時枝が目を覚ますと、窓の外はすっかり夕暮れを迎えていた。夜の暗がりにしがみつく夕日の赤が心細げに揺れている。いつの間に眠ってしまったのだろう。記憶を手繰りながら体を起こす。入っていたこたつの温度は、早く暖を取ろうと強にしていた設定からうたた寝に心地良い弱にまで下げられていた。恐らく、嵐山が調節してくれたのだろう。ここは彼の部屋だった。 防衛任務も、広報の仕事もない休日を前に、嵐山から家に遊びに来ないかと誘われた。これまで何度もお邪魔してわかったことは、彼が時枝を自宅に招くときは大抵他の家人が全員出払っているときだった。殊に弟妹を溺愛している彼のことだから休みに独りきりというのが寂しいのかもしれないと時枝は思っている。年齢は違うけれど、嵐山から見れば年下ということに変わりはない。時枝の、嵐山から向けられる任務以外での言動を家族へ向かう愛情への模造品と捉えてしまう癖は表に現れることがない為、傍目からは面倒見のいい隊長と、サポートに長けた隊員同士の波長が上手く合っているように見えるのだろう。間違ってはいないのに、時枝自身はその見識を真っ当と受け入れることができずにいる。こたつに顎を乗せて視線だけで部屋を見渡す。改めて深呼吸すると、嵐山の匂いがした。 無駄な物は殆どないが、本棚やテーブルの上には嵐山の大学生としての生活感が漂っている。本業はそちらであるべきだ。高校生の自分とは関わりのない場所で、颯爽と日々をこなす嵐山の姿を想像する。時折本部でも、同じ大学生の隊員同士レポートの締め切りがどうのと話しているときがある。そういう時、時枝は嵐山の隣に居ても口は挟まない。退屈させていると思われないよう、話している相手の表情を観察してみたり、大学生活の話題に興味があるように耳を澄ませてみたりする。嵐山の勉強用のテーブルの上にはノートパソコンと、大学の図書館から借りてきたと思しきハードカバーの本が数冊。もしかして、課題が終わっていないのだろうか。背筋を伸ばして、じっとそちらを睨む。電気のついていない部屋からは、時枝の方を向いている背表紙のタイトルも読み取ることは出来なかった。 そもそも、部屋の主である嵐山の姿が見えない。手洗いだろうかと思ったけれど、時枝が目覚めてしばらくたっても戻ってこないどころか物音のひとつもしない。扉の方を見れば、いつも直ぐ脇に掛けてあるコートも無くなっている。出掛けてしまったのだろうか。折角招いた後輩がこたつで居眠りなどし始めて、起こすのは忍びないと思ったのだろう。時枝の胸に、やってしまったという焦りの念が沸き起こる。 嵐山に、彼に対する態度が非礼だと怒られることは殆どない。時枝自身、嵐山に対して失礼な態度を取るなんて発想自体がそもそも存在しなかった。けれどもこれは、きっと失態だ。怒るよりも、呆れてしまっただろうか。 悶々と考え込む。背中に嫌な汗を感じた。けれど、遠くで鍵を開ける音と、次いで扉が開く音に即座に反応して、時枝は部屋を飛び出した。借りたスリッパのことなど忘れて、靴下で階下を覗き込もうと踏み出せば滑りそうになるのをどうにか堪える。 「――嵐山さん?」 「! 何だ、充起きてたのか? 部屋、電気ついてなかったみたいだけど」 「さっき、起きたばっかりで…。あの、すいません。オレ、寝ちゃったみたいで」 「ああ、いや気にしないでいいぞ。ここのところ任務も立て込んでたからな。寧ろゆっくり休めって言わないで遊びに来ないかなんて言った俺の考えが足りなかったな…」 「いえ、断らなかったの、オレですから」 「あはは、そうか? 取り敢えず、荷物置いて来るかな」 「買い物ですか?」 「うん、飲み物とか。冷蔵庫見たら全然なくて買ってきた」 「仕舞うの、手伝います」 嵐山の返答を待つよりも先に、時枝は階段を下りた。玄関で靴を脱いでいる最中の嵐山から荷物を受け取る。スーパーの袋の中身は時枝が思っていたより重かった。ある程度勝手がわかっているので、キッチンに運んでしまう。後から遅れてきた嵐山が「寒いな」と呟く。直前までこたつに入っていた時枝の身体はまだ温かいままだったから、つい黙り込んでしまった。 「――充?」 「ええっと、いっぱい買ったんですね」 「ああ。夕食の分と明日の朝食分だな。あとはそれ以外にもお菓子とか飲み物とか。あ、充今日はうちで晩御飯食べていくといい」 「え、」 「そのつもりで買い物してきたんだけど、都合悪かったか?」 「――いえ、いただきます」 「そうか!」 ずるい言い方だと思う。よほどの急用でなければ断りきれない言い方。不満はない。けれど、こんな風に家に招かれたり、夕飯をご馳走になったり、時々ふと逃げ道を潰されているような感覚に陥る。追い込まれていく場所も、逃げ回って留まりたい場所もわからないけれど。嵐山隊の佐鳥や木虎、綾辻のいない嵐山の自宅にひとり招かれているという現状自体、疑問に思わなければいけないのかもしれない。 けれどこれは、時枝が選んだ結果だった。