深呼吸。吐く方を念入りに、気合いを入れ直す。サイドエフェクトにばかり頼ってはいけない。何せ見える未来が困難過ぎる。大切な恋人が、どういうわけかボーダーA級隊員ホイホイの異名を持つ謎メガネとしてその噂を流布させていることを当人は勿論、迅もつい最近になってから知った。迅の視線の先、件の謎メガネ――三雲修は現在進行形でA級隊員に囲まれている。ちょっぴり仰け反り気味の背中と、恐らくは冷や汗をかいているであろう表情がありありと想像できる。けれど取り乱すことをせずにいるのは、修の両サイドをがっちりガードするように寄り添っている遊真と千佳の存在があるからだろう。
 広報の仕事帰りか、修に笑顔で話しかけている嵐山と、彼より一歩下がった位置にいながらもしっかり会話に参加している木虎。それから、こちらは遊真に対戦をふっかけようとしながら修にも声を掛けている緑川と米屋。修の隣に遊真がいなければ、米屋を回収しに来たと理由づけをして三輪辺りも現れていたかもしれない。風間隊は今頃待機任務中だから安心していいはずだ。迅のサイドエフェクトにも彼等の陰は現れていない。
 息を吐き終えて、いざ、自分も修の元へ行こうと一歩踏み出した瞬間。遊真がゆっくりと迅の方を振り向いた。気付かれたかと、声を掛けるか手を挙げるか判断するよりも先ににやりと遊真が笑った。
 ――あ、狙ってたな。
 瞬時に自分の出鼻が挫かれたことを悟る。案の定、遊真が修の上着を引っ張って迅の存在を知らせてしまう。一斉に自身に集まった視線に怯むことはない。ただ勝手が変わってしまいやりにくいと思ってしまった。振り向いた修が「迅さん!」と嬉しそうな声で名を呼んで、控え目でも本心からの笑みを浮かべてくれたことは単純に迅の機嫌を上昇させたけれど。

「やあやあみなさんお揃いで」
「珍しいな迅。呼び出しか?」
「そんなとこ。まあ呼び出されたのは会議じゃなくてランク戦なんだけど」
「太刀川さんか」
「そうそう。あの人ほんと暇だよね〜」

 迅の声に応じたのは嵐山で、今集まっている中では最年長の二人が会話を始めてしまうと取り残された年下組は口を挟みにくいのかもしれない。唯一、迅を好きすぎる緑川だけはそわそわと熱烈な視線を送っているが、それも時々遊真と修の方に浚われてはまた迅を見るといった忙しなさだ。そして内心、迅も嵐山といつも通りを意識した会話に興じながら修たちの会話に耳をそばだてている。木虎が遠回しに同じ玉狛の人間が本部に来るなら迅よりも烏丸が来ればいいにという旨の発言をすれば、修は律儀に今日はバイトだけど夕方から玉狛に顔を出せるから訓練して貰うことになっていると悪意なく木虎の嫉妬を煽ってしまう。本当はだから木虎も予定が開いているならば玉狛に来るかと言いたかったんだろうと遊真と千佳はわかっていると伝えるかのように彼の袖口を摘まんだ。
 米屋はじゃあ玉狛に戻る前に模擬戦をしようと修の頭を撫でながら遊真を誘っているし、とうとう緑川も「米屋先輩抜け駆けずっる!」と完全に意識を修たちの方に持って行かれてしまった。

「三雲先輩からもなんか言ってやってくださいよ! オレの方が先に遊真先輩に模擬戦申し込んでたんですよ!」
「えっ、ええ?」
「早いもん勝ちだろ〜? メガネボーイもそう思うよな?」
「えーっと…」
「ふむ。オサム、時間は大丈夫か?」
「いや…そろそろ戻らないと遅れそうかな」
「そうか。じゃあ悪いけど模擬戦はまた今度ね」

