まず。烏丸はそう前置きしなければならなかった。何故なら彼の眼前に広がる光景は、おおよそ彼の想像の範疇を飛び出したものであり、突きつけられて、記憶を漁り、ああなるほどあの地点から始まったのかと納得し、けれど、と否定したがる気持ちを吐露する為に必要であったからだ。
 まず、出水公平という人間にとって、三雲修という人間は取るに足らない、必要ない人間である筈だろう。
 修を悪く言っているわけではない。烏丸京介にとって、三雲修は大切な、可愛い弟子だ。迅に彼がピンチになる未来が訪れると聞かされれば――死という最悪のワードを避けて知らされた情報であったとしても――、その未来を変える為にそのポジションにはいないと初めから知らされていても動かずにはいられない。
 そう、その途中のことだと烏丸は思い出す。出水が修と出会ったのは、その、修に降りかかるピンチという運命から必死に逃げ回っている途中のことだ。烏丸と修の二人では、C級隊員たちを連れながら本部を目指すには幾分大所帯で、噂の新型が次から次へと湧いて出てくる状況は確かにピンチだった。そこに駆けつけてくれたA級隊員の中に含まれていた出水に、烏丸は彼にしろと言われた通り確かに今まで感謝の念しか抱いてこなかった。
 ――だから、その件はそこでお終いってことになるはずじゃないんすか。
 握り絞めた拳が、唯一の感情の掃き溜めだった。それ以外は、声も表情も、いつも通り平坦なまま烏丸京介という人間を本部の廊下に突っ立たせていた。本人だけが、自分は今呆然と立ち尽くすしかできないでいることを理解している。

「――だからさ、おれとしてはメガネくんにも頑張って欲しいわけよ、同じ射手として!」
「……はあ、」
「おらっ、模擬戦すんぞーー!」
「えっ、今からですか!?」
「C級の訓練が終わる頃には解放してやるって!」
「まあ、それなら……」

 烏丸の視線の先で、可愛い弟子の肩に腕を回している出水がいる。距離が近い、顔が近い、親しみの証をひけらかしていて慎みがない。言い掛かりの言葉しか思い浮かばなくて、烏丸は落ち着けと自身に言い聞かせて息を吐く。けれど、親密に映る二人を凝視している間、殆ど息を止めていた所為で吐き出せる二酸化炭素は僅かだった。
 同じ射手の後輩を見つけたくらいで、あれほどはしゃげるものなのか。修たちがやって来るまでは、玉狛支部の中では隊員として後輩のポジションにいた烏丸にはよくわからない。年齢だけなら烏丸しか後輩がいないはずの小南は、しかしボーダー隊員としての経歴が古株と呼ばれるほど長い為、実年齢よりも経歴、実力を重視するタイプだった。礼儀は確かに求められたが、それだけだったような気もする。今の付き合い方は、単純に後輩として可愛がられているわけではなく純粋に仲間として認められた証。玉狛支部の少人数が行き着く親密さ。だからこそ利く融通も、属している人間も、烏丸は気に入っていた。扱うトリガーの規格が本部のそれと違うせいでランク戦に参加していないこともあったが、本人としては閉鎖的な環境だとは全く考えていなかった。派閥の違いは知っている人間は知っているが、個々の隊員にはさほど関係がない。友好的であることを謳っていても、襲ってくるものは排除して当然だと烏丸は考えていたので、防衛任務に手を抜いたりするはずもない。だから、本部の人間に文句を言われる筋合いもないし、言わせるような働きぶりだとも思っていなかったはずなのに。けれどいつの間にか、烏丸は玉狛支部という括りに拘りを持っていたのかもしれない。出水に構われて、戸惑いながらも抵抗も逃げ出すこともしない修の態度に胸がざわついて、初めて気が付いた。
 射手の戦い方自体は実はそれほど人口が少ない訳ではない。ただどちらかといえば補助的な使い方をする人間が多かった。一発撃つごとにトリオンを消費する戦い方をメインにするには、よほど効率的に高度な戦術を組み立てられる頭脳でもって最短時間で戦闘を終わらせるか、トリオンの消費をリスクと考えないで済むほどのポテンシャルを持っているかだ。ほぼ二極化した選択肢に的を絞るよりは、メイントリガーを攻撃事態ではトリオンを消費しない弧月やスコーピオンに設定して、それらで敵にトドメを刺すとしたうえでの補助的機能として弾を飛ばす。威力や弾速や射程、それらの調節が出来ることは戦術の幅を広げる分、戦闘員である以上の向き不向きを突きつけられることでもある。射手というポジションに自分の性質とマッチする点を見いだせなければ、射手に拘る人間は上に行くほど少なくなっていく。
 出水の周囲には、彼と親しい間柄で射手を選択した人間はいなかったかと烏丸は思い出そうとするも、彼の交友関係など全て把握しているはずもないので判然としない。修のトリオン量が、圧倒的トリオン量で射手として華々しく活躍している出水の目に適う量でないことを知らないのだろうか。アフトクラトルの侵攻で共闘したときの修の攻撃は千佳のトリオンを借り受けてのものだとその場で説明しているのに、出水は本部で修を見つけるたびに同じ射手だからという理由をぶらさげて、烏丸の弟子である修に先輩風を吹かせて構い倒している。
 ――あの、修が困ってるんで。
 一度だけ、烏丸は出水に苦言を呈したことがある。修が、そろそろC級の訓練が終わったはずだから迎えに行ってくると言い残して、烏丸と出水を二人きりでその場に残して去って行ったときのことだ。あの時は、出水は「よう京介」と声を掛けてきたのだ。視界に入ってきた後輩はあくまで烏丸であって、修ではなかった。勿論、直ぐに修に気が付いてあれこれ話しかけていたけれど、修が重傷を負い入院していた最中見舞ったことで一方的な友好を感じている出水と、その間の記憶がない修の恐縮っぷりは凄い落差だった。だから、思わず助け船としてもう千佳と遊真を迎えに行くよう修を送り出した。それを、出水はーー勿論無礼であるはずがないと烏丸は思っている――さして気にも留めていないようでひらひらと手を振りながら「またな〜」と烏丸の横で見送っていた。この「またな」が引っかかったのだ。次があるような言い方をさも当然のようにする気さくさを、出水らしくないとは思わなかったのに、しかしそのときに限って言えば烏丸は嫌だと思った。次なんてないと出水に思って欲しかった。
 だから。

