※捏造注意


 ぺたぺたと効果音が付きそうな足取りだった。ようするにとろいのだ。戦闘スタイルにも表れている俊敏さをうかがわせる軽やかな足取りで廊下を進む緑川の眼前を進む小さな背中はとても弱々しく頼りなさ気に映った。そしてその頼りなさは、ひとりぼっちという環境に置かれて発揮される。何度も見かけた三人一組という構図。ばらばらになってしまっても評判は先立って、火のない煙ならば消えていく。いつまでも燻りつづけるならばそれはきっと真実の一端を担っているに違いない。緑川の前を歩く背中に纏わりつく噂はいつまでも消えないまま、とっくに痕跡を消してしまったこのボーダー本部内で語り継がれている。曰く、入隊初日にスナイパー志望者の訓練にて、アイビスを発射すると同時に頑強なその壁を貫通させ穴を開けたとのこと。気性とトリオン量は比例しない。おどおどと足を進める眼前の少女はきっと膨大な量のトリオンをその身に秘めていた。緑川よりも、ずっと多くの。
 とはいえ、量が多ければいいというものではない。少ないよりは多い方がいいだろう。だがアタッカーでもある緑川にはトリオンを放出する戦術は縁遠く、憧れの迅を目指しセンスで立ち回り結果を残してきた自負がある。敵わない相手がいることは百も承知で、けれどその頭に“まだ”と条件を限定することも忘れない。例えば玉狛支部の空閑遊真もそのひとり。軽口の延長で迅に要求した、遊真に勝利した後の玉狛への移籍。無茶なことは承知しているが、それはあくまで草壁隊に在籍している人間の移籍自体であって遊真に勝利すること自体が永遠に不可能と閉ざされた道だとは微塵も疑わない。緑川は、己の才能を自覚しているタイプの人間だった。だからふとした瞬間に、無自覚に傲慢さが顔を出す。A級3位の風間蒼也と模擬戦で引き分けたとして注目を集めていた三雲修を、恥をかかせた上でぼこぼこにするという大抵の人間であれば心が折れるだろうと見込んで振舞ったように。

「――邪魔だから、どいてくれる?」

 背後からの刺すような声に、目前の背中がびくりと揺れた。恐る恐る振り返る動作に苛々した。どいてくれと言ったのだから、行動で示して欲しい。どうせ、こちらの要求を飲まずに空いてるスペースから勝手に抜かして行ったらどうなのと反論するような性格でもないのだろうから。そんな言い掛かり染みた想いを乗せて、緑川は振り返ろうとする横顔を眺めていた。案の定、困ったように眉を下げた雨取千佳の瞳はいつ零れてしまうだろうか水膜を張って揺れている。ただお願いをしただけなのに、これでは自分が不当に彼女を苛めているみたいではないか。千佳と緑川の人となりを知っている人間からすればあながち間違いではない、そんな状況。すすす、と廊下の端に寄って行く千佳を睨みながら、緑川は彼女の横を通り抜けようとはしなかった。
 つらく当たっているつもりはない。それは実力と評判が伴っていないと思っていた修に対しても同様で、遊真に手も足も出なかったあの日から、遊真が修と千佳を大切にしていると観察している内に気付いたその日から。緑川にとって修も千佳も不用意に噛みついてはいけない相手と理解した。それは遊真を恐れているからではなくて、彼を認めたからこそ彼の大切な人間を傷付けてはいけないといっぱしの常識になぞらえて導き出した答え。けれどもやはり、遊真の実力がずば抜けて緑川の尊敬を集めればそれだけ残り二人の及ばなさが目についてしまうのも事実だった。C級の訓練生の内からチームを組むことを秘匿せずに三人一組で行動している場をよく見かける。修の人柄は詫びを入れた際の態度で見直していたし、千佳のポテンシャルも件の壁貫通事件の噂にて証明されているのはわかっている。わかっているけれども。

「ご…ごめんなさい…」

 肩を縮こませて、同級生の男子に怯えたような態度を見せる。どうしてこう気弱なのだろう。千佳の全てを知っているわけではないけれど、自分ばかりを基準に据える緑川には彼女のことがこれっぽっちも理解できない。力がないからだろうか、真っ先に思い浮かんだ理由はどうにもしっくりこなかった。たとえA級に昇りつめる日が来たとしても、千佳の緑川に対する態度には変化はないだろう。つまるところ、彼女の気弱さとへりくだりは距離感の問題でしかないのだ。本当は最初からわかっている。いつもの三人組で固まっていた遊真を見つけて、久しぶりに手合わせを申し込もうと近付いた緑間の視界に初めて映り込んだ千佳は、とても柔らかな微笑みを浮かべていたのだから。もっとも、それは遊真が緑川の接近に気付いた途端、あっけなく引っ込んでしまったのだけれど。
 千佳の内側に緑川は入っていない。それだけのことだ。大してかかわったことのない人間を内側にいれるはずがない。それは緑川だって同じことなのだから。

「……訓練?」
「え?」
「狙撃手、これから訓練?」
「え、あっ…、あの違くて…終わってこれから…」
「遊真先輩たちんとこ行くんだ?」
「う、うん…。ラウンジで待ってるからって…」
「――オレも遊真先輩に用があるんだ」
「そうなんだ…」
「暇なら勝負して貰おうと思って」
「そう……」
「うん……」

 二人して、言葉が尻すぼみになっていく。打ち明けたって仕方のない話で、そもそも明確な約束を取り付けているわけではないことを緑川は説明を省いた。一体、千佳にどんな反応を期待しているというのだろう。自分でもよくわからなかった。
 ただ――緑川もまた、千佳が大切に想っている遊真と修を邪険に思ってはいないということを理解してほしかった。自己紹介もしていない、間接的な邂逅しか果たしていない二人にどれだけ的確な情報の相互共有ができているかなんて、確認するまでもないとは知っていても緑川は自分可愛さに期待することをやめられない。
 例えば、同じ目的地を目指しているのだから歩調を合わせて「一緒に行こう」なんて千佳を怯ませない優しい口調で誘えるかもしれないなんて、そんな期待を。
 いつまでもやってこない千佳を心配した修と遊真が彼女を探しに来るまで、緑川と千佳は通路の端っこで沈黙に甘んじ続けることになる。「一緒に行こう」の言葉は、終ぞ緑川の口から躍り出ることはなかった。
 まだ何も始まらない、そんな二人の話だった。



―――――――――――

しかくい言葉
Title by『にやり』








人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -