「そういえば黒子、明日誕生日だろ?」

 そう先輩の誰かが声をかけた時にはもう黒子は部室にいなかった。ロッカーは空で、いつの間に帰ったんだとどよめく部室。しかし気付かなかっただけであの黒子のことだからきちんと挨拶もしてから出ていったのだろう。誰か生返事でもいいからしていればいいのだけれど。部員たちが続々と帰途に就くなか、火神は真剣な顔つきでロッカーの前に立ち尽くしていた。終いには早く帰れと日向に追い出される形で漸く学校を後にする。事前に約束を取りつけて一緒に帰ることは少ないが、寄り道場所が同じなので自然と連れ立って歩くことの多い黒子が今日に限ってさっさと帰ってしまうなんて。折角誕生日だと知ったのだから、お気に入りのバニラシェイクくらい奢ってやろうかと思ったのに。
 まだ当日を迎えていないにも関わらず、せっかちな火神は知ったら即祝ってやる方がいいと思っている。どうせ部活で顔を合わせるしクラスも同じであるのに当日祝ってやれるかわからないと言わんばかりの真剣さで。そんな火神の予感を助長するように、立ち寄ったマジバでも黒子の姿を見つけることはなかった。


『すいません、諸事情で遅れます。昼頃には行けると思います。』

 滅多にやりとりのないメールで不在を告げられたのは既に黒子の誕生日当日の一限目が終了したときだった。クラスメイトも担任も黒子の空席に気付いているのかいないのか。きっと本人も頓着なく、欠席扱いでも出席扱いでも構わないと思っているのかもしれない。真面目なようでいて、いい加減な人間だから。
 朝練にも出てこなかったので、バスケ部の面々は揃って残念だと顔を曇らせたことを黒子が知るはずもない。誕生日を祝うために準備を重ねたわけでもないが、顔を合わせたら絶対におめでとうと告げる心積もりではいたのだ。出鼻を挫かれてしまい落ち込む先輩に、火神はどうしたものかと頭を掻くしかなかった。どうせだから、この簡素なメールの返信で祝ってしまえばいい。そう思い打ち込んだ文章が僅かばかりよそよそしくて、火神は電源ボタンを押して携帯を閉じた。男同士で、しかも相手はあの黒子だからわざわざメールするようなことじゃない。ならわざわざ直接顔を合わせて言うようなことだろうか。手間暇の問題ではないとはなんとなくわかっているつもりだ。夏休み中に迎えた火神の誕生日では黒子からおめでとうの一言をきちんと貰っている。だからきちんと同じように返す。それだけのことなのに、前日から当日にかけて不自然に姿を眩まされてしまったから、勇んで捕まえなければ祝えないような状況に陥ってしまうのだ。
 昼頃には行けるという文面を頭の中で反芻する。それは昼休みということか。誰にも気付かれず鞄を机に置く音がしたら振り返ってさっさと祝ってやろう。そう決めて、火神はそれまでの授業のことなどお構いなしに机に突っ伏して眠ることにした。咎める声は、黒子がいなければ一向に降ることはなかった。



 実際黒子が学校に登校してきたのは昼休みどころか放課後になってからのことだった。時間帯には関係なく「おはようございます」と頭を下げながら部室に入ってきた黒子の格好に、部員たちは言葉を失った。
 くたびれて土埃に汚れた制服と、乱れた髪。疲労感の滲む顔色で、しかし両手でしっかりとクラッカーを握りしめている。それだけで、厄介な事件に巻き込まれたわけではないことを察してくれと訴えていた。気遣わしげに足元にすり寄った2号を抱え上げて、黒子は誕生日には相応しくない盛大な溜息を吐いた。そこからも滲み出る疲労困憊の気配に、しかし授業はサボれども部活には這ってでも出るんだなという執念じみた念を感じる。
 会ったら祝ってやろうという部員たちの計画は一旦脇に逸れて、まずは一体何があったのか聞き出すことにした。

