小さい頃、千佳はかくれんぼが苦手だった。子どもたちで集まって何をして遊ぶか相談しているとき、かくれんぼ以外なら何でもいいと思っていた。もしかくれんぼに決まってしまったら、初めから鬼に選ばれたいとも。
 隠れることは得意だった。見つからないように縮こまるのではなく、力を抜いて、風景に溶け込むようにそこにいるだけで良かった。けれど完璧すぎる擬態は、時々千佳を友だちという輪から置いて行ってしまうようになった。だから、かくれんぼは苦手だ。
 4年前。三門市にボーダーの基地が出来るよりも前。千佳は逃げて、隠れていた。避難場所は転々と、人気のない場所を選んだ。たった一人、千佳が頼った友だちが消えてしまった日から、もうずっとひとりで逃げ回ろうと決めた。時折千佳が感じる、悪意でもなくしかし確かに自分を狙っている敵だとわかる気配に気づくようになって、初めはそれがどうしようもなく怖かった。自分をどうにかしようとしている存在を、どうにかして追い払って欲しかった。戦うという経験のない小さな子どもだった千佳は、素直に出来ないことを大人に頼って為そうとした。それが無駄で、逆に千佳がおかしなことを言っていると指を差されるようになるまでに時間はかからなかった。千佳は口を噤むことを覚えた。どうしてわかってくれないのと、それでも怖いものがわたしの傍に迫っているのと泣き縋ることはしなかった。真面目に話を聞いてくれる兄も、千佳と同じものを感じているわけではないのだ。だから千佳は、ひとりぼっちでかくれんぼをしている。頼んでもいない鬼が、千佳を追いかけ回す遊び。いつしかそれが、千佳の戦いになった。

「見−つけた、チカ、あっちでオサムが待ってるぞ」
「――遊真くん」
「よっ、訓練終わったか?」
「うん、迎えに来てくれたの?」
「まあそんなところですな」
「ありがとう」

 ボーダーに入って、トリガーを手にした。未熟ではあるけれど、戦えるようになった。まずは最低限、自分の身を守れるように。ボーダーが出来てからも、自分を狙っている怪物が近界民だとわかってからも千佳が組織に属さなかったのは、たぶん怖かったからだろうと、今更に思う。ボーダーが倒すべき近界民と、千佳を狙っている近界民を無意識に区別して、自分がボーダーに近付いていくことで彼等が倒さなければいけない敵が増える。よく知りもしないのに、彼等を巻き込んでしまうのはという罪悪感。ひとりで逃げ回っていればそれで済むという諦め。信じられるものは、いつだって少ない。
 遊真が差し出した手を、千佳は反射的に掴んだ。自然に「行こう」と伸ばされた手を、掴まない理由が千佳には見つからない。遊真を信頼している。何故だろうと考えて、いつだったか修に遊真のことをどう思うか聞かれて答えた「怖くない」という言葉を思い出す。遊真は怖くない。千佳とは違い、近界で、千佳の友だちを浚って戦争で使うような怖い世界で生きてきた彼は――自転車に上手乗れずに、数メートル進んだだけで感動の声を上げていた彼は、ちっとも怖くなかった。
 そして何より、千佳が信頼する修が迷いなく彼を友だちだと言いきったから。修に、特別優れた人を見る目があるとは言わない。それを判断できるほど自分の目が肥えているとも思っていないからだ。何より修は、周囲の人間が自分に向ける感情に無頓着な所がある。反対に、自分のすべきことに目を向けるあまり他者への感情を深めることも殆どないように映っている。そんな彼と、千佳や彼の兄である麟児が親しく付き合ってきた。数が少ないから特別にもなるというのは単純かもしれないが、麟児も修のことは信頼していたし、千佳も修のことは信頼している。同じように、修も兄や千佳に対してどこまでも誠実で、過保護なくらい親切にしてくれる。千佳は修を、とても頼りがいのある人だと思っている。近界民から隠れ続けて、自分を空っぽにして、誰にも見つけられないくらいかくれんぼがうまくなった千佳を、いつまでも探し続けてくれる人だ。
 本部の通路を、幸い誰とも擦れ違わずに歩いていく。背丈の似た小柄な二人が手を繋いで歩く様子は微笑ましいが、ここがどこかを考えるとどこか珍妙な光景であった。C級隊員の隊服で、堂々と進んでいく遊真は彼の成績と髪色の効果で見つかればきっと人目を引くだろう。けれども千佳は、自分を導くように――出歩く場所が限られている本部内で迷うことはないのに――手を引いて前を歩く遊真の手を、離さなければとか離したいとは思わない。出来れば、可能な限り長くこのままでいられたらとすら思う。兄に手を引かれるのとは違う、人前で可愛らしいと微笑まれるような感情で願っているわけではないと、千佳自身がよくわかっている。だからこそ、不思議で仕方ないと、千佳は遊真の後姿と繋いだ手を交互に何度も見比べる。遊真の差し出した手は、言ったい何と言う名前の優しさなのだろう。探るのは、無粋だろうか。名付けては、遊真自身いないのかもしれないけれど。

