※83話隙間妄想注意



「随分と無理をしたようだな」

 車のバックミラー越しに話し掛ければ、うつらうつらと眠りの船を漕いでいた栞は「うう〜ん?」と唸った。何か言われたことは聞こえているのだが、もう頭が働かないと言った具合に。



 風間の運転は荒い。流石に昼間の市街地では追い抜きは自重しているものの、走行から停止の区切りが激しい。しっかりと前方を見て運転しているのに毎度急ブレーキの如く停車する。ぐわんぐわんと振り回される同乗者は、よほど車酔いしない人間でない限り何度も風間の車に乗ろうとはしなくなる。もっとも、風間の車の後部座席に勝手にファンシーなパステルカラーのクッションなどを放り込んでいる栞は彼の荒っぽい運転などまるで気にしていないようだった。これまで何度もこの車に乗り込んで来たし、今日も突然「修くんに会いに行きたいから、三門市立総合病院まで送って〜」とタクシーを呼び出すノリで風間を呼び出した。
 風間と栞は付き合っているが、アフトクラトルによる大規模侵攻がひと段落――迎撃すべき敵が去ったという意味で――ついてからは一度も会っていなかった。論功行賞の通達があったこと以外、本部に出向く必要もなかった。侵攻当日に任務が入っていた部隊は、現在優先的に休みが割り振られている。何より、大学生はこれから後期のテスト対策やレポート作成に向けて忙しくなってくる。風間は年末にボーダーによる近界遠征に出ていた分の欠席を免除されている分、気合いを入れてテストやレポートに臨まなければならない――勿論、これは風間の性格から来る意気込みであって、同じ状況のはずの太刀川などはこの限りではない――。今日も、予定では朝から大学の図書館へ出向き資料集めをしてから場所を移動して参考論文を読み込んだりして過ごすつもりでいた(三門市の逞しさは、数日前に異世界からの大規模な侵攻を受けて被害が出ても翌日には機能する機関はしっかりと活動を再開するところである。余計な警戒心で引きこもるということが一切ない)。それを、栞からの電話ひとつで全て返上したのだ。これがメールだったら、同じ玉狛支部の木崎にでも頼めと投げたかもしれない。風間と栞の恋人関係は、ボーダー隊員とオペレーターという能力と人柄への信頼関係から始まったせいか、好かれたいとか嫌われたくないという欲求よりも互いのペースを尊重した上での噛み合いがマッチしているかどうかの方が重要だった。しかし出掛ける支度を終えた風間が取った電話越しに聞こえた栞の声が、これはもう何日きちんと寝ていないんだというくたびれたものであったから、二言目には「どこで拾えばいい?」と車のキーをズボンの尻ポケットに突っ込んでいた。玉狛支部にいたのでは、警戒区域に近過ぎて車両は建物前まで入れないのだ。
 大規模侵攻以降、ほぼ毎日徹夜していたのだと助手席に乗り込むなり栞は大きな欠伸を手で押さえながら言った。同時に風間が車を発進させたので、まだシートベルトを絞めていなかった栞の身体は勢いがついて前方に傾いだ。見舞いなら、一度寝てから出直せばいいのではと思ったが、修の意識が昨夜戻ったこともあり論功行賞の報告がてら元気な姿を確認してからの方がよく眠れそうだからと栞は何度も首をがくんと睡魔に持って行かれそうになりながら、それでも幾分ほっとした表情をしていた。風間も一度だけ見舞いに行ったが一週間以上眠っていた修の意識が戻ったことは良い情報だった。栞は出来たばかりの後輩たちを、普段から陽気で誰にでも面倒見がいいせいで正確に伝わっていないかもしれないが、非常に可愛がっている。何もうち一人がメガネだったからというわけではない。

「あー、遊真くんも乗せてあげればよかったなあ……」
「なに?」
「さっきまで今朝がた終わった調べ物の報告を遊真くんにしてて、それを聞いたら『じゃあ今日にでもオサムに会いに行こうかな』って言ってたから。あー、でも風間さん、遊真くんと面識ないんでしたっけ?」
「いや、入隊式と――あと会議にいただろう。お前もいた」
「あ〜そうか〜、そうだった〜」
「――病院に着くまで寝てろ」
「今寝たら明日まで起きないからダメです」

