瞳に焼付いて離れないもの。鼓膜を震わし続けて消えない音。手を伸ばせば触れられる隣という位置は、存外目を凝らし、急ぎ足で歩み寄らなければ維持できないものだったことを、私はもうずっと前から知っていた。大ちゃんはきっと、未だに知らないんだろうなあと思ったら悔しいんだか、呆れちゃったんだかよくわからない涙が溢れて止まらないから私は少しだけ休憩するね。大丈夫、それでも置き去りに出来ない私だから、こうして幼馴染の枠に収まり続けているんだもの。




 桃井の学校生活から青峰を排除するにはただ自分の席についていればそれでいい。そんなことを、桃井は高校一年も終盤となった三月に知った。部活動の時は選手とマネージャーである以上不自然な距離感は開けられない。けれど自然な距離感というとどの程度のものか桃井にはよくわからなかった。兎に角青峰を意識して行われていた自分の挙動を制御してみたら、これまでの桃井さつきマイナス青峰大輝で純度百パーセントの自分が絞り出されるのはないかしらと思ってみたものの、その考え方では今の自分が残りカスみたいでなんだか寂しかった。
 青峰の冬のサボりスポットは未だに桃井以外には発見されていないようで、進級の時期ということもあり出席点だけでも悪足掻きにとっておけという教師たちの気遣いは生憎彼には届かない。それは入学当初から変わらず、桃井が仲介として言葉を運ばねば青峰はいつまでも屋上に寝ころんだまま。それを納得はできなくとも理解した大人は遠慮なく桃井を青峰にけしかける。それが少し桃井だって面白くないことだということを周囲は理解しない。幼馴染だからという言葉は、当人たちだけが使っていいものだと思っていた。赤の他人が、幼馴染だからと青峰と桃井の二人に何らかの影響を及ぼそうとすることが癪だった。けれどそれ以上にいつまでも成長しないずぼらな青峰の態度も、桃井には目くじらを立てずにはいられない部分で、それを修正する為に本気で取り組まない自分は、結局現状に耐えがたい不満など何一つ抱いていないのだと諦めていた。それは失望すべきことではなく、付き合いの長さが成せる許容だった。
 朝練を終えて、教室へ向かい自分の席に着く。そこから用事がなければ離れないというのは簡単で、難しい。けれど青峰を訪ねて行く以外に目的がないというのも問題だ。高校生活をバスケに打ち込む決意はマネージャーとはいえ選手に引けを取るとは思わない。だがバスケ以外を幼馴染に費やしていては彼女の高校生活、あまりに華がない。くだらないことかもしれないし、彼氏が欲しいともまた違う。偶には女友達とも遊んでいるし、具体的に何が欠如しているとも言うことは出来ない。ただ自分だけが走っている感覚は、充足感とは程遠く桃井を焦らしている。
 ぐるりと教室内を見渡す。当然の様に隣にいない幼馴染は、きっと今日も授業をサボっていることだろう。例え教師が探してきてくれないかと頼んできても今日に限ってはお断りさせて貰うつもりでいる。見つけてしまうことがわかりきっているから、探されたいと思い始めた桃井の意地はむくむくと膨らみ彼女を教室に閉じ込めてしまうことにした。それでも青峰が自分を探しに来てくれるかというと、それに対する自信なんてこれっぽっちもなかったりする。

「あれー、桃井さん今日は青峰君の所行かないのー?」

 こんな言葉をクラスメイトから何回も掛けられれば、桃井には普段の自分がどれだけ無意識に青峰を優先させていたかを思い知らなければならない。そして同時に青峰が如何にぞんざいに桃井を脇に据えていたかも知る。当然の様にスペースが空いていることを喜べばいいのか、彼と同じようにぞんざいに居直ってしまえばいいのか。
 桐皇学園に入学してから、素行はよろしくないがバスケ部として成果を出すことで学生生活の不都合を免れてきた青峰と、修正が利かないまでの逸脱を防ごうと彼を引っ張る桃井は幼馴染としてセット扱いだった。けれど放って置けないと伏せられた桃井の切ない葛藤を知りもしない勝手な青峰は彼女の目の前で、彼女の力の及ばない場所で、彼女がどうしても引っ張り出してやれなかった場所に救いの手を見つけた。望んでいたこと、巻き戻った呼び名が、桃井をいたく喜ばせもした。同時に進んでしまった時間の先で、呼び方だけを幼くしても意味がないことを現実として知ったのだ。停滞が終わり、一歩踏み出す場所がどこなのか、理想を抱く桃井とただ光を目指す青峰とではお互いに向ける認識は兎も角感情が食い違う。
 ――私の気持ちは恋です、コイ、恋。ねえ、わかりますか。
 手紙に綴るように、丁寧な言葉で唱えれば扱いも自然と慎重になれるような気がした。うっかり零れ落ちてしまわないように、両手で口元を覆って。季節が春に移ろい始めた今ではかじかんだ手を温めているようには見えないかもしれない。だけど絶対、この恋を取り出すときは桃井にとって人生の転機ともなる重大な瞬間になる予感がするから、用心しておくに越したことはない。

「お前、今日具合でも悪かったのか?」

 放課後まで根性で教室に留まり続け、いざ部活に顔を出すと朝練以来の青峰の顔がひどく懐かしく感ぜられた。思わず久しぶりと声をかけそうになって、慌てて口を噤む。しかし桃井に気が付いた青峰の言葉は気遣いの滲まない彼女の体調を窺うものだった。首を振って彼の言を否定すると、今度は不機嫌そうに顔を歪めて黙りこくってしまう。

「――大ちゃん、今日ちゃんと授業出た?」
「出てねえ。一限目サボって寝て起きたら昼休みだったし」
「何それ!もう遅いけどこんなんじゃ来年も進級ギリギリになっちゃうよ」
「だって誰も呼びに来ねえんだもんよ」
「…まさか私が呼びに行かなかったから具合悪いか聞いたんじゃないよね」
「あ?そうだけど?」
「…ふーんだ、私だってねえ、いつまでも大ちゃんのことにばっかり構ってられないもの。毎日お迎えがあると思わないでよ?」
「でもお前どうせ来るじゃん」
「行きません。現に今日は行かなかったでしょ?」
「でも明日は来るだろ」
「な…何その自信」
「さあな」

 さっさとゴールに向かいシュート練を始めてしまった青峰に、桃井はこれ以上追及することは出来なかった。そして青峰の不遜な態度に憤慨するべきか、今日一日の不在を一応彼は意識したのだということに歓喜すればいいのかを考える。たった一日では、青峰の桃井に対する価値観は全く揺らいではくれないようで。ならばいやでも桃井の存在が当たり前ではなく、それでも傍にいる意味を青峰が意識するまで距離を置いてみるのもいいだろう。しかし彼は妙に自信満々な態度で明日には彼女が自分の隣に戻ってくるかのような言い方をする。
 青峰の言動に反目する気持ちを抱きながら、しかし桃井にも彼の言う通りかもしれないという弱気な気持ちが巣食っている。だって、どれだけ距離を置いてみたとして、心まで離れようがないものだから桃井の意識は結局その時々で青峰のことを探している。それは、隣に寄り添うことと大差ない通常運転。
 ――明日からまたお目付け役かあ…。
 肩を落とし、溜息を吐きながらこれは長期戦になるなと気を引き締める。前途多難だが負けるつもりもない。女は根性、それが桃井のポリシーだ。



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快活に生きることを正義だと考えていた
Title by『ダボスへ』





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