「何かおれの頭に付いてるか?」
「……えっ」
「さっきからずっと見てるだろ?」
「――どうしてわかるの?」
「後ろにも目があるから」
「ええっ」
「冗談だ」

 勿論本気で信じたわけではないと言い募りたいのに、どう言っていいかわからずに繋いだ手にぎゅっと力を込めた。そうすれば、怒っているとか、恥ずかしいとか、思わず逃げ出したくなるような考えは持っていないと伝わるような気がして。
 遊真なら、何でもわかってしまうかもしれないと思った。近界民で、こちらの世界の常識のことなんて全く知らないに等しくて、修や千佳にフォローされなければ、直ぐにでもボロがでてしまいそうな彼。けれど千佳のこと――時折、修のこと――全部見抜いて、許して、受け入れてくれているんじゃないかなんて都合のいい妄想で遊真の傍に立っている。そのことだけは、遊真が見抜かないでいてくれたらいいとも。

「……遊真くんが、」
「うん」
「遊真くんがこんな風に、わたしのこと見つけて、手を引いて、修くんのところまで連れて行ってくれるの不思議で、でも嬉しいなって――」
「そうか?」
「うん、いつもありがとう」
「ふむ、こういうときはどういたしまして、だな?」
「えへへ、そうだよ」

 伝えたいことだけを言葉にすると、ありふれたただの感謝の言葉にしかならない。けれど嘘ではないからか、遊真は素直に受け取ってくれた。指先に、僅かに力が込められた気がする。
 見つけてくれるということは、千佳にとって奇跡のような――温かくて、怖い――ことだ。自分から、駆け寄っていくことはできないから。かくれんぼは、鬼に見つかるまでそこでじっとしているものだから。それが遊びなら、見つかりませんようにと願いながら、けれど最後には見つけてくれますようにと誰もが願っている。見つかるものとどこかで確信している。例外に弾かれることは、寧ろ恥ずかしいことだった。
 千佳のかくれんぼは戦いだった。絶対に鬼に見つかっては行けなかった。けれどやっぱり同じように、鬼とは違う誰かに見つけて欲しかったのかもしれない。かつて兄や、修がそうしてくれた。今、遊真が手を引いてくれた。その喜びを、千佳は光よりも眩しいと目を細めてその後姿を見つめることで感じている。

「オサムの奴、今頃ひとりで心細い思いをしてるかもしれないからな、急ぐぞ」
「うん!」

 そう応えて、小走りで大好きな我らが隊長の元を目指す二人の手は、やはりしっかりと繋がれたまま。
 光の元へと駆けていく。


―――――――――――

秘めやかな箱庭を抜け出して
Title by『春告げチーリ






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -