「お前土下座返し先輩って呼ばれてんの?」

 ラウンジ脇の自販機に寄り掛かりながら、出水は買ったばかりの炭酸飲料をプルタブを開けて口に含む。出水の言葉に動揺した佐鳥が、屈みこんで自販機の取り出し口に伸ばしていた手を追い越して頭を打ち付けたのを見て危うく口の中身を吹き出しそうになってしまった。額を押さえながら立ち上がった佐鳥の手にはペットボトルが握られていて、出水は反射的に自分もペットボトルのものを買えばよかったかもしれないと後悔する。他人の買い物がよく見えるということは屈辱だ。特に佐鳥のものとあっては。佐鳥が必死にそんな格好の悪い呼び方はされたことがないと言い返している、その全てをスルーして出水は佐鳥の手元ばかりを凝視していた。
 広報担当の嵐山隊に属している佐鳥は好きなものを女の子と公言しているあたりからしてつい格好をつけたがる嫌いがある。狙撃手志望のC級隊員に対する入隊指導時の佐鳥の表情筋の動きを出水が至近距離で見ていたら笑わずにはいられなかったろう。悪い奴ではないし、寧ろいじられ系の愛されキャラなのかもしれなかった。勿論それは佐鳥の妄想している格好いい人物像からはかけ離れているのだろうけれど。
 そんな佐鳥からすれば「土下座返し先輩」なんて先輩と敬称を付けていてもそこには敬意の欠片もない呼称だということがありありと感じられるだろう。不名誉極まりなく、名誉棄損であると精一杯物を知っていそうな――単純に口が回りそうな――言葉を使って出水に抗議するも、当の彼はまともに佐鳥の話を聞いていないどころかその剣幕を鬱陶しいと邪険に手を払って「言い出しっぺはおれじゃないし」と肩を竦めた。
 先日偶然すれ違ったC級隊員の女子二人組とすれ違った瞬間耳に入ってきた言葉だった。恐らくはスナイパー志望だろう。気の強そうなネコ目の少女と、大人しそうに口を結んだアホ毛が特徴的な少女だった。
 ――土下座返し先輩が4位とは驚きだったね!
 ――そ、そうだね。
 ――128人もいるのにねー、人は見かけによらないってことかー!
 ――失礼だよ…。
 そんな会話が徐々に遠ざかって行くのを、出水は思わず足を止めて振り返り見送っていた。少女たちは出水の視線には気付かなかったようだ。二人の姿が完全に見えなくなってから、出水は肩を震わせて笑った。4位と128人という数字が、このボーダーに所属する狙撃手の人数であることは明らかだ。何故なら佐鳥が出水に自慢げに教えに来たのだ。128人中、4位の成績だったと、シューターであるが故余所のポジションの順位にはさほど興味がない出水にわかりやすく説明して自分の凄さをわかってもらおうと、佐鳥の説明はそれは丁寧だった。もっとも、そのときの出水の反応はといえば仮にもA級隊員なのだからある程度の高順位は当然のこととあっさりしたもので終わってしまった。明らかにご褒美をたかりに来ている後輩の瞳ほど邪なものはないと、出水は佐鳥を甘やかさないことを信条としている。そもそも財布の紐を緩めるような面倒を見るほど、二人は先輩と後輩としては特別近しい間柄にはないのだから当然だ。自分の隊の後輩の性格が割とアレな為に、素直な佐鳥のことは後輩として好ましいタイプだとは思っているが。
 佐鳥を眺めながら下す判断はわりかし好意的なのに、接し方がどうにも意地悪くなってしまうのもまたその人柄の所為なのだろう。出水の愛は、いつだって佐鳥の形の良い額に物理的破壊力を持って届くのだ。例えば、ぐちぐちと喧しい口を黙らせる為に手刀を落としたりして。

「痛い!」

 佐鳥の悲鳴をやはり聞き流し、出水は自分が手にしていた缶と佐鳥が手にしていたペットボトルを入れ替えた。素直に持ち直してしまう佐鳥の扱いやすさに呆れながら、「それ全部飲んで捨てといて」とこれからどうしようかと考える。太刀川隊のオペレータールームには国近がいて買ったばかりのゲームをボーダーが料金を支払っている電気を利用してプレイしているし、数秒遅れで自分の背を追いかけてくる佐鳥を連れていくことはできない。ラウンジ中を見渡しても、生憎余裕を持って二人分座れそうなスペースは余っていなかった。A級の出水と佐鳥がちょっと失礼と腰を下ろせば多少融通が利くかもしれないが、それはとても嫌味な行為だ。弱い者を思いやるには出水は天才肌過ぎるけれども、横柄に他者を虐げるような人間ではないつもりだ。宣言すれば佐鳥が抗議してくるのは目に見えて明らかだったので絶対に言葉にはしないけれど。

「――佐鳥、今日おれんち来る?」
「えっ、いいんですか!?」
「まあ家族留守なんで夕飯は自分たちで調達しなきゃだけど」
「マジですか……」
「何落ち込んでんだ」

 まさか我が家の夕飯に釣られて遊びに来ていたわけじゃないだろうと出水に追いついてきた佐鳥の足を踏んづけた。トリオン体なので大したダメージにもならないくせに、毎度出水の性質の悪いスキンシップに佐鳥は泣き言を唱え続ける。ラウンジの壁にはめ込まれている大型の時計を見遣る。待機任務の終了までは残りわずか。終了時に出歩いていると怒られるかもしれない。
 一度オペレータールームに戻っておくかと出水は佐鳥にその旨を告げようとするが彼は出水の家に行ってからやりたいことやら事前に買っておきたいものの話やらをつらつらと語り続けていた。全然聞いていなかったと出水は頭を掻きながら、まあそれも問題ないだろうと尋ね返すことをしない。そもそもの会話の始まりは出水の家に佐鳥を招くことなど目的としていなかったのだ。

「なあ、お前土下座返し先輩って呼ばれてんの?」
「まだその話する!?」
「親しみやすい愛称ができてよかったな」
「全然親しみやすくないよ! 全然!」
「おれ、一回柚宇さんのとこ戻るわ。任務終わったからメールするから」
「えっ、ちょ、可愛いオレの名誉に関わる問題を残して!?」
「どうでもいいし」

 ひらひらと手を振って、出水はその場を後にする。出水から言い出した会話の始まりに結びをつけて、迷いない足取りで。そうすると、隊服のコートの裾がいい感じにはためくのだと知っている。やっぱり佐鳥には言わないけれど。こういうことは、同年代の米屋あたりに打ち明けて馬鹿にし合うのが楽しい。どれだけ佐鳥が素直な後輩であったとしても、出水と佐鳥は先輩後輩として親しいわけではないのだから、話題は選ぶ。
 だから別に、佐鳥がC級の女の子に「土下座返し先輩」と呼ばれていても気にしない。会話のネタにはなったけれど、背景も意味も拘る価値を出水に与えない。これがもしも「超カッコいいA級狙撃手の佐鳥先輩」なんてうっとりした瞳で呼ばれていたのなら話は別だったけれど。
 ところで、佐鳥は自分の購入した飲み物が出水に奪われたということにいつ気付くのだろうか。それが今、佐鳥の名も知らぬ女子たちからの呼称の行方よりも気になることであった。



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60万打企画/ラズ様リクエスト

何だかんだ言って格好つけるのが好きだ
Title by『にやり』








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