夜の待ち合わせに、初めは珍しいと胸が躍った。黒子にとってのそれは、黄瀬からすれば殆ど感情が動いてないに等しい程度のものだったとしても。普段夜更かしは布団の中で読書をするくらいしか、つまりうっかりという頻度でしかしない。高校生の黒子の日常は毎晩くたくたになるまでバスケをして、体力と財布と相談しながら時にマジバに寄り道をして、一日も終わると自宅の扉をくぐってしまえば滅多に再度外出することはなかった。
 黄瀬が今から会えないかとメールを寄越してきたのは、風呂も歯磨きも済ませてあとは寝るだけだと気を緩めていたときだった。スキンシップと愛情表現が過多な黄瀬は、しかし黒子よりもずっと多忙でスケジュールの調整が難しい。県外の高校に進学したこともあり、放課後気楽に待ち合わせをするわけにもいかない。会いたい会いたいと小さい子どものように、或いは女々しく訴える電話を何度も繰り返している内に黒子も理解した。会いたいと、会えないかは全く意味が違っていると。会いたいと訴えてくるときほど黄瀬は実際黒子には会えない。練習試合やモデルの仕事で時間が埋め尽くされている悲惨さを理解してほしくて黒子に縋っているのだ。勿論全て自分で選択したことであり、愚痴なんて零せば黒子には呆れられてしまうからどれだけ忙しくても黒子のことを想っていると伝えるための泣き言という方が正しい。そして会えないかと聞かれたら、黄瀬は黒子の返事が是でさえあれば今すぐにでも駆け出せる準備が整っている。いつだったかは、とうに黒子宅の最寄り駅に降り立って家に向かって歩いている最中の電話だった。
 初めて夜の散歩に繰り出したとき、明日に差し支えはないのかと黒子は何度か尋ねたけれど丁度朝練が休みだから大丈夫だと笑った黄瀬にそれ以上の言葉は掛けなかった。バスケについての予定にだけ支障をきたさなければいいと思われているのか今でも首を傾げるやりとりで、それ以来何度も繰り返す会話。黒子の方から黄瀬を尋ねて行くことは相手と都合が合う確率からして無駄だろうし、一度でもそんなことをすれば夜に会いに行くことが義務になってしまいそうだったからしなかった。面倒だったからという理由ではない。それにうっかり警官にでも出くわしたとき、黒子の外見でも間違いなく補導対象になる。そもそも警官に視認されるだろうかとも思うのだが、ともかくパッと見であれば黄瀬の方がまだ夜に出歩いていても見咎められる可能性が低いからこれでいいのだと黄瀬自身が熱弁してくれた。心配してくれているのだか貶しているのだか、無言で訴える黒子の視線を浴びながら黄瀬はただ笑っていた。
 待ち合わせ場所は黒子の家の近所の公園で、住宅街の中にあるそこは健全に公園としてのみ機能しており、夕飯時に子どもたちが去ってしまえば後は人気もなく静寂を湛えている。小さい頃から集団に混じって遊ぶことが得意ではなかった黒子には公園に立ち寄ること自体久しぶりだった。黄瀬はどうだか知らないが、初めの頃はブランコを楽しげに漕いでいた。黄瀬の遊んでいた公園ではブランコは人気の遊具で独り占めというのはなかなかできなかったらしい。占領しているのが女の子だったら笑顔で譲ってくれたこともあるそうだが、それはそれで居心地が悪いのだとなんてこともなしに語る黄瀬に、きっと自分だったら順番待ちをしていても待っていると気付いて貰えずに終わるだろうとは言わないでおいた。仮定にも冗談にもなりやしないとわかっていた。
 後は寝るだけだった黒子の格好はいつもTシャツの上に薄いパーカーをはおりスウェットのズボンと裸足に健康サンダルをつっかけているか、連絡が入ったときに靴下を履いていれば運動靴で出てくる。黒子にとって夜の逢瀬は偶然に都合がついた散歩のようなものであり、デートというかっちりした言葉は当て嵌まらない気がしている。だから肩に力を入れる必要はない。黄瀬はいつ会っても海常の制服でなければきっちりモデルのような格好をしているが。だが彼はモデルなのだから、それが彼にとっての普段着なのだと割り切る。黄瀬だって服装に関しては何も言わなかった。ムード以前にセンスがないということを、黄瀬はとっくに知っている。

「あの電柱まで行ったら――」
「引き返しますか?」
「うん。でもさっき曲がらなかった十字路をどっちかに曲がるのもいいっスね」
「黄瀬くんの好きな方でいいですよ」
「曲がっていいの?」
「右でも、左でも、お好きな方に」

 公園で待ち合わせをしてから、二人はぶらぶらと周辺を散歩する。住宅街の夜は静かで、擦れ違う人影は少なく黄瀬は住民たちに門限でもあるのかと真面目に尋ねたほどだ。そんなものあるわけがないと答えた黒子は黄瀬の発想を愉快だと言わんばかりに口元に手を当てて笑いをかみ殺していた。
 手を繋いでみたり、立ち止まって頬にキスを贈ってみたり。黄瀬からのじゃれ合いを黒子は拒まない。黒子が夜の散歩を好ましく思い始めたのは、こうしたスキンシップを夜の暗がりの中でなら屋外であっても多少は受け入れてあげられるからかもしれない。もしかしたら、黄瀬が何度も目的もなくただ散歩する為だけに明日も学校があるというのにやってくるのも同じ理由か。それは明らかにした途端、切なさをもたらしそうで黒子はやはり聞かない。誘われるまま連れ出され、促されるまま歩くだけだ。両親ですら、黒子がこっそり夜に家を抜け出していることに気付かない。無関心というよりは、やはり黒子の存在感の薄さと慎重な振る舞いの成果だった。
 数十メートルは先にあった電柱が徐々に近づいてきて、黄瀬は繋いでいる手を揺らす。引き返す道は、帰り道だ。

「いつ歩いてもこの辺りは静かっスね」
「そうですか? 住宅街なんてこんなものでしょう?」
「いやいや、うちの近所はもっとうるさいよ」
「なるほど」

 何度か訪れたことのある黄瀬の自宅を思い浮かべる。それは明るい日差しの中に佇んでいてとても夜の暗がりには落とせない。黄瀬のように夜にこっそり会いに行く予定もない黒子の記憶が塗り替えられる日はそうそうやってこないだろう。

「楽しいっスね!」

 不意に、どこか場違いな言葉を黄瀬が響かせた。静かで暗い路地を進みながら、幼子のように稚拙な目印を定め彷徨う自分たち。楽しいという言葉に付き纏う穏やかな高揚感とも、響く笑い声とも寄り添わないこの時間を黄瀬は楽しいと表現した。しかし黒子には、どうにもしっくりこなかったようで。

「――愛しいの方が、いいんじゃないですか」

 二人で、こんな静かな場所で手を繋いだりして歩けるということは、きっと。
 黒子が平然と言ってのけた言葉がどれだけ黄瀬を動揺させたか、繋ぐ手にわずかにこもった力だけでは察することはできなかった。それは黄瀬が遠回りの為に曲がろうと言っていた十字路を真っ直ぐ過ぎてしまってから、訝しむ黒子が黄瀬の顔を見上げたときようやく理解されることになる。


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夜がもたない繊細さ
Title by『ダボスへ』



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