誘われて、断ればよかった。申し訳なくはあっても、断りにくくても不可能ではなかった。同じ隊の誰かを巻き込んでもよかった。それをしなかったのは、嵐山の視線が自分に向いていて、声を掛けられたのが自分だけであったらと期待して、それからその通りだった事実に歓喜した時枝の選択の帰結が今。 「そうだ、みかん買って来たけど食べるか?」 「……いただきます」 「じゃあ俺は夕飯の準備するから、もう暫く寛いでてくれ。俺の部屋でも、リビングでもいいから」 「手伝います」 「……じゃあ、必要になったら呼ぼう」 「絶対ですよ?」 「勿論」 嵐山の手から、みかんの入ったネットを受け取る。手伝いをするならば、リビングにいなければ彼の呼び声が聞こえないだろう。こたつの電源は切ってきただろうか。スリッパも履いていないから、靴下越しにフローリングの冷たさが浸透してきた。一度部屋に戻って、電源の確認をして、スリッパを履いてこよう。リビングのテーブルにみかんを置いてから、時枝は階段を上がる。部屋に戻り、スリッパを履いて、やはり入りっぱなしだったこたつの電源を切ってからカーテンを閉めた。 リビングに戻ると、嵐山に許可を取ってから暖房のスイッチを入れた。ソファに投げ出された洗濯物のタオル類を畳んでおいた。それからすることがなくなってようやくテーブルに戻り、みかんを食べる。嵐山の作る夕飯が食べられなくなっては困るので、ひとつで我慢する。 「まだですか?」 「まだだよ。ボウルしか出してない」 「野菜とか、洗いましょうか」 「そうか、じゃあざるを出すべきだったんだな」 ステンレスのぶつかり合う音がする。嵐山は道具を全部出してから料理を開始するタイプのようだ。それから暫く何かを漁っている音が響いていたが、何回か大きな音を挟みやがて完全に沈黙した。 覗きに行こうが迷ったが、嵐山が呼ぶまで待っていると言ったのだから待機していた。しかしすぐに申し訳なさそうな嵐山の顔が壁際から時枝の様子を伺っているのを見て、咄嗟にもっと早く駆けつけていればよかったと後悔した。 「すまない、充。夕飯は外に食べに行こう」 「どうしたんですか?」 「ちょっと零して…割った?」 「片付けましょうか」 「あー、いいんだいいんだ! 後で俺がやるから! ほら、コート取ってこい」 「……はあ」 けれどそれは不経済ではなかろうか。キッチンにてどれほどの惨状が広がっているかはわからないけれど、嵐山の家の中で嵐山が決めたことに異を唱えることはできない。大人しく、また彼の部屋にかけていたコートを着て戻る。嵐山は、腰に手をあててキッチンの方を見ていた。時枝が戻ってきたことに気付いていないようで、ガシガシと頭を掻いて、項垂れた。 「格好つけるからダメなんだよなあ…」 低く小さな呟きは、しかし時枝の耳にしっかりと届いた。格好つけようとしていたのかと僅かに瞠目し、その必要性はないと思う。時枝にとって嵐山は格好つけるまでもなく格好いい人なのだから。だから、持て余す距離があることをあの人は自覚してくれないけれど。 「嵐山さん」 「ああ、準備できたか?」 「はい。……やっぱり片付けますか」 「帰って来てからやるよ」 「………」 不満げな時枝の頭に手を置いて、客人がそんな気を遣わなくていいと笑う。気を遣わなさすぎて、こたつで居眠りをしてしまった失態をどうにかして取り返したい時枝の心持ちを察してくれないのだから鈍い。伝えたところでまた気にしないでいいと言われるのがオチだ。 嵐山が、暖房のスイッチを切る。先程入れたばかりなのに、今日はどうも不経済が目につく日だった。それも全部自分が原因のように思えた。近界民と戦っているときと違って、うまくかみ合っていない。 「嵐山さん」 「ん?」 「嵐山さんは、格好いいですよ」 「…………」 「今日はすいませんでした」 「充?」 「寝ちゃったし、夕飯の材料とか用意させてしまって」 「気にするなって言っただろ?」 「そうですけど…」 「俺もちょっと張り切りすぎたんだ。ごめんな」 困ったように眉を八の字にして、嵐山は相変わらず笑っている。気遣いの言葉はいくら積み重ねても平行線だ。年下らしく、甘えていればいいのだろう。誘われるまま、導かれるままいれば思い悩む必要もない。 けれどどうして、嵐山が所々に挟み込む言葉に心が揺れる。時枝を家族がいない時にばかり家に呼んで、格好つけようとして、張り切って、一体どうしようというのだろう。尋ねれば、望む言葉が返ってくるのだろうか。 しかしそんな勇気を持ち合わせていない時枝は、玄関の扉を開けて吹き込んで来た寒さに「手でも繋ごうか」と冗談めかした嵐山の言葉を真顔で拒否してしまうのである。嵐山が地味に傷付いた顔をしたのは、きっと見間違いではないのだろう。 ――――――――――― 60万打企画/Yun様リクエスト あんたの中にきちんと沈むまで待つよ title by『さよならの惑星』 |