「ねえねえ出水先輩! あれ、可愛くないですか」

 歩を止めて呼び止める佐鳥の声が、出水にはどうしてか舌打ちしたいほど不快だった。正確には、声ではなくて言葉なのだろう。「ねえねえ」だとか「可愛い」だとか。出水の耳には馴染まない言葉遣いだった。高校生の男子が、同じ高校生の、かつ年上の自分に向かって放ってくる言葉としては不適切な気がした。出水自身、傲慢に年齢による格差を推奨する人間ではなかったけれど。
 それでも、怒るには害がなく、叱るには過失もない。今日の天候が曇りだったから気分が沈んでいて、些細なことに腹が立つのかもしれなかった。だから出水は混み上がってくる不快感を大きく息を吐くことで濁してから佐鳥のいう「あれ」とやらを視線で追う。出水の瞳が動くまで、佐鳥は律儀に腕を上げて指差し続けていた。親の気を惹きたい幼子のように。
 三門市の市街地、メインストリートに並ぶデパートのショーウィンドウ。人通りの多い歩道に面した格好の場に並ぶディスプレイ商品はいつだって出水たち学生よりも羽振りのいい層をターゲットにしているので(少なくとも出水はそう思っている)、滅多に足を止めることも目を奪われることもない。財布事情はボーダーのA級隊員であることから同年代の子等よりは格段に潤っているとしても需要が年齢を追い越さない以上はデパートで買い物すること自体稀なのだ。
 出水の視線が佐鳥の指先の延長に追いつく前に、ショーウィンドウと二人の間を大股で歩くサラリーマンが歩いて遮った。それだけのことで、出水は視線を走らせることがひどく億劫に感じられる。最近よくこんな感覚に見舞われる。それは決まって佐鳥といるときのことで、そもそもどうして一緒にいるんだっけと首を傾げてしまうような倦怠感。佐鳥のことを好きだと思うのとセットになっているかのような頻度でこの揺らぎは訪れる。

「――子ども服? 何、お前そっちの気があるの?」
「そっちの気ってどっちの気ですか。そうじゃなくて、小さい子の服って俺らのに比べて凝って可愛くしてありませんって話ですよー」
「凝って可愛くされても俺は遠慮するわ」
「そりゃあそうですけどお」
「お前、そんなことで足止めるなよ」
「出水先輩怒ってます?」
「そう思うなら猶更」
「ふーん」

 間延びした喋り方を止めて欲しかった。頭が弱いわけではないだろう。ただお調子者というか、感情に対して素直な佐鳥は順応性が高かった。或いはただ鈍かった。年上の出水の不機嫌にも、傍にいる時間が増えるにつれ慣れてしまった。出水も自分の感情には素直だったけれど、佐鳥ほどじゃないと思っている。振り回されるよりは、相手の感情に頓着せずに揺らがないでいたい。こと恋愛に関しては。こんな風に、佐鳥の言葉に従って、言動を操作されて落胆したり声を尖らせるのは出水好みではなかった。

「おれは時々、お前と居るのが億劫で仕方がないよ」
「――――」
「何でお前のこと好きになったのか全然わかんないし」
「えー」
「こうやって街中歩いてるだけなら、ダチと歩いてるのと変わんないし」
「それって別れ話に続く類の話?」
「さあ? けどさあ、可愛いとか臆面もなく言えるなら、女と付き合ってた方が楽じゃん」
「先輩は可愛いとか素直に言えないからおれと付き合ってるの?」
「そんなわけねーだろ」
「ふーん」

 佐鳥はよく出水の言葉を「ふーん」と言って受ける。理解する気はあるのだが、よくわからないよといった具合の意思表示で。殆どの無意識で。別れ話かと疑う言葉を食らった割にはいつも通りへらへら笑っているようにも見える。何故笑うのだろう。愉快な空気でもないのに。出水は自分の言葉が必要以上に刺々しくなっていることを自覚していたけれど、好きな人を目の前にしたこのちぐはぐ感に打ち負かされてしまえば今すぐにでも自分が佐鳥を置き去りにして歩き出してしまうことがわかっていたからどうしようもなかった。
 目的地はなんてことない、ハンバーガーショップだ。二十四時間、日本全国、三門市内にだって何軒か同じ看板を掲げた店舗があるようなチェーン店。食べたいと駄々をこねたのは佐鳥で、その要求を飲んだのは出水だった。
 年齢も隊も違う出水と佐鳥が連なって歩いているのを、人は出水が先輩風で連れ回しているか、佐鳥が故あって過剰に懐いているからだと思うのだろう。甘やかしているとは思われない。何故か。軽率に寄越される佐鳥の提案を出水は大抵を却下してその扱いを粗野と称される。けれどお願いならば聞いてやらないこともなかった。こんな風に。そして佐鳥はわかっているのか、お願いという体の言葉を出水といるときにしか使わないのだ。

「出水先輩はおれのことが好きだから」
「――ん?」
「それはたぶん、可愛いってことも含んでるから」
「いやいやねえよ」
「だから臆面なく言えなくたっていいじゃないですか」
「は、」
「おれはちゃんとわかってますから」

 甘やかされていることと、愛されていることの区別くらいつけられる。だから男同士だとか、狭い視野と世界で生きる子どもの明るさで恋人同士なんて繋がりを保っている。そんなことも忘れてしまったのかと、不手際を責められているようで言葉が出なかった。
 本当は、出水だってわかっている。自分たちの関係が常識から外れているようで怖かった。身体の繋がりだけならたぶん切り捨てようがあったはずで、けれど好きという感情を以て繋がってしまうと全てが上手くいかなくなった。自分の想像の範疇に収まらない佐鳥を睨んでいる。収まりきればつまらないと不平を述べることは目に見えているのに。
 そして佐鳥が出水のことを知った風に口を利くことを、出水は意外にも不快とは思わなかった。その事実が妙に気恥ずかしくて、出水は目的地への出発を促すために思いきり佐鳥の脚を蹴っ飛ばしてやった。情けない悲鳴が上がって、その単純さを出水は好ましいと思った。好ましいと思うことは、可愛いと思うことと少し似ていた。恋愛の不安定さを、佐鳥に押し付けて厭わしいと思うことともまた同様に。

「ねえねえ出水先輩――」

 どうせまたくだらないことだろう。けれど今回は、出水には馴染みのない、女々しいとすら思う言葉遣いを不快に感じることはなかった。



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そりゃあどうしたって好きだよ
Title by『さよならの惑星』






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