修が数分かけて躓いていた問題の糸口をつかみペンを動かそうとすると遊真が見計らったかのようなタイミングで消しゴムを指で弾く。するとそれは見事に修の手の甲に当たり机から落下した。あららと残念そうに唇を尖らせる遊真に、修は溜息ひとつで叱る言葉を飲み込んで消しゴムを拾い上げて手渡してやる。そうすればまた同じことを繰り返すだけだろうに、修は遊真から消しゴムを取り上げたりはしない。放課後に教室に残って宿題をしていくと遊真に伝えたところ「じゃあおれも残る」と肩にかけていた鞄を置いた遊真はその実自分も勉強して行こうとは思っていなかったのだろう。邪魔をするなら帰れと言ってもいいはずなのに、手近にある修の筆箱からではなくわざわざ自分の筆箱から消しゴ ムを取り出して打ち出してくる遊真の微妙にずれた気遣いに、結局修は何も言えないままでいる。
 遊真が修のクラスに転入してきた日からいつの間にか2人で行動することが多くなり、周囲も彼等をセットとみなした。担任の水沼も、まだ不慣れな新しい生活に遊真が馴染むための先導役として真面目な修は適任であると判断したのかもしれない。結局、遊真はここの生活に馴染むよりも先に修に懐いた。当人等は無自覚であろうとも周囲はそう見ている。修が抱える弱さと意思、近界民という遊真の立場を知らないクラスメイトたちが二人の仲の良さを探らないことは彼等が善良であるからだ。修はいちいちそんな分析を行ったりはしないだろうが、遊真はそう思っていて、こちらの世界の平和を感じるし、それでもやはり掛け値なしに信頼を寄せているのは修の方だった。遊真が近界民で変なことをしないように見張っているなんて言葉を寄越されても、修の性根は何者をも嘲ってはいないのだ。

「勉強なんかしても強くならないぞ」
「そういう理由でやってるんじゃない」
「宿題なんて」
「お前もやれ」
「こなみ先輩に教えてもらう」
「――そうか」
「だから早く玉狛に行こうぜ」
「…いや、ぼくは終わらせてから行くよ」

 修の、会話の時に相手の目を見て話す仕草が好きだった。けれど言葉が途切れて、あっさりと手元に落とされてしまった視線に遊真はこの会話は失敗だったと胸の内の戦績票にバツをつける。勉学と強さはイコールではないが、無関係でもない。望む戦果を手繰り寄せるには、ある程度の学は必要だ。経験以上の価値があるかといえば、遊真はきっと首を横に振ってしまうだろうけれども。
 宿題だって、別に修の進言通りここで鞄にしまってしまったノートを広げてもいい。ただそうしたって、遊真はこの世界の学問には通じていないから修に頼ることは明白だ。修が頭を悩ませている問題の片手間に面倒をかけるとわかりきっていて寄り掛かるほど遊真は修に対して身勝手ではないのだ。
 けれども。ほんの少し期待していたのかもしれない。いつもこの世界の常識を欠く自分をフォローしてくれる修が、小南に勉強を教えて貰うと言い出した遊真に一抹の寂しさを覚えてくれやしないかと、そんな子どもじみた嫉妬と独占欲。鈍感な修に望むには難し過ぎた。だから落胆だってそう激しくないというのが修の人好きに触れて見についた感覚だ。

「オサムは真面目ですなあ。宿題、やってなくても一言二言注意されるだけだったじゃん」
「そういう問題じゃない。やってくるのが普通なんだ」
「うーむ」

 修の言葉が正論だということはわかっている。短かろうと長かろうと、注意ということは違反者に向かって行われるものなのだから。
 わかってはいるものの、遊真の思考は飛躍して修の人となりに及んでしまう。時には善悪や正誤ではなく、大衆に流されていた方が無難で賢い生き方であるときがある。ささやかな日常の中であってもきっと。だが修は、善悪や正誤ではなく、大衆の意向でもなく自分がするべきだと思ったことを選択する。彼の善良な性質は倫理的な悪を選ばせはしないだろうけれど、頑なさは力量によっては弱さになる。そして弱さは容易く人を殺す。修は弱い。対外的な力から量って、最弱の部類だ。玉狛支部での特訓によって徐々に力を身に着けてきてはいるけれど、遊真が本気を出せば瞬殺できるレベルでしかない。それを許される世界ではあるけれども、修が選んで身を置く環境はそれを許さない。

