三輪秀次は、ふとした瞬間に食事を拒絶する。元々、姉を失ってから近界民を倒すこと以外に関心の食指が動かない人間だったが生命維持の最低限のラインすら踏み倒そうとする。力尽くでねじこめば、どうにか咀嚼し嚥下するのだが、他人の采配による結果は点滴を指しているのと何ら大差ない。美味しいなどと味覚を働かさず、食べなければ死ぬぞという志を半ばで折らなければならないことを強迫観念としてちらつかせて従わせている。死にたがりでは決してないくせに、生の肯定を余所の世界の存在を抹消することでしか証明できない少年だったから、平和な期間が長引けばそれだけ急速に死ぬ方向に転がっていく厄介な人種だった。戦うよりも、戦っていない方が心が休まらないだなんて、現代社会に生きる学生としては非常に難儀であり三門市の特異に巻き込まれた被害者ともいえるだろう。
 放っておくと、腹が鳴ろうと体温が下がろうと身体を動かすのが如何に億劫になろうと三輪は食事を摂らない。そんな彼の隣りで、迅はどうしたものかなと頭を捻りながらいつも通り彼のトレードマークとも呼べるぼんち揚げをぼりぼりと音を立てながら食べ続ける。あてつけのように、人が食事をしているところを見たくらいでは三輪の食欲を喚起することはできないと知りながら。以前、三輪の食欲が減退するに倣って迅も食事を疎かにして見たことがある。結果、耐え切れずに一日と少しで部屋に買い溜めてあるぼんち揚げを口に掻きこんだ。お腹が空くというのは、実によくないことだと迅は思う。人間として、生物として、食べるということは生きるということそのものだから。何より自分たちはトリオン体に換装して戦うとはいえ身体が資本の道を生きているのだ。尚のこと、適切な自愛もできない人間が顔も名前も知らない一般市民たちを守り抜けるものか。尤も、三輪の目的は近界民の殲滅であり街を守ることとは芯の通る場所が微妙にずれていることは知っている。
 任務がない内は食事を摂らないでふらふらしている三輪が、防衛任務が入った途端に生気を取り戻して本部を飛び出していくものだからやるせない。世の高校二年生とは果たしてもう少し健やかに生きているのではあるまいか。自分の経験を引き出そうにも、迅もまた三輪の年代で既にボーダー内で実力者として活躍していた為に説得力がない。しかし迅は自分の過去を振り返って、ボーダーにいること、そこで出会った人たちとの関わりを振り返り楽しかったと胸を張って言いきることができる。大切な人を失う痛みは知っている。それでも、底のない悲しみに足を取られても他の感情全てを捨てて生きることはしなかった。生きているということは、残されているということでもある。時間であり、他人であり、自分自身であり、選択肢も無数に残っている。それをわざわざ自分から削ぎ落していく生き方は、迅に言わせるとしんどかった。
 絶望した人生に、指針となるならば憎しみも怒りも必要だろう。生き抜く気力があるにこしたことはない。けれど、生き急ぎ過ぎることは周囲の人間の目にも毒だ。三輪秀次は、復讐だけを考えて生きていくには孤独を選ばなかった。晒された過去に一線を引いて、三輪を遠ざけてくれる連中だらけだったのならば、今の彼がこんな風に痛々しく映ることもなかったろうにと、まるで彼を覆う愛が見えているかのように迅は振舞う。

「秀次まだ食欲湧かないの」
「――いらん」
「顔色悪いのに、強情だね」
「――――」
「喋るのだって、エネルギー食うんだよ」

 忌々しげな視線にもいつもの鋭さはなく、今にも眠りに就いてしまいそうな気怠さだけが漂っている。三輪の剣呑さなど意に介さない迅ではあるが、日に日に衰弱していく三輪と、そんな彼に何も施せないでいる隊員たちのもどかしげな視線を部外者として見ていることは辛かった。スパンの問題であり、本当に死ぬ前にいつか三輪も食事を再開することを誰もが知っている。それでも、自分を痛めつけるように酷使する三輪の態度は惨状以外の何物でもない。この三門市において、きっと三輪は特別ではない。近界民の侵攻によって家族を奪われた人間は数多くいる。しかし確実に、三輪は近界民によって特別を失った。近界民を呪い、無力は罪になる。強さは近界民を殺したときにだけ証明される。それ以外のことなどどうでもいいと、本気で思っているつもりなのだろう。そうであるならば。

「あまり隊員たちに心配かけるもんじゃない」
「……陽介たちか」
「泣きそうだったろう」
「よく見えなかった」
「きちんと見な。――隊長なんだから」

 ずるい投げ方を知っている。隊員たちの愛情を重しにして、ここに沈んでくれればいいと願っている。
 ――お前が死んだら、泣いてしまう人間がいることをおれは知っているんだ。
 教えてあげないだけで。それくらい、簡単に自覚して貰わなくては困るわけで。三輪と、隊員たちが一緒にいる光景が、ただの高校生の集まりでしかないこと。失ったものの代わりではなく、新しい特別と名付けるに値するであろうことを、迅は三輪に気が付いて欲しかった。願うだけでいつだって、迅は三輪に対して何も働きかけない。嫌われているのを知っている。或いは、強さの理想を押し付けて裏切られた怒りなのかもしれない。迅からすれば言い掛かりに等しい三輪の感情は、幼くて原色で、もう迅がありのまま晒せない類の眩しさすら纏っていた。だからだろうか、何もしてやれないのに、放っておくこともできないでいる。

「次の任務が入る前に何か食べとけ。そんな顔で米屋たちの前に行っても出動できないぞ」
「……あんたには関係ないことだ」
「そんなこというと、三輪隊の任務、おれが勝手に横取りするぞ」
「―――」
「あんまり睨むんじゃないよ。冗談だって」
「面白くもない」
「そうだな」

 こんなことに、なけなしの力を振り絞るなんてバカバカしいことなのだ。配分がいつだっておかしい三輪の頭を撫でてやる。手厳しく振り払われる前に、数秒、惜しむ間もなく手を引いた。反応はない。三輪はぼんやりと焦点の合わない視線をさまよわせている。迅の言葉が多少なりとも響いたのか、自覚のないままに心配をかけていた仲間たちの素振りを思い返して我に返ってくれればいい。
 手持無沙汰に、三輪の唇にぼんち揚げを押し付けてやった。僅かに聞こえた歯のぶつかる音に、迅はほっと息を吐く。これで暫くはまた大丈夫だろう。
 三輪秀次は、まだ生きている。



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重荷の華よ
Title by『ハルシアン』








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