懐かれたという自覚はあった。どうやらそれがいつの間にか惚れられていたのだと気付くのに、黒子は人間観察が趣味であるにもかかわらずかなりの時間を費やした。
 根は素直だったのかもしれないが職業柄表情を取り繕う術を身に付けてしまった黄瀬の縄張り意識はなかなかに強固で。内側と外側に対する本人の自覚ある差別意識は黄瀬が身軽に生きていくために必要なものだった。女の子たちは可愛い、そんな概念があってだけど黄瀬は彼を取り囲む彼女たちにどこまでも興味がない。恋をしているつもりなのだろうかと首を傾げてみれば、そんな仕草にまであがる甲高い悲鳴にうんざりしてしまう。そんな、恋愛に能動と受動を上下関係に据え変えて傲慢に黒子に女の子の愚かさを説く黄瀬には流石に失言が過ぎると注意をしたこともある。けれど、黒子も別に真剣に擁護すべき女の子がいたわけではないのでどうにも誠意が宿らない。形式ばった言葉は黄瀬を反省させない。それでも、黒子が自分に向かって物を言うだけで喜ぶ黄瀬の幸せのハードルが異常に低いのは解せなかった。だって、影の薄い、男の黒子にそのハードルを超すことができるのに、積極的に黄瀬の視界にやってきて、黄瀬の為に必死な女の子たちがどうしてこうも蔑ろに思われてしまうのか。黒子にはそれがわからなかった。それが恋に於いて正当な差別だということを、この頃の黒子は知らなかった。


 姿を消すことは容易だったけれど、存在を消すことは不可能だったので黒子の中学三年の夏以降はあまり心休まる日々ではなかった。心が軋轢に悲鳴を上げたから、そうして死んでいくだけの心ではあまりに不憫だったから差し出した退部届。それなのに決して無に帰らない帝光中学バスケットボール部の黒子テツヤという存在に手を焼いた。仲間を仲間と呼べない現状から関係性へ。あなた方なんてもう知りませんよ、とまるで世話を焼いてやったように放り出す側でいれたらほんの少し気楽だったけれど、初めに突き飛ばされたのは黒子の方で、だから今はもう仲間と呼べなくても、仲間だった彼等を呼びたくて、呼び名がなくて、黒子は随分戸惑った。

「黒子っちいる!?」

 何度そんな声を聞いただろう。黄瀬が自分のクラスを覗き込んで、必死な顔で黒子と仲良くもないクラスメイトを問い詰める声。姿は意識して見ないようにしていた。捕まりたくなくて、黄瀬がいる扉とは反対の扉からいつも教室を後にしていた。誰にもわからなかっただろう。部活も引退して、バスケで推薦を貰っていたキセキの世代は完全にバスケ部から離れていないとは知りながらも彼が恐らくバスケ部であったであろう程度の認識を持たれていれば上等な黒子を、黄瀬が必死に探しまわっている理由など。黒子にだって、曖昧だった。曖昧にしてしまったのは、逃げ出した黒子自身。黄瀬はいつだって、肝心な言葉を言わないでストレートに伝えているつもりだったのだろう。そういう攻略法は、憶病な人間には通用しないのだと、いつか、どうか、誰か、彼に教えてあげて欲しいと思う。
 結局黒子は、中学を卒業するまで見事に黄瀬から逃げ回り続けた。


 誠凛に進学して、思ったよりもずっと早い再会を経て、黄瀬と黒子は物理的な距離を挟んで以前よりも少しだけ遠い場所に収まった。携帯に黒子のアドレスを得た黄瀬の感激っぷりは懐かしいよりも度が増した感を抱かせ、強制的かつ一方的で理不尽な一時の別離は黄瀬を随分寂しがり屋にしてしまったらしい。逞しくなってくれれば良かったのにと思う半面、もう黄瀬のバスケに於いてなんの役に立つこともない自分を傍に認めてくれることを嬉しくも思う。ここまで素直に黒子の元に飛び込んできてくれる人間というのは、珍しい以前に黄瀬くらいなものだったから。

「……黒子っちは、」
「はい?」
「中学の頃は、バスケ部っていう繋がりしか俺たちの間にはないみたいに思ってた?」
「――えっと、何か間違ってますか」
「間違ってないかもだけど…言いきられると凹むッス」
「……はあ、」

 黄瀬の言いたいことはよくわからない。嘗ての自分たちに仲間以外の呼び名があっただろうか。バスケ部の、仲間だった。頑なな思い込みを咎めるような黄瀬の視線は黒子の目線よりもずっと高い位置から降り注ぐ。整った顔をしているだけあって、真面目な表情はそれなりに凄みもあった。けれどそれが通じないのが、黄瀬涼太にとっての黒子テツヤだ。どれだけ懐いても、飛び込んで抱き着いて抱き上げて。じゃれついて見つめて戯れても何の効果もない。不言実行は格好いいかもしれないが、態度で示せば済む情熱とは黄瀬が黒子に求めるものは畑が違う。臆病者を引っ張り出すのに必要なのは、やはり何より明確な言葉。

「ねえ黒子っち、俺中学の頃からずっと黒子っちばっかり追い駆けてたんスよ」
「…そうですね、今になって思えばよく僕のこと見つけてくれてましたよね。直ぐ隣にいるのに必死に探された時はどうしたものかと思いましたが…」
「それはまだ慣れてなかった頃の話っスよね!?ああもうそうじゃなくて真面目に聞いて!」
「――はい」
「俺はね、その…嫌味とかじゃなくて別に自分からどこかに行かなくても相手を選ばないでいれば適当に誰か群がってくるタイプだったんスよ。でもそれじゃあ結局楽しくなくて、バスケ部に入って、あの人たちといると楽で、黄瀬涼太じゃなくて、黄瀬涼太が試合で果たす役割だけが求められてるのが新鮮で、今になって思うとそれってどうなんだって感じもするんスけど、まあ、あの頃はそれだけで充分で事足りてて、それで…だけど」
「黄瀬君、落ち着いてください。焦らなくてもきちんと最後まで聞いてますから」
「ありがと。――俺はね、黒子っちだけは違ったんだよ」
「え…と、何がでしょう」
「黒子っちだけはね、最後まで足りなかったよ」
「―――」
「いなくなったからとかじゃなくて、好きだから、傍にいてくれなきゃ嫌だった」
「黄瀬君?」
「ねえ黒子っち、あの頃俺のこと嫌いだった?」

 見上げる黒子に、今度は情けなく瞳を潤ませた黄瀬の顔が映る。憶病に引きこもり、友情すらも認めずに逃げ回った黒子だったけれど、止めを刺す言葉に逃げ道を塞がれたような絶望感は湧かなかった。
 そして知る。こうして再び繋がった関係を喜ぶくせに、昔の気持ちしか窺えない黄瀬の憶病さを。成程そうであるならば、これまでの過度なスキンシップすら彼なりの必死が漸く黒子にも届くというものだ。嫌いかと尋ねる言葉の根底はいつだって期待と不安で前者が先行している。言葉を欲しがるのは臆病者の特権で、時にはその言葉すら疑ってかかる厄介者。本当は、自分の憶病さを盾に閉じこもっていたかった。けれど、黄瀬の精一杯は示されたようだから今度は黒子が精一杯の言葉を贈る番。最初の決め手は、態度ですら歩み寄れなかった黒子が責任を持って提示する。

「――僕は、黄瀬君のこと、好きですよ」

 伝わるだろうか。友情すら結べなかった自分たちの拙い恋の端っこを、どうかしっかりと捕まえて離さないで欲しいと思う。
 見上げたままの黄瀬の瞳から、驚きで一粒だけ涙が落ちて黒子の頬を伝って行った。その感触を追い駆けて黒子は数秒瞼を閉じる。そして再び目を開き黄瀬を見つめた黒子の目に飛び込んで来たのは、嘗てないほど顔を赤くした彼の顔だった。

「……黄瀬君?」
「う、うわあああ黒子っちいいぃぃい!」

 高校生になったにも関わらず、憚りなく大粒の涙を零しながら黄瀬は感極まったのか思いきり黒子を抱き締めた。これは、齟齬なく彼に自分の言葉が届いたということなのだろう。安堵して、黒子は黄瀬をあやす様にその背を叩こうとして、やめた。今黒子を抱き締めているのは、自分に懐き、世話係を押し付けられた、幼かった中学生の彼ではないのだから。


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