「――オサム」
「なんだ?」
「オサムが勉強ばかりしてたら、」
「…うん?」

 律儀な彼だ。これまでの流れから、重大な用件ではないと思っているだろうにわざわざ宿題の手を止めて遊真の顔を見てくれるのだから。そんな風に、修にとっては礼儀に過ぎないのかもしれない所作が優しさとして遊真の中に積もってしまうから、もっともっとと迂闊な望みを抱きそうになるのだ。或いはもう、抱いている。
「オサムが勉強ばかりしてたら、おれは退屈で仕方がないよ」

 何と言えば修を呆れさせないかわからなかった。これでは「空閑も一緒に勉強しろ」と言われてしまえばまた振り出しに戻ってしまう。それも悪くはない。悪くはないけれどつまらないのだ。端から小南に勉強を教わるつもりなんてなくて、修に面倒をかけてみたくて、それを当然のように受け入れてくれる彼が好きだった。好ましいと思える人間に出会えた幸運を、遊真は修に出会って思い出したのだ。

「……仕方がないな」
「オサム?」
「そろそろ玉狛支部に行くぞ」
「宿題は?」
「空閑を放ってたら集中できないし、支部でやるよ。烏丸先輩、今日もバイトで遅れるそうだ」
「ほう…。知ってるぞ、クガクセイ…だな?」
「いや、烏丸先輩がそうかどうかはわからないけど」

 遊真の声音に、本気の退屈を感じ取った。何も悪いことはしていないけれど、修の気が咎めた。だから別に不愉快とも思わず、自然の流れで机上に広げていた勉強道具を鞄にしまって立ち上がる。置いて行かれることを何とも思わないのに、放っておくことに耐えられないなんておかしな話だ。
「オサムはホントに面倒見の鬼だな」

 そういう所が好きなのだけれども。遊真の呟きは修の耳には届かなかったようで、何か言ったかと問うてくる彼に遊真は小さく首を横に振った。知ってくれなくても、理解してくれなくてもいい。ただ自分をこんな風に当たり前に受け入れてくれた彼が、その心が損なわれないのならば。そうである内は遊真はきっとここにいられるはずだから。

「なあオサム、コンビニに寄って行こう。少し腹が減った」
「うーん、でも玉狛支部に行ったらまたお菓子出てくると思うぞ」
「勿論それも食べる。でもそうだな…肉まんという奴を食べてみたい」
「肉まんだけだぞ」
「わかった」

 呑気な会話。興じて、無意識のうちに微笑んでいたことに気が付いて、遊真は気恥ずかしさに似た戸惑いを覚えた。そしてそれを紛らわす為に、修の邪魔をしようと手に持っていたままの消しゴムを彼に向かって弾いた。見事修の額に命中し、突然のことに苦悶の声を上げる。

「いきなり何するんだ!?」
「すまん、つい…」
「つい!? お前、誰彼かまわずこんなことするなよ!揉め事になるからな!」
「そりゃあオサムにしかやらん」
「…!? それはそれでいやだな…」

 怒るポイントがずれている。こんなときにまで見ず知らずの他人や、常識知らずの遊真のことなんぞ考えている。
 けれどもっと別の角度からよくよく考えてみて欲しい。転校初日、紙を丸めた弾を指で撃っただけで3バカの一人を吹っ飛ばしたのだ。それに比べたらこの程度の衝撃、その力加減、それが遊真から修に向かう愛着だ。
 修にはきっと、伝わっていないだろうけれど。



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60万打企画/霜月様リクエスト

あなにとってのあたしなんて別にいっこも知るべきことじゃあなくて、ただただあなたが大切なのだ
Title by『さよならの惑星』







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