 遊真の、どこまでも歪みない修の言葉の優先度の高さを目の当たりにして、米屋と緑川も不満を零しながらも修に訂正を求めはしなかった。二人の関係性を理解しているのだろう。それほどに、彼等は修と(あるいは遊真と)顔を合わせる機会があるということだ。
 迅も風刃を返上してからはランク戦に復帰したこともあり以前より本部へ顔を出す機会は増えているのだが、純然たる偶然の遭遇は殆ど経験していない。それ以上に、何処かにレーダーを搭載しているのか迅とのランク戦を望む太刀川に遭遇してブースに連れて行かれてしまうから頻度の方が圧倒的に高かった。愛の引力なんて作為で以て発生させるしかないのだ。しかしサイドエフェクトを修に関することにばかり乱用しているといつの間にか迅の評判が駄々下がりなので匙加減が難しい。修と付き合い始めてから、彼の耳に自分の不名誉な噂が入らないよう迅は気を払っている。特に、両手の塞がった女性を狙ったセクハラは一切行っていない。本来はそれが人間として当たり前であるとは嵐山の真っ当な言だ。

「メガネく――」
「三雲くん、玉狛に向かうなら途中まで一緒に行かないか? 俺の隊はもうこの後仕事はないから。木虎も送ろう」
「あ、嵐山先輩が言うなら、仕方ありませんね!」
「迅はこれから太刀川さんとランク戦だろ? あまり羽目を外し過ぎるなよ!」
「えっ」
「じゃあ迅さん、ぼくたちお先に失礼します」
「えっ、ちょっ、待っ、メガっ」

 礼儀正しく頭を下げる修の背中を、嵐山は暗くならない内にだとかもっともらしい言い訳を添えて押していってしまう。
 ――おれ、遊ばれてる!?
 遊真と千佳にならば多少防壁を張られても納得しようがあるのだが、こうも細やかな縁で繋がっているだけの人間に進路を阻まれてしまうと流石の迅も修の吸引力を侮っていたとしか言いようがない。B級隊員の、迅の口添えがなければそのB級にすら上がれたか危うかった少年の魅力。最深部にまで落ちてしまった迅が嘆いても仕方のないことだけれど。寧ろ自分が彼を引き上げたせいで、A級の面々の目に留まる場所に最短でやってきてしまったと言ってもいい。しかし自業自得と諦めきれるわけがない。両想いのはずなのに、同じ空間にいてまともな会話が別れの挨拶だけというのはどう考えてもおかしい。
 せめて支部に戻った際のお楽しみの約束くらいとりつけさせてくれてもいいんじゃなかろうか。木虎あたりに見透かされれば確実に不潔の汚名を免れない。だが迅からすれば至極当然の権利の主張をするべき意気込んで顔を上げ今からでも遅くはないと修の背中を追おうとした体はしかしまえに進まなかった。がっちりと肩を掴まれている。ぎぎぎと効果音がつきそうな、ぎこちない動きで振り返る。そこには汚物を見るような目で迅の肩を捕まえている風間の姿があった。どうやら待機任務はもう終了したらしい。

「迅――お前今、何を考えてた?」

 風間さんが疑っているようなことは何にも考えていない。そう言い訳をするよりも早く、風間は問答無用で迅をA級隊員が使用する対戦ブースへと引きずって行く。
 結局、その日迅は太刀川だけではなく風間とも模擬戦を行い、早く帰れと追い出されるまで本部に拘束されることになる。勿論、玉狛支部に戻ったときには修たちは既に自宅へと帰っておりお楽しみどころか今度は挨拶すら交わせないという散々な一日の終わりを迎えることになる。
 やはり明日からはなりふり構わずサイドエフェクトを乱用するべきかもしれない。迅の悲痛な面持ちは、しかしこの後修からの「今日はあまり話せなくて寂しかったです」という嵐山プロデュースのメールが届くとあっさり喜色満面の笑みに塗り替えられるのであった。



―――――――――――

60万打企画/朔様リクエスト

やさしくなれない人たちの塔
Title by『にやり』








「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -