我が身に降りかかった災難は、その時点から自分の責任で以て処理しなければならない。修はそう思っている。自身の手の届かない場所で広がってしまった評判も、いつの間にか形を変えて誇大化されてしまった真実も、その噂と実寸大の差分に落胆と怒りと顰蹙が暴力になって修の身に降り下ろされたとしても。責められるべきは他人ではなくその噂に及ばない自分の無力さなのだ。ボーダー本部にてトリオン体に換装する以前に負わされた傷の痛みを抱えながら、修は閉じた自身の価値観で決めつけていた。


 目の前の、弟妹と同年代の少年の顔を真っ直ぐに見つめながら嵐山は大きく息を吐いた。それはともすれば溢れ出しそうになり怒りの感情をまさか被害者でもある修に向けるわけにはいかないと、心を落ち着けるためのものであったのだが肝心の修は勘違いしてしまったのかわかりやすく身体を強張らせた。同じくらいわかりやすく腫れている頬と、切れた唇の端に滲んでいる血。埃だらけの制服を見て何も察せないほど嵐山は馬鹿じゃない。こういった姿は、暴力によってのみ晒されることくらい知っている。秩序はあれども物騒な場所で暮らしている。誰も彼もがボーダーに好意的ではない。広報部隊として顔を出している嵐山にはよくわかる。
 もっとも修はボーダーであることを自分から吹聴するようなタイプではないし、そのことを知っているのは彼に命を救われた人間が大半であろう。修が暴力を振るわれるにいたるパターンが一般市民のボーダーへの逆恨みだとは思わない。そもそも嵐山は修が暴力を振るわれるような人間だとも思っていない。それは彼が溺愛する弟妹を助けてくれた恩人だから。そして嵐山自身特別な感情で修を想っているから。その感情を、どうしてか嵐山を公正な人間だと思っているらしい修にはなかなか伝えきることができない。
 修は黙っている。いつもは話すときに相手の目を見つめてくるのに、今は伏し目がちだ。それが、自分から発する言葉がないことの意思表示だとは理解できる。だからといってじゃあ仕方ないなと解放するわけにはいかない。喧嘩なら喧嘩だと言ってくれればいい。けれどそうではないのだろう。適当な嘘であったとしても、修は嵐山に偽りの言葉を吐くことを心底厭っているらしい。それは依然、友人である近界民をボーダーから匿うために吐いてしまった嘘を申し訳なく思っているから。嵐山は既に事情を察していて、怒ってもいない。実際生徒たちのために駆け出してくれたことは真実だったのだからと割り切っている。だが修には嵐山にどう思われているかは問題ではないのだ。修の価値観は、時々ひどく排他的のように嵐山には思える。

「――三雲くん」
「……はい」
「それは、その傷は、誰にやられたか君は言う気がないんだな?」
「はい」
「それは、その相手を庇っているとか、俺か、君のどちらかの顔見知りだからという理由でもない?」
「違います」

 修は自分に嘘を吐かない。ならば消去法で思いつくままに予測を疑問にして投げかければいい。イエスかノーか、それだけで答えは案外絞れる。ただ修は驚くだろうか。他人の暴力という悪意をいくつも思いついて列挙できてしまう嵐山に。見た目通りににこにこ笑っているだけの善人なら、物知らずなら、A級隊員なんてやっていられない。
 庇っているわけではないのだろう。修は自分の閉じた価値観の中で、暴力を過ぎたことにしてしまったのだ。自分の身体に負った傷はその時点で修だけの問題となりその原因の他者は誰であれ問題ではない。その単純な最短の処理が嵐山には悲しい。どうせその暴力が自分にではなく、自分の大切な誰かに降りかかったら怒るのだろう。脆弱な力と強靭な意志で抗議するのだろう。同じ暴力で応酬するのではないとしても、修は戦うべきときにはきちんと戦う。