「あの、修が困ってるんで」
「――ん?」
「あんまり構い倒さないでください」
「お前、何か棘のある言い方するな?」
「そんなつもりはないですけど、先輩は、先輩の楽しいようにする人でしょ」
「まあそうだけど」
「先輩の楽しいは、修の為になるとは思えないんで」
「……へえ」
「修は――俺の弟子ですから」
「わかった、わかった! そんな必死にガードすんなよ」
「必死って――別に、」

 そんなつもりはないとは、出水の視線が言わせなかった。攻撃的な物言いになってしまった自覚はある。けれど、出水の鷹揚さは実力と相俟って弱者には横柄に様変わりしてしまうことがある。特に修はよほどせっぱつまった状況でなければ先輩の申し出や要求を一刀両断することはできないだろう。傍から見ていたら押し付けでも、面と向かった当人が親切だと言い張れば、修は気付かない。
 だから烏丸は、出水から修を隠そうとした。咄嗟の判断だったせいで、言葉が随分と正直に口をついて出てしまった。出水は怒るというよりも、珍しいものを見たという驚きと、意外な場所から牙をむかれたことへの闘争心、もっと藪を突けば面白いものが出てくるだろうかという好奇心がどろどろに混じった瞳――いやらしい目をしていた。

「京介の言い分はわかった。でもさ、おれは射手だから」
「――――、」
「お前より、おれの方がわかってやれる部分がこの先きっと出て来るぜ」
「それは……」
「だってメガネくんたちは、本部で、ランク戦で、勝ち上がって行きたいんだろ?」
「……何が言いたいんすか」
「お前はもう、メガネくんと同じ土俵に立ってないってことだよ」

