にペンを回しながら教師の板書を目で追って、更に板書の為に立ち位置をずらして内容がよく見えるようになってからノートに書き写し始める。手を動かしながら、佐鳥は元気に授業を受けているだろうかと考えるも、元気ではないだろうなと直ぐに打ち消す。それでも習慣として、教師の話くらいは聞いていてくれるといいのだけれど。
 二人の関係については、好意を寄せあっている時点で時枝には「あー」と思わせるものがあり、同性の後輩に上手く恋心を伝えようがない出水のちょっかいが過剰になっているなと思えばそれとなく間に入って佐鳥を逃がす等していた時枝には出水の佐鳥に対する好意の深さに対しては部外者ながら自信があった。そして佐鳥も。ただ佐鳥の方が、特別という意味合いでの好意を一見では判断しにくいところがあるように思う。普段からスキンシップに抵抗も違和感もない人柄のせいで、出水とばかりはしゃいでいても不自然ではない分つまり特別にも映らなかった。それでも、それなりに付き合いのある時枝には出水のことを喋らせた途端に佐鳥にとって彼が特別であることなどいともたやすく看破できるものだったのに。
 別れ話は佐鳥の方からだったという。それが時枝には信じられなくて(失礼ながら不用意な言動で破局が訪れるとしたら確実に出水のせいに違いないとすら思っていたので)、滅多に変わらない表情を一瞬崩してしまった。どうしてとは聞かなかったのではなく聞けなかったのかもしれない。だってあまりにも驚いてしまったから。
 きっと出水は落ち込んでいるだろう。怒っていればまた直ぐに事態は違う方向へと動き出すかもしれないが、存外出水の方が佐鳥に惚れ込んでいたし、それが突然ぴしゃっと跳ね付けられてしまったのでは襲われた衝撃と混乱はさぞ大きい筈だ。時枝は珍しく出水に同情する。まあ、それでも出水の為に二人の関係を修繕してやろうとは微塵も思わないのだけれど。時枝としては、佐鳥はお調子者らしく打たれれば凹むこともあるけれど基本的には笑っている、そんな陽気さが似合っていると思っている。
 だからこれまた珍しく授業中にこっそり机の中で取り出したスマホで、学校では出水と頻繁に一緒に行動している姿を見かける先輩へメールを送ったのはあくまで佐鳥の為なのである。




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迷惑な話






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