「騙されました」

 問いかけに黒子は開口一番唇を尖らせた。何でも昨日、部活が終わり着替えていると携帯のランプが点滅しており確認すればそれは赤司からのメールで、青峰の成績がヒドすぎて留年の危機だから集合とのことだった。桃井からではなく赤司からの連絡であった時点で訝しむべきだった。留年なんてとんでもない。慌てて部室を出て指定されていた青峰の自宅に向かうとそこには―――。

「ごめんなんか想像つくわ」
「…まあ、キセキ全員に祝われましたよ。フライングで」
「京都と秋田から出てきたのか?」
「みたいですよ。それから宴会騒ぎになってオールするのかと思いきや普段の習慣からあっさり寝落ちで寝坊して昼から学校行こうとしたら赤司君と紫原君の新幹線が夕方だからそれまで暇なんでバスケしようぜって流れになりはしゃぎすぎてしまいました」
「…よく学校来る気になったな」
「こっちが本分ですから。で、別れ際に黄瀬君から余ったクラッカーを貰ったんです」
「鳴らすか?」
「いえ、後片付け大変なんで…」

 一通り事情を説明し終えると、黒子は自分のロッカーを開き荷物を置く。隣に立つ火神を見上げると丁度目が合った。

「…嘘吐いてすいませんでした」
「は?」
「メール、昼頃行けるって送ったじゃないですか。あれ、無理でした」
「あああれな。おかげで昼休み無駄に落ち着かなかったわ」
「僕の到着を心待ちにしてたんですね…」
「調子乗んなよ」

 さっそく漫才かと先輩たちに囃されたことにより、火神と黒子の軽口の応酬は中断される。
 その隙に黒子が着替えを終えると、いつの間にか部室には火神しかいなくなっていた。どうやら相当疲れているらしい。先輩たちが出ていく音に全く意識が向かなかった。これはこれからの部活を乗りきれるか怪しい。
 ぼんやりと考え込んでいた黒子の頭を、彼を待っていた火神の右手が鷲掴んだ。悲鳴も上げず、じゃれあうような付き合い方もしていないので単にこれは話しかけるときに手を挙げたり肩を叩くのと同義。黒子は「何ですか」と火神に次の言葉を促した。

「お前先輩たちの話聞いてたか?」
「―――いいえ、聞こえませんでした」
「今日部活終わったらファミレスでお前の誕生日祝いするってよ」
「え…」
「だから今日は勝手に帰んなよ」
「…はあ、」

 まさかそんなことをして貰えるとは。キセキたちに誕生日を祝われたことを打ち明けたのは、強請る意図あってのことではないのだが、ひょっとして気を遣わせてしまったのか。沈みかけて、その浅はかな仮定を否定した。祝うと言ってくれたのだから、後輩の自分は大人しく甘やかされていればいいのだ。同級生に祝ってもらうのとはまた違うむず痒さが黒子の胸を這い回る。しかし決して不快ではないその感情を上手く外に放出する術が思いつかない黒子は鞄の上に乗せていたクラッカーをロッカーの中で思いきり鳴らした。
 パン!と小気味いい音に次いで降り注ぐ煌めき。ぱちぱちと瞬いて火神を見上げれば口で言えよと呆れられてしまった。

「じゃあ火神君も言葉にしてください」
「あ?何をだよ」
「なんか今日ずっと機嫌悪くないですか?」
「…………」

 それはお前が昼休みに登校してこなかったから流れた祝い文句がどんどん喉の奥に引っ込んでしまった所為だよ。
 流石にそこまでバカ正直に打ち明けることはできなくて、火神は黒子の頭を掴んだまま左右に振り回してやった。

「…目が回りました火神君」
「部活中断に倒れんなよ」
「もう倒れそうです」

 のろのろと扉に向かって歩き出す黒子に倣って火神も体育館へ向かう。おめでとうと伝えるには割とうってつけの二人きりという時間を無碍にしてしまったことに火神は内心頭を抱え、実際にはまた黒子の頭を掴んでいた。たった一言、されど一言。
 火神に残された猶予はあと数時間である。



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Happy birthday!!1/31

満ち足りた生活
Title by『にやり』




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