「なあ三雲くん、俺は君のことをとてもいい子だと思っている。それは俺の個人的な感情に任せた評価ではなく、世間一般に浸透している常識や価値観に準えてみたとしてだ」
「いえ、そんな…」
「でも君は賢くないと俺は思う。馬鹿だと言っているんじゃない。自分の力量を把握して、最前の選択をする。戦い方としてはとても良質なんだろう。風間さんも言っていたけれどね」
「―――、」
「でも君は、鈍感だ。君の正当な自己評価は、周囲の人間が自覚している君への感情を正当に評価していない」
「ええっと、それは……」
「愛されていると思い上がるのは良くないかもしれない。けれどね、意志なくはねつけられる好意だってそれはつらいことだよ」

 言葉を選びながら修の腫れた頬にそっと触れた。それでも痛みに顰められた顔を、嵐山は自然体で素晴らしいと思う。どれだけ慎重に選び取ったとしても優しくない所作だ。しかし修の態度だって同じことだ。慎重であったとして、丁重であったとして。修は嵐山を拒もうとした。どうしてそれが許されるのだろう。こんなに想っているのに。下心だからというのなら親切なだけの先輩ぶってやってもいい。だが結果はどうせ変わらない。
 苦々しい、もどかしい、辛い。どう捉えても曇っていく嵐山の表情を見つめながら修はやはり黙っている。嵐山の言葉を咀嚼しながら、傷に障らないよう唇を引き結ぶ。麻痺していた。ボーダーという世界に飛び込んでから。近界へ行くためにA級を目指すという目標を得てから。強くない現在の自分の程度の低さを、常識の如く意識に浸透させていた。
 だから仕方ないと思っている。A級隊員、攻撃手ランキング二位の風間と度重なる惨敗の末ようやく引き寄せた相討ちが、惨敗の個所を切り落として手に負えないレベルに広がってしまった。風間にも不名誉な噂だろう。当人は気にしないかもしれないが修には違う。緑川とのトラブルを経て解消されたはずの噂の火種が燻っていたことも、修の実際の力量を嘲り指を差されときに暴力が降りかかることも仕方がない。全て誤解なのだから、修が調子に乗っているなんてことは有り得ない。だとしても調子の乗るなと筋の良いC級隊員やB級の下位隊員たちに囲まれて怪我を負わされても修は黙り込むことを選ぶ。仕方ないのだ。今はとにかく、いずれ昇ってくる遊真と千佳の足を引っ張らないよう修行に励むしかないのだと。そうして一直線に自分の世界を作るから、嵐山の言う通り、他人の好意なんて考えたこともなかった。

「――嵐山さ、」
「君が好きだよ」
「え、」
「恩人だとか、後輩だとか、そういうんじゃない。三雲君が好きだよ」
「え、あの、え?」

 混乱する修を宥めようとはせず、嵐山は自分よりも小さい体を抱き締めた。怪我への配慮は忘れていた。親切なだけなら、一生届かないとわかったから。きっとこの背に修の手が伸ばされることはないだろう。今はまだ。そう、独り善がりな希望を繋いでおく。
 嵐山には短すぎる時間、修には長すぎる時間。嵐山はゆっくりと修を解放した。修の身体の緊張は直ぐには解けなかった。

「あ、嵐山さん?」
「ん?」
「い、今のって…?」
「うん、わかりやすく言うと、今のが俺の好意だ」
「こうい…」
「いつか君に届くといいんだけどね」

 寂しげに笑う嵐山を、修は本能的にずるいと思った。けれど同時に、嵐山のような良い人にこんな顔をさせている自分の方がもっとずっとずるいのかもしれないとも思った。こうして修の価値観はいつだって自分を律しようとしてばかりいる。
 ――いつか。
 いつか嵐山の想いが修に届くとき、きっと理解するだろう。定めた道を進むことばかりに気取られて、どれだけの想いを見落として来たかを。自分を見下ろす男の瞳が――修には優しいまなざしとしか形容できない視線から注がれる好意がもうとっくに自分の身体に纏わりついて振り払えないかを。




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60万打企画/不死老かな様リクエスト

この世界に生きるきみへ。ぼくはいつまでもきみを好きだと伝えても良いだろうか。もう二度と手を離したくないと我儘を言っても良いだろうか。
Title by『るるる』








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