 何だってそんな無茶をしているんだと、風間は溜息を吐く。二人の間に連絡がないことは珍しくもなく、先の任務で玉狛第一の活躍も目覚ましかったこともあり、それに見合った休息を取っているとばかり思っていた。ボーダー本部は、今頃根付たちメディア対策室は火の車状態だろう。開発室は崩壊した本部の修理をもう終えているという。連絡通路もとっくに回線が戻っている。市民の被害はゼロだったが、浚われたC級隊員の家族への説明や責任追及は免れない。しかしそれは、風間には関係のないことだ。
 眠気に負けないようにと、栞はここ一週間の作業について働かない脳みそを使って喋り出した。風間は正面を向いたまま、何度か相槌を打った。話がぶつ切りに飛び過ぎていて、何と言っているかわからないところも多々あった。ただ言葉の端々を繋ぎ合わせて理解してやることくらい、風間にはわけないことだ。伊達に、栞と付き合っているわけではない。
 風間も以前会議室で目にした空閑遊真のお目付け役――本人がそう名乗っていた――トリオン兵が大変なことになっていたとは知らなかった。どうやら近界の技術というものはまだまだ風間たちの知らない未知のものが数多く存在するに違いない。残された、本体から分裂して通信や解析機能を持つちびレプリカが、動かないまでも消滅していないのだから本体も生きているということを証明するまでに随分と時間が掛かってしまったと、栞は目を擦った。

「でも本当に証明できて良かった〜、だって――」
「?」
「あ、着きましたね!? じゃあちょっと行ってきます!」
「おい、」
「ん? あ、風間さんも一緒に行きます?」
「いや、駐車場にいるから終わったらそっちに来い」
「はーい!」

 病院の正面玄関で栞を降ろす。病院の駐車場はいつ来ても空いているということがなく、どうにか空いている場所を見つけ風間はそこに車を停める。目印になるものが近くになかったので、念の為栞の携帯に戻ってくるときは連絡を入れるようメールする。暫く運転席でぼんやりとしていると、遠目に見える入り口に珍しい白髪の頭が吸い込まれて行った。はっきりと確認できたわけではなかったが、あれは遊真だったのだろう。成程、確かに一緒に運んできてやっても良かった。ただ、風間と栞と遊真。珍妙な組み合わせ過ぎて、風間は「ないな、」と思わず声に出して否定していた。
 それから直ぐ栞は病院から出てきたが、メールを見ていないのかふらふらした足取りで駐車場の方へやってくる姿があまりに危なっかしかったので風間は車から降りて僅かな距離を迎えに行った。そうして彼女を、家まで送ってやるから寝てろと後部座席に放り込んだ。



ラジオもCDも聴かない車内は、エンジンの音と伝わってくる振動だけが車内のBGMで、けれどそれが疲労した頭にはもっとも効果的な単調な子守歌だった。栞は、既にくっついている瞼の内側で押し寄せる眠気に身を任せている。

「――宇佐美」
「はい〜?」

 呼ばれている。それだけがかろうじて理解できることだった。

「何が良かったんだ?」
「え〜? 何ですか?」
「空閑遊真の連れているトリオン兵が、死んでいないと証明できて、何が、そんなに良かったんだ?」

 病院に着く前、「だって――」と栞が言いかけた言葉を、風間はしっかりと聞いていた。風間たち本部の一部の人間には、レプリカは侵攻前にボーダーの遠征何十回分もの価値がある惑星国家の配置図を提供してくれた恩はあれど、トリオン兵に流す情はほとんどないと言っていい。誰もが、日頃この三門市を襲うバムスターやモールモッドという名のトリオン兵とどれほどの差があるのか――恐ろしく高性能であることは除いても――理解できないだろう。
 遊真が「相棒」と呼び称した存在を、風間もまたただのトリオン兵以上の存在とは認めていない。しかし栞は違うのだろう。玉狛支部は元々人数が少ない分その関係性は家族に近いものがある。突然飛び込んできた近界民と、そのお供。それすらもあっさりと許容して微笑むだけの面子が充分に揃っている。それを失くしたのでは、生命の安全を保障されているはずのボーダーにあっては殊更悲しみは深いのかもしれない。

「――だって」

 栞の頭は殆ど働いていないけれど、この一週間自分を突き動かしてきた感情が捌け口を探すように言葉になって溢れてくる。それでも、猛烈に眠りを欲する体から絞り出せる声は、とてもか細いものであったが、丁度信号待ちで停止した車内は静かで風間の耳にも彼女の声はなんとか届いた。

「頑張ったでしょ、あの子たち。……まだ正式なチームもできてない……、去年から暫く訓練はしてるし、遊真くんは向こうでの経験も豊富で強いけど……、ボーダーではまだC級なのに、黒トリガーだからって当たり前に最前線で戦って……、先輩なのに、なあんにもしてあげられなくって……、最後まであの子たち、敵の一番そばにいて、戦って、生き延びてくれたのほんとに……、でも修くんも千佳ちゃんも大変なことになってたし、遊真くんだって……ずっと一緒に旅してきたレプリカ先生がいなくなっちゃって、それって家族がいなくなっちゃったってことでしょ? あの子たちあんなに頑張ったのにそんなのって辛いでしょ? だからね、だから今度はアタシが頑張る番だったの……先輩だし、少しでもあの子たちが笑ってくれたらいいなあって……それだけ。論功行賞とか……あんまり喜ばない子たちだから」
「――そうだな」
「風間さ〜ん」
「何だ」
「――おつかれさま、」
「……ああ、お前もな」

 本当に、疲れました。そう呟いて、栞がもう限界と瞼をキツク閉じたのと、風間が思いきりアクセルを踏み込んだのは同時だった。振動で栞の眼鏡がずれる。それを直すのではなく外して、仕舞う。そして栞がいつだった持ち込んだ、風間の車には全く似合っていないクッションを枕に横になる。

「もう本当に眠いんで、このまま風間さんちに連れてってくださーい」
「――おい」
「いや本当、早く、布団ギブミーです……」
「……仕方ないな」

 隣町へ取っていた進路を、車線変更から信号を曲がり市内の自宅へと変更する。確かに、まだ栞の家を目指すより風間の家に戻った方が所要時間は短い。風間のベッドを占領するつもりでいるらしい栞は――これまでにも何度か招いたことはあるが――、彼がいることで万事問題ないと既に寝息をたてはじめていた。
 栞を送り届けてから、本来予定した図書館に出掛けようとトランクに放り込んだ勉強道具の出番はまたの機会になりそうだ。寝ているだけなら、栞を放って出掛けても問題はないのだろうけれど仮にも暫く会えていなかった恋人だ。寝顔しか見れないにしても、それでもいいから傍にいようと思うくらいの愛情は風間だって持っているので。

「――お前は、本当によくやっている」

 きっと、お前が心底可愛がっている後輩たちもそう思っている。もう聞こえていないであろう優しい言葉は、それでも栞に、確かに風間の唇から届けられた。武器を取るだけが戦いじゃない。敵と戦うことだけが防衛じゃない。戦場に出ている人間だけが勇敢なわけじゃない。その全てを、風間は知っている。
 視界に入り込む市民たちは、もう一週間も前に三門市には平和が戻って来たのだと疑わない顔つきで平然と歩いている。それくらい鈍感な方が都合がいい。けれど、平和なときにこそ戦わなければいけない人間がいることを彼等はわかってない。
 だから風間は、決して眠り心地は良くないであろう、荒っぽい風間の運転にも妨害されないほど深い眠りにこんな短時間で落ちるまで戦っていた栞を、密かに誇りに思う。そしてそれ以上に愛しく思っていることを、言葉にしない代わりに今夜は栞が起きたら美味しいものでも食べに連れて行こうと決めた。
 図書館には、明日行けばいい。



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夢の続きの平和のその先
Title by『るるる』






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