 出水もまた、必要以上に言葉を刺々しく武装していることに烏丸は気付いていた。先に噛みついたのは自分の方で、出水は応戦しただけだ。けれど、自分は砂を掛ける程度で終わったのに、彼の言葉は烏丸の頬を張るほどには攻撃力が高かった。
 ――同じ土俵に立ってない。
 そんなことはないはずだ。同じ玉狛支部で、毎日とは言わなくても出水よりは確実に顔を合わせて、会話をして、手の届く距離にいるのに? けれど烏丸は同時に認めているのだ。彼は聡い。自分はただ見送るだけだということを知っていて、その旅立ちが華々しく立派であるよう――それは烏丸自身が安堵できるという意味で――必要な実力を身に着けさせてやりたいのだ。可愛い後輩だ、修だけではなく、遊真も千佳も。しかし彼等が掲げる目的は、烏丸の、玉狛第一の目的ではやはりないのだ。
 出水だって詳細など何も知らない。ただ、玉狛支部に転属したのに、何か事情があって本部のランク戦でA級部隊認定をまずは目指しているという程度の情報だけで、それでも彼は修と同じ土俵に立つ資格があるという。だから、構っても、何の問題もないじゃれあいなのだと。その主張に穴を開けて押し潰すだけの正論を、烏丸は持っていなかった。

「怖い顔すんなって、京介を苛めたくて構ってるんじゃないんだし、いいじゃん」

 そう言い残して立ち去った出水を、烏丸はただ見送った。
 そしてそれ以降、出水が修を当然のように構い倒している光景に、烏丸は飛び込むことが出来ないでいる。

「――何で、」

 修なのだと、唇だけで呟く。珍しい射手の後輩だから。そんなの、結局は付属品だろう。
 出水が修に出会ってしまった。そしてどういうわけか気に入ってしまった。未熟な射手であることは、偶々その中の一要素だったにすぎない。だから、烏丸は出水の道を塞げない。修のピンチを凌ぐための幸運は、今の烏丸にとって多大な不運を連れてきた。
 己の目指す場所、定めたポジション、その全てのトップに鎮座している出水に振り回されながら、それでも修は確かに彼から学べることがないかと真っ直ぐに視線を向けてその瞳に出水を映している。それが、修の背を押してやりたい、それしかできない烏丸には眩しくて痛かった。手を引いてやるには、修は己の脚でばかり進もうとして聞かないだろうから。必ず空いてしまう隙間が、こんなにも意識されて寂しくなるとは想像もしていなかった。
 それでも、目の届く範囲に修を置いてしまう自分も大概過保護だと呆れてしまう。出水に肩を組まれ、烏丸とは反対の模擬戦ブースに歩いて行こうとする修は、自分を見つめる師匠の悲しげな眼差しには気付かない。
 けれど。

 ――悪いな。

 一瞬。修にげらげら笑いながら引っ付いていた出水が、視線だけで烏丸に告げた謝罪に似せた挑発。それを、烏丸はばっちり受け取ってしまった。

「――野郎、」

 仮にも先輩である相手に向けるには物騒で、発する気配すら段々と怒気を孕み始めて偶々通りがかった隊員たちが自然と烏丸の周囲を避けて通る。
 いいだろう、烏丸は口角を僅かに上げる。確かに玉狛支部は本部のランク戦には参加しない。それはランク戦が隊という単位で管理されている以上、メイントリガーが本部規格から外れている小南に合わせてという処置が理由の大半だ。烏丸個人にも本部未承認のトリガーが与えられてはいるが、彼のガイストはリミットがついているため、普段の防衛任務はまだ弧月やエスクードといった本部規格のトリガーを使用している。出水個人の相手が出来ないほど、引き籠っていやしないのだ。
 ――痛い目見て、泣かないで下さいよ。
 もう、出水は修を引きずるようにどんどん先へと進んでいる。それを、烏丸は漸く一歩を踏み出して追い始めた。
 修には、偶には観戦する側で自分の戦いを見ていてもらおう。自分は射手ではないが、何かひとつくらい参考になる点があるはずだ。そう、いつか。修たちがA級1位部隊に挑む日がきたときに、その部隊でいやらしく笑っている自信満々な射手を倒す為に。

「――出水先輩、模擬戦、俺とお願いします」

 その申し出を受けた出水の顔は、烏丸が浮かべていたのと同じくらい好戦的で。二人の間にはひたすら意味が分からずに冷や汗をかく修の姿があり非常に不憫だったと、後にその場に居合わせた多くの隊員たちが語ったと言う。



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道行きエスコート
Title by『3gramme.』






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