クリスマスの意味も知らない子どもを、小南は久しぶりに見た。陽太郎にクリスマスの意味を説明してやったのはもう何年前のことだったろう。尤も、正しい宗教上の伝承など小南だって知らないし、日本人の大半はそんな伝統に則ったあらたかな気持ちでイベントに臨んではいない。だから小南はクリスマスを美味しい物を食べてプレゼントを贈ったり貰ったりする日だと認識している。形式美を求めるならば、クリスマスツリーを飾ってもいいし、枕元に靴下をぶら下げるのもいいだろう。サンタクロースがやってこないことくらい、いかに騙されやすい小南だって知っている。楽しいと前提されている日を楽しいと過ごせれば、小南としては全く問題ない。煙突の中から老人が侵入して来たら撃退しないでいる方が無理というものだ。

「うーむ、こなみ先輩、あれは何だ?」
「ん?クリスマスツリー。商店街は毎年気合い入れて飾りつけしてるのよねー。あんた見たことないの?」
「おれはこの街にきたばっかりだよ」
「ふうん、そう」

 冬の白々しい空の下を、小南と遊真は並んで歩く。歩調は意識せずとも釣り合いを保っていた。商店街のアーケードを潜り、歩き続けると中央に大きなクリスマスツリーが設置されている。それを小南はもう何度目か感慨もなく横目でやり過ごそうとした。毎年、見かける度にすごいとは思うけれど、足を止めるほどでもない。彼女の生活で多くの時間を過ごす玉狛支部にだって、毎年小さいけれどオペレーターの宇佐美が季節色を意識して簡易ツリーを用意していた。電気でぴかぴかとオレンジや赤、青のランプが点滅する様を思い出しては、小南は安物でも身近にある物の方が愛しいと思える。そういえば、今年はまだ出していなかった。どこに仕舞ったのだろうか、帰ったら宇佐美に聞いてみようか。
 そんな小南の感慨を知る由もない遊真は、どうしてかしっかりと装飾を施された木を見上げ、興味深そうに足を止めた。置いて行かれるよりも先に放った質問に対する小南の回答は、間違いではないけれど遊真の好奇心を満たすだけの及第点を取ってもいなかった。遊真がクリスマスを知らずに、クリスマスツリー自体の説明を求めていたことを彼女は気付かない。遊真も、そんな彼女の答えから察した理解の溝を晒すよりも受け流すことを選んでしまった。後でまた修にでも聞けばいいと僅かに開いてしまった距離を詰めながら考えていた。
 小南が遊真を買い物に連れ出したのは、丁度特訓が一段落ついて休憩をしようとした彼女が宇佐美に何かお菓子はないのかと尋ねたところ、ないから買って来てとお使いを頼まれたからである。この寒空の下人を外に放り出すなんてと憤慨しようにも、押し付けやすい修はまだ烏丸との特訓の最中だった。オペレーターとして修たちの部屋の様子を見守り、調整する宇佐美は席を外すことができないという。それならば、初めに食べ物を所望した人間が買いに出るべきだった。勿論、道連れは必要だったけれども。

「こなみ先輩、どこまで行くんだ?コンビニじゃだめなのか?」
「だって、お使い用のお金は貰ってるんだし、それなら費用の範囲内で良いもの食べたいじゃない」
「いいもの?ハンバーガーか?」
「それおやつじゃないし」

 呆れて吐き出す息が白い。コートに突っ込んだ両手の指先にはまだわずかな熱が残っていて、冷え切る前にどこか店内に入ってしまいたい。一緒に来なさいと連れ出してみたものの、小南は遊真に行き先を告げてはいなかった。商店街のどこかで買い物をしようとそれだけを定めて、具体的な買い物先を思い描いてはいなかったから。
 遊真は大人しく小南の隣に並んでいる。きょろきょろと視線を走らせながら、何が物珍しいのかと思うがやはりこの街にきたばかりならば新鮮に映るものがあるのだろう。小南にはよくわからない。ボーダーに入ったその時から、この三門市が小南の戦場で、生活の場であった。

「お、お菓子が売ってるぞ。こなみ先輩、ここは?」
「うーん、和菓子ねえ…」
「わがし?」
「あんたが食べたあたしのどら焼き、ここのどら焼きなのよ」
「おれが?」
「忘れたとか言うんじゃないでしょうね!?あんたたちが玉狛に来た日の分よ!!」
「おお、あれか。あれは美味しかった」
「でしょうね!」

