待ち合わせ場所の喫茶店にやってきた栞の姿を見つけるなり「久しぶりだな、元気にしていたか」なんてワンセットにして風間が言うものだから、栞は思わず店内のシックな雰囲気とは不釣り合いな笑い声をあげてしまった。別れた夫婦が久しぶりに顔を合わせたみたいだと思ったから。親密であったころの記憶が思い出として輝いて、それだけでは一緒に居られないから別れることを選んだのに、いざ別れたら全てをなかったことにして振る舞うべきかどうかを迷っているかのような感じ。勿論離婚の経験どころか結婚の経験すらない栞には、風間の正確な気持ちを推し量る術はない。
 栞の軽口に風間が乗っかってくれる可能性はまちまちで、流されたからといってどうということはない。ただやはり乗ってくれるならばそれは楽しい会話として記憶されるだろう。会話の本筋から逸れすぎないように舵を取ってくれる風間との事務的に会話を嫌っていた訳ではない。彼の、率直かつ手短に、用件を正確に伝える潔癖を栞は愛していた。
 出会ったばかりの頃、風間はA級昇格を目指していて――それはもう淡々と機械的に――栞にはその姿が他の隊員とは別格に輝いて見えていた。それが欲目だったと今ならば冷静に振り返ることが出来る。人それぞれに事情があって、三門市自体が抱えている異常な事情のなかで、戦うことに対して上昇志向があることが立派であるかどうか。それは栞にはわからない。ただ目の前のランク戦と任務を着々とこなしながら、何も言わずに己の動きをリファインし洗練していく。チームを組んだ方がA級を目指すにあたり都合がいいことは明らかだったけれど、効率を求めるからこそ着実な足場が必要だということを理解して、理想とするチームのコンセプトに見合った、まだ芽が出ているかわからないC級隊員をスカウトしに出かけた。無駄のない人だった。もしかしたら、無駄で他愛ない、下世話な話題に同年代と興じるような俗っぽさも抱えていたのかもしれない。けれどそれは、栞が風間隊のオペレーターを務めている間目にすることはなかった部分だ。玉狛支部に異動してから約一年、風間が歌川と菊地原を隊に迎え入れカメレオンと菊地原の聴力強化のSEを軸にボーダー内で頭角を現し始めた時期からすれば二年ばかりか。栞にはあっという間だったし、実際まだ十七年と少し生きただけの人生の中でも僅かな幅でしかない。何を懐かしんでいるのだろう。噂ならばいくらでも耳に届くし、姿だって隠さなければならないわけじゃなく、会おうと思えばこんな風にいくらでも会えるのに。
 籐の椅子に背中を預けると、ギシリと軋む音がした。風間から手渡されたメニューにぼんやりと視線を落とす。とっくにケーキセットの飲み物はコーヒーと決め終わっているのに、どうも顔を上げる踏ん切りがつかない。顔を合わせるなり笑ってしまったというのに。とはいえ、こんな小癪な時間稼ぎが通じる相手でないことも、栞は重々承知している。顔を見たのはかれこれ半年ぶりだった。直接会話を交わしたのは恐らくもっと前のことだろう。

「何を考えている?」
「…んー、何頼もうかなって」
「決められないなら俺が勝手に頼んでやる」
「ケーキセットのAをコーヒーでお願いします!」
「わかった」

 風間が手を挙げて店員を捕まえる。同年代と食事をするとき多用するファミレスに置かれている、店員を呼び出す為のボタンを思い出す。風間隊のみんなと出掛けて行ったときも、店員が来るのが遅いとぼやく菊地原がボタンを連打しようとするのを歌川が慌てて止めていた。
 やって来た店員に、風間はさっさと注文を済ませると栞の手からメニューを抜き取ってテーブルの脇に仕舞った。その仕草がやけに「では本題に入る」という話題転換に思えて、しかしそもそもどうして呼び出されたのかもわかっていなかったこと、栞は随分と無防備に風間と向き合っていることに、二年前から変わることのない同じ隊に所属している人間の気安さをまだ保持しているという図々しさを覚えた。本部と玉狛、城戸派とその他。違いを、栞は意味あるものとして殆ど認識していないけれど。今目の前にいる風間は、変わってしまったのだろうか。風間隊の構成面子にしたって、栞が玉狛に異動した時点で変わっているのだからこの二年間何の変化も遂げていないということはありえないのに。
 久しぶりに顔を合わせる風間を前に、栞の気分はやけに感傷的に沈んでいく。これが従弟の陽介だったら、半年どころか一年ぶりに再会したってこんな気持ちにはならないだろう。

「それで、風間さん。今日のご用件は?」
「……早いな。注文が来るまで待てないのか」
「いやー、せっかちな性質でして」
「そうだったな。だが、早さよりも正確さを重んじる方ではなかったか」
「そうでしたっけ?」

 忘れてしまった。貴方の傍にいたアタシは一年前に捨てて行ったのだから。日々進化する技術と増えていく情報を捌き、分析し、構築していく為に、思い出の人とじゃれ合ってなんかいられない。妄想で心が通えば苦労はしない。
 栞は店内に視線を廻らせる。客足の疎らな時間帯、風間と栞と年代の似通っている客はいなかった。栞を待っている間に風間が頼んだコーヒーはカップの底が見えていて、ここが玉狛支部のリビングだったらとっくにおかわりを注いであげていた。けれどここは喫茶店、二人の中立地点。争う理由もないから、却って宙ぶらりんな距離感が栞をどっちつかずな気持ちにさせる。もしも菊地原がいたら、栞は容易く風間隊にいた頃の自分を引っ張り出して来ただろう。菊地原ならそれを望んでくれる。自分の知らない場所の話ばかりする人間を彼は基本的に好かないのだ。けれど風間は栞に何も望まなかった。栞に異動の話が持ち上がったときも、栞の意思次第だと尊重してくれた。当たり前のようにその言葉を享受したけれど、風間隊の形が完成していたことが大前提だったとしてもそれでも、やっぱりちょっとだけ寂しかったのかもしれない。今更思ってみたところで、詮無いことだけれど。

「――今日呼び出した用件だが、」
「はい」
「お前に会いたくなった、それだけだ」

 用件、その言葉に思わず背筋を伸ばしていた。けれど、風間の言葉に思わず肩の力が抜けた。なんてことはない、それだけだと言いきった風間はカップに手を伸ばし、直ぐに飲み終わっていたことを思い出し、前髪に隠れることのない眉をありありと顰めた。それが、一種の照れ隠しであることを栞は見抜きたくなかった。だってとても恥ずかしい。
 栞には、気恥ずかしい空気を誤魔化す為に飲み下すコーヒーも、咀嚼するケーキもまだ届いていないのだ。慌てて視線を店中に彷徨わせる。客足は疎ら。離婚した元夫婦の久しぶりの顔合わせから一転、忙しい日々に囚われてろくに顔を合わせていなかった恋人の再会みたいな雰囲気だった。
 栞の注文したケーキセットは届かない。



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どうせならいい方にとってよ
Title by『さよならの惑星』






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