「寒いね」

 呟かれた言葉が独り言なのか、同意を求めて降旗に向けられたものなのかを咄嗟に判じあぐねて答えることができなかった。すると降旗より数歩分先を歩いていた赤司は足を止めて振り返った。予想外のことに驚いて足を止める動作が遅れてしまい、開いていた距離を縮めて二人は並んでしまった。開いていた距離は降旗が赤司と二人きりでも心の平常を保つために最低限必要としていたもので、それがどういった心持ちから引かれた線引きなのか明朗に説明することはできない。もしかしたら、赤司は理解しているのかもしれない。降旗が、自分自身のことであるにも関わらず不明瞭なまま持て余している証への距離感だとか、遠慮だとかそういう溝のこと全部。
 もしも降旗が自分の持っている言葉で赤司への印象を言葉にするとしたら「劣等感」に尽きる。バスケを通してしか見ることのない赤司に、同じポジションを張っている降旗としてはその実力に素直に感嘆の念を抱いている。けれどやはり味方として信頼することのできない、ましてや同級生という中途半端な近さと永遠に交わらない立ち位置はどうしても赤司を友だちと気安く呼ぶことをさせなかった。
 それなのに。こうして二人きりで街中を歩いている現実はどういうことだろう。誘いをかけるのはいつだって赤司からで、降旗はその申し出を断らない。というのも彼が指定してくる日時は悉く降旗が他の友人との約束を取り付けていない空白の個所だったから。気分が乗らないからという理由で遮断できるほど気楽な相手ではない。気楽ではないのに、こうして二人きりで歩いている。何度顔を合わせて、歩いて、喋っても降旗は赤司との間に数歩分隙間を開けなければ耐えられなかった。それに対して赤司は何も言わない。ただ初めて二人きりで出掛けたときに何度か逡巡して、自分の中で折り合いのつく答えを出したらしい。それが必要だったのは、本当は赤司ではなく降旗であったというのに。

「寒いね」
「――うん、」
「光樹は寒くないのか」
「寒いよ」
「そうか」

 独り言ではなかった呟きを、聞き逃せない距離に詰まったことで赤司はもう一度繰り返した。それにきちんと頷いたのに、降旗がはっきりと「寒い」か「寒くない」のかを明らかにするよう尋ねてきた。それすらも疑問文というよりは淡々と確認するだけの独り言のように聞こえた。だから最初の呟きにも、降旗は答えられなかったのだ。赤司の言葉は、あまり他人からの返事を求めているような発音をしないから。
 前日に雪の積もった歩道は今朝から大勢の通行人に踏みつけられて今は泥水となっていた。端の方にはうっすらと真白い雪も残っているがそれにはしゃぐ年頃ではない。コートに両手を突っ込んでいる赤司の息は白いが、いつも通りの背筋の伸びた立ち姿は寒さに委縮することなくとても寒がっているように見えない。一方の降旗は手袋とマフラーを装備しても顔に当たる冷風にすら慄いて首が縮こまってしまう。

「鼻が赤くなっているぞ」
「だって寒いし」
「どこか入るか」
「いいよ。買い物が先で」
「そうか」
「うん」

 素っ気ない会話には気まずさを覚えない。降旗がそれを覚えるのはこうして赤司と一緒にいるということを意識する瞬間だけだった。だから並んで歩けない。それは順当な答えなのかは問題ではない。赤司を嫌っているのとはまた別次元で、寧ろそれとは逆におかしなくらい過大評価しているからこそ降旗は彼を同等と扱えない。見抜かれていたとして、赤司は咎めない。けれど万が一降旗が自分の口からその想いを言葉にするようなことになれば「ひどい差別だね」と笑顔と呼べない類の微笑を浮かべて言うだろう。そうしたら自分は慌てて謝るのだ。ありありと浮かぶ光景に、降旗は「弱いなあ」と自身の性格を形容して嗤う。瞬間、赤司の物言いたげな視線を感じて立ち止まる。しかし彼はやはり降旗よりも数歩先を歩いていて、直ぐに前を向いて足を止めることはしなかった。


 スポーツショップで買い物を終えると空模様が怪しくなっていた。また雪でも降るのか冷え込みも強まっていて、通行人たちも自然と急ぎ足になっている。そんな人々を眺めながら、赤司はなかなか歩き出そうとしない。店の入り口の横に立ったまま、ぼんやりと空を見上げているだけだった。掛ける言葉を持たないまま、そうして生まれる沈黙が何よりも降旗には苦痛で、長時間は直視できない横顔から逃げるように赤司の視線を追って同じように空を見上げる。濃い曇天の空は見上げていて心地いいものではなかった。

「ふり回している自覚はあるんだ」
「―――?」
「今までは他人の上に立つのが当たり前で、それ以外を求めたこともなかったから」
「…うん、」
「同じがいいと思ってみても、どうすればいいのかわからない」
「うん、」
「光樹は僕が怖いんだろう」
「……少しだけ」
「少し?」
「うん、少し」

 ぽつり、ぽつり。赤司が吐き出す言葉はいつだって彼の側にあって降旗に歩み寄ってくるものではなかった。けれど、窺ってはいたのだろう。憶病を隠す為に決して触れはしない距離で赤司は立っていた。けれど憶病を晒して引っ込んでしまう降旗を相手にしていてはそれでは埒が明かないのだ。
 弱気になどなってはいない。けれど相手に未来の決定的な一因を委ねるというのはどうにも落ち着かない。自分の望む結果は自分の手によってのみ得られると思っていたのに。だがそれでは人の心というものは自信を持って獲得することはできない。
 降旗が自分に対して気後れ染みた感情を抱いていることは並んで歩きたがらないことを覗いても態度や会話の端々から理解できた。初対面での印象がよくなかったことは黒子に諭された。そして初めて、赤司は落ち込んだ。今まで出会って、離れて行った人たちとは違う関係を望んだ相手は自分を見ていないという現実を冷淡のように思った。直ぐに自業自得という言葉に頭を殴られて、赤司はただ強引に聞き出したアドレスと番号を、時を見計らって使用するしかなかった。じりじりと追い詰められていったのは、案外赤司の方だったのかもしれない。

「――寒いね」
「うん、赤司顔赤くなってる」
「……そうか」
「駅混んでるかもねー。飯食ってく?」
「ああ」

 ただじっと自分の上に立って見下ろしているだけだと思っていた赤司が、思ったよりも手の届く位置にいることに降旗は少しだけ気が付いた。及ばない能力差に怯む気持ちは未だ残っているものの自分から一緒の時間を引き延ばす申し出をする程度には浮かれていた。だから見逃してしまった。顔が赤くなっていると指摘した瞬間、焦ったように唇を噛んだ赤司を。その赤面は寒いからではなく熱かったからだと降旗が知るのは、まだまだ先のことだ。
 いつの間にか、天気は雪になっていた。



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さびしい君が目についたから今から僕の宝物です
Title by『ハルシアン』




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