 一件の和菓子屋の前で足を止めた遊真はガラス越しに店内を覗き込む。入り口の自動ドアが開いたら、入るしかなくなってしまうと遊真が前に出過ぎないよう小南はとっさにその襟首を掴んだ。ぐえっと潰れたような声がする。いきなり何をするのだという驚きと、いつの話をしているのだという疑問を絡めた視線が下から刺さる。怯むことはない。遊真たちが玉狛支部にやってきた日に宇佐美が提供してしまった小南たち隊員の三人分のどら焼きは各々の弟子の腹に収まったと決めつけた。つまり小南が楽しみにしていたどら焼きを食べたのは遊真という認識で小南の中では決着をつけている。いつかこのどら焼きの分の借りは返して貰うつもりでいることを遊真は勿論知る由もない。
 結局、店の前で戯れている姿を中から見つめている店員と目が合ってしまい、小南は仕方なくそのお店でどら焼きを含め費用ぎりぎりで買い物をした。あれもこれもと眺めている遊真にも、いくつか選ばせてあげた。本当はケーキの気分だったんだけれどなどと、お釣りとレシートを受け取ってから思ってしまうあたり往生際が悪い。遊真は自分で選んだカステラの味を気にしている。もしやこの子はカステラを食べたことがないのかしらと疑い、まあそういう子もいるだろうと自分を納得させる。遊真がやけに戦えること、その背景を小南は探ったことがない。だから遊真の知識が偏っていることにふとした瞬間首を傾げることがあっても、突き詰めてその無知を矯正しようとは思わない。
 帰り道、行きにきた道をそのまま戻る。自然、また大きなツリーの横を通り抜けた。やはり遊真は熱心な視線を送っている。隣にいたはずの距離が開いた。引っ張れば直ぐに視線を外すだろう。荷物を持っていては両手をポケットに仕舞えない。手が冷たい。早く帰りたい。けれど小南は遊真を呼ぶことをどうしてか躊躇ってしまった。クリスマスは楽しいもの、怒ってはいけない、きっと。

「――クリスマス、好きなの?」
「ん?」
「ツリー、そんな熱心に見て」
「クリスマスって、何だ?」
「………は?」

 信じられないと絶句する小南に、遊真はこちらではクリスマスがいかにメジャーな言葉であるかを学ぶ。それを知らない理由を進んで明かすことはしない。迅も玉狛支部は遊真の素性を問題視するような人間はいないと言っていたし、明かすべきタイミングが訪れたら躊躇することもないのだが、それはきっと今ではないのだろう。「何で」だとか「ありえない」だとか。ぶつぶつと呟いた小南は遊真の顔を凝視し、クリスマスが何たるかを説明しようと口を開いて――やめた。何故なら小南は感覚派。人に物を教えるに、言葉で明瞭に示してみせるなんてことは不得手だった。だから、直接体験させた方が何倍もわかりやすいだろうと、そう思った。

「クリスマスはね、12月25日なのよ」
「ほう、もう直ぐだな」
「そう、だから楽しみにしていなさい。当日になったら、いやってほど教えてあげるわ」
「おお!」
「クリスマスは、楽しいわよ」
「それはそれは」

 事が決まればこんな寒々しい場所に長居はできない。行くわよと言い残して踵を返せば、遊真がついてくる気配がする。心なしか、行きよりも歩調が速い。
 玉狛支部に帰ったら、まずは宇佐美に去年出していたツリーの在り処を確認しよう。捨ててしまっていたら、急いでホームセンターにでも買いに行こう。ケーキの予約は間に合うか微妙だった。なんなら当日にケーキ屋に出掛けてもいい。この、何も知らない弟子を連れて。ツリーのてっぺん、手が届きそうな星を欲しがる無邪気を持ち合わせてなどいないくせに純然として見上げる瞳が可愛らしかった。
 クリスマスは楽しいもの。ケーキを買えなかったことを今では僥倖と思いながら、小南は鼻歌交じりに帰路を歩く。そんな彼女の隣りで、遊真は小さく「楽しみだな」と呟いた。



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やさしさが光臨なさった
Title by『joy』






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