※黒子♀化
コレの続き



 黒子は図書室が好きだ。あそこの静寂は柔らかくて暖かいからとても居心地がいい。黒子の存在感の薄さは周囲を賑やかにしたまま彼女だけをぽつんとおきざりにしてしまう。それは教室であろうと体育館であろうと部室であろうと変わらない。気付けば加われる輪の傍に陣取ることに他意はないが、時々、本当にただ自分を弾かない穏やかな空間に身を横たえたいと思う。図書室には何人かの生徒たちがいて、素晴らしいのは誰も友人を引き連れておらず純粋に読書を目的に本を吟味し、ある人は席に着き頁を捲っているところ。そこにいる、だけど誰も目を合わせない、いることを意識して、だけどそれだけ。雑音は誰かが頁を捲る紙の音。耳をそばだてていなければ、全く気にならない程度の静かな騒音。
 普段黒子を構う稀有なチームメイトもここまでは攻め込めない。数人は、時と場所を弁えられる分別を持って、彼女を目的とせずに図書室を利用しているはずだ。テスト期間でもない昼休みの図書室の人影は本当に疎らで、黒子は目を落としていた本に栞を挟んでから窓の外に視線を投げる。快晴の空に一筋飛行機雲が過ぎって、いつ飛行機なんて上空を通過していたのだろうと不思議な心地になる。夢中になり過ぎると周囲への注意が散漫になる。図書委員としてカウンター内に座りながら、昼休みが終了する前に集中が途切れてよかった。
 ぼんやりとした表情は、内心の思考を反映することなく室内に視線を廻らせる。すると、黒子の場所からは一番遠い図書室の入り口近くの席によくよく見覚えのある姿を見つけた。赤司征十郎、彼が図書室にいることには違和感はない。ただ馴染んでいることに「おや、」とつい瞬いてしまう。彼の手元の本を見抜くことはできないけれど、頁の厚みならば遠目でも判断できる。文量と内容の密度が比例しているかどうかは一概にはいえないが、傍から見れば赤司は何か難しそうな本を読んでいるということになるのだろう。やけに分厚い本の半ばに差し掛かっている彼は、黒子が彼に気付きじっと見つめ始めてから一度も視線を上げなかった。
 恋人同士だからといって、それぞれの間合いが変化するわけでもない。それでも、割と知人に知られている生活スタイルからも察しが付く通り黒子にとって図書室は彼女の領域に属すると自負していた。勿論学校中の人間に対してではなく、赤司に対しての話。用事も悪戯心もないのに、他人にすり寄っていくことがどうにも苦手な黒子は赤司を唯一の恋愛対象として恋人に据えても何も変わらなかった。その辺りを察して、赤司は上手く黒子を構い、尊重してくれた。それでも赤司にとって彼以上に尊重すべきものはそうそうあるものではないから、黒子が同じように彼を最も尊重すべきものとして扱わないことに時々へそを曲げた。部活仲間は、そういうときの赤司を年相応に恋に苦戦する少年の様だと評した。逆に赤司をそんな状態に陥れる黒子には恋愛に於ける感情の振り幅が狭すぎるのではとお説教をしてくるのだ。そんな男子の意見はいりませんと逃げ出す黒子の赤司に対する好意を疑っているわけではないのだろうけれど、正直に振舞っているだけのつもりの黒子には何がいけないのかはわからない。わからないけれど、こうして赤司が図書室に居座って、彼女を無視しているということはあてつけに近い何かなのだろう。黒子が図書委員の当番を務める曜日を、あの赤司が――恋人である赤司が忘れるはずがないのだから。
 ――でも何かしましたっけ?
 赤司を見つめながら、首を傾げる。心当たりはあまりない。こじつければ多々ある。スキンシップ過剰な部員たちから逃げきれなかったこととか、疲労に負けてメールも電話もしないで眠ってしまった日のこととか、一緒に本屋にいっても好き勝手動き回りひとりで出向いたときと何も変わらないと思ってしまったこととか、他にも色々と。けれど別に、黒子には赤司を蔑ろにする意図なんて微塵もないものだからごめんなさいとその場しのぎに頭を下げることすら癪なのだ。そんな意固地を赤司に貫き通そうとすること自体無謀だと思われていることは知っている。黒子もそう思う。ただその姿勢を損なわない黒子だから、赤司は彼女を傍に置きたがる。薄いとか、そういう物珍しさだけでは決して赤司の特別には成り得ない。
 けれど、いくら黒子が赤司への気持ちを再認識したところで彼の視線は本から外れない。一点ばかりを見つめることにもそろそろ飽きてきた。予鈴はまだ鳴らず、いつの間にか元から少なかった図書室にいる人影は更に少なくなっていた。黒子から赤司を結ぶ直線上には誰もいない。
 ――ス、キ、デ、ス。
 遊び心で、唇を動かしてみる。音は乗せず、けれど至近距離にいれば理解できたであろう、息だけを吐き出して象った気持ち。赤司に気持ちの不足を訴えられたことはなく、ただ正確に難を付け合って喧嘩にも昇華できない言葉の応酬だけを繰り返してきた。だから、想いを通じ合わせたとき以来かもしれない。赤司を見つめながら、聞こえていないとしても好きと言ったのは。雰囲気が促さない現場での告白は思いの外気恥ずかしいもののようだ。俯いて、頬に手を当ててみれば普段よりもずっと熱を持っていた。頬だけでよかったと、両手で挟んで熱を引かせようとそのままじっとしている。

「随分妙な格好だね」
「――赤司君、」
「図書委員の仕事も今日はもういいんじゃないか。みんな教室に戻ってる。昼休みももう終わりだ」
「そう、ですね」

 いつの間に、本当にいつの間にと驚愕せずにいられない。椅子を引く音も、近付く気配もなかったのに、カウンターの直ぐ向こうから黒子を覗き込んでいたのは赤司だった。彼の言葉を確認するまでもなく、確かに図書室にはもう二人以外誰もいなかった。その気配すら拾い損ねていたのだから、よほど自分の内側にばかり意識を集中させてしまっていたようだ。

「赤司君、本の貸し出しはいいんですか」
「――?何故?」
「だって、随分分厚い本、読んでましたよね。まさか読み終わったわけじゃないでしょう」
「ああ。アレは君が当番のときにだけ此処で読むことにしてるんだ。だから借りる気はない」
「え?」
「…まあ、気付いてないとは思ってたけど、素直なリアクションだ」
「すいません。え、でも毎回ですか?」
「用事がなければね。でもテツヤがあまりに真剣に本を読んでるものだから、声を掛けるのは遠慮していたんだ」

 黒子が気付かないだけで、彼女が図書委員の当番の日は決まって図書室にやってきていたという赤司の告白にまたしても驚愕が彼女を襲う。敢えて至近距離には陣取らないようにしていたようで、それは彼女が読書を邪魔されることをいやがるからで、場所が図書館だから。その気遣いが当然とはいえず優しさであることくらいわかるから、黒子は嬉しいと思う。けれど、やはり話し掛けて欲しいとも思うのだ。今日のように。

「赤司君」
「ん?」
「好きです」
「…どうしたんだ急に」
「急に、どうしてか言いたくなりました」
「……そうか」「そうです」
「じゃあ戻ろうか」
「はい」

 はにかむように告げた黒子に、赤司は一瞬虚を突かれるが直ぐに穏やかな表情になる。ここで同じように好きだと返しても構わないが、彼女は彼女が告げたいから告げただけで、赤司の気持ちを確認する意図なんて一切持っていないとわかりきっているので言わなかった。その代わり、カウンターから出てきた黒子の前にそっと左手を差し出した。男女間のこととなると驚くほど察しの悪い彼女も、流石に理解できたのか素直に右手を重ねてくれた。緩く力を籠めて握ると、同じように握り返してくる。そのことに、赤司は悪くないと頷いた。
 黒子の声が、好きですのたった四文字が、教室までの道すがらずっと赤司の鼓膜内でぐるぐる回っていたことを彼女は知らない。

「時に聞くけれど、さっき僕が近付く前にこっちを見ながら何て言ったんだ?」
「……空気の読めない男だったんですね赤司君って」
「何で溜息吐くんだ」
「色々と台無しだからですよ」

 見ていたことに気付いていたらならもっと早く構いにこなかったのか。そうすればあんな気恥ずかしい思いはしなかったと八つ当たりしそうになるのをぐっと堪えて、黒子は赤司からぷい、と視線を逸らした。けれど繋がれた手を振りほどこうとはしないのだから、この二人はお互いを好き合っている、ただの恋人同士だった。


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どうか、愛と呼びたい
Title by『Largo』




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