※パラレル
※騎士と姫



 風化してしまうくらい遠くの記憶。幼いが故一点の濁りもない気持ちで誓ったことがある。
 ――騎士として、俺は君をこの身に代えても守り抜く。
 その誓いは今なお胸の奥底に宿っている。親しみが増すにつれて真顔で言い募ることが難しくなった決意を、隣で屈託なく笑う姫君の命がそこに在る限り、日向は決して忘れはしないし違えない。


 日向が自国の騎士団所属代表として隣国の騎士団との合同演習に参加したときのこと。気掛かりは直前まで自分も指導者として随行すると言って譲らなかった幼馴染のような圧倒的に身分違いなお姫様のことだった。国境を跨ぐまで、日向はこれから戦場に向かうと言わんばかりの血眼で馬上から周囲に視線を廻らせ続けた。不思議そうな顔が自分に向けられることに居心地を悪くしながらもこれはお前たちの為でもあるのだと叫びたかった。もしも彼女が実際自分たちの訓練の指揮など取ろうものならば慣れない隣国の騎士を使い物にならないほどの壊滅状態に追い込む可能性があるのだから。
 「まあ気張るなよ」と掛かる声に振り返れば木吉が「リコだって自分の立場くらい弁えてるさ」と笑う。それもそうかと頷いて、日向はすぐさま腹いっぱい空気を吸い込んで、叫んだ。何故宰相補佐のお前が城を離れて着いてきているのだと。木吉がこんな風だから、彼ともまた付き合いの長いリコはそれを真似しようという気を持ってしまうのだということがどうしてわからないのか。半日と掛からない隣国への旅路が、その時日向にはえらく長丁場の道に感じられたという。

「結論から言えばやっぱりお姫さんが軍備に首を突っ込んでる国はねえな」
「あるでしょうが、此処に」
「鍛えられる面では確かにありがたいけどなあ、色々挫けるんだよ」
「今更何言ってるの。私の数少ない楽しみなんだから邪魔しないで」
「――はいはい、確かに今更だしな」

 一週間ぶりの再会も、リコは妙にふてくされた顔で日向を出迎えた。それでも、一国の姫が一騎士である日向を直々に出迎えること自体彼女たちの親密さに裏打ちされているが故のプライベートでなければならなかった。だから物珍しくもないかというとそうでもないが、少なくともこの城に仕えている人間で目くじらを立てるような人はいなかった。正真正銘日向とリコは幼馴染で、やがて身分という絶対的な差異に引き離されていくであろう宿命を背負った二人だった。
 幼い頃から長子であり一人娘であったリコは特に父親から膨大な愛情を注がれて育った。王族としてのもてはやしもあったにも関わらずここまで飾らない溌剌な娘に成長したことは日向を覗いて語ることはきっと出来ないだろう。いつからか芽を出したリコの才能はこの国を守る為に日々剣術の稽古に明け暮れる日向の姿勢と符合した。純粋に上を目指すことの出来る人間同士、身分だとか性別を言い訳にお互いを突き放すことはしなかった。もしかしたら、そうしておくべきだったのかもしれないと嘆くこともあるかもしれないが、今の所そんな悲惨な状況に遭遇したことはない。
 リコの自室から続いて行けるバルコニーに置かれたテーブルは、如何に黙認されているといえどあけすけなく人目に晒すことは望まれていないことを理解しているリコが日向と話す為に設置したお茶会の場だった。敬語も使わず、礼も取らない。それはリコが願ったからこそ叶えられたこと。今更彼女と他人行儀に接することなど、公式の場以外ではとても考えられないが、本来ならばその妄想こそが現実であるべきなのだと日向は理解しているつもりだ。
 先日出向いた隣国との間とは長年友好関係を維持していて、行き交いに規制は勿論存在していない。しかし入ってくる情報は万遍なく迅速にとは言い難い。平和が当たり前であれば民は興味も持たない。日向は職業柄全くの無関心とは言わないが、やはり目が行くのは軍事関係ばかりで社会的情勢はやはりリコや木吉が専門的に情報を集める部門であるしそれを自分に打ち明けてくれるとは思っていない。情報によっては機密扱いで、親しくとも舞台が違う。
 そんな風に、前知識なく乗り込んだ隣国の王城下の街はやけに賑わっていて驚いた。親しくなった騎士団の一人の話によると丁度この国の王子が別国の姫を花嫁として迎え入れることが決まったのだとか。どうりでお祭り気分が蔓延しているわけだと納得し、この合同演習も訓練というよりは景気付けの意味合いが強いのだなと理解した。益々修行の鬼であるリコが此処に来ないでくれてよかったと誰にともなく感謝した。想像の中で「何か言った!?」と声を荒げるリコに思わず頬を引き攣らせていると、先程日向の問いに答えてくれた彼がそういえばと口を開いた。

「そういえば、そちらの国にも姫君がいたけどそろそろ嫁入りの話が持ち上がる年齢じゃなかったか?」

 けれどそちらは長子だし、婿入りの方かとひとり納得してその話題を彼は終わらせてくれたけれど。日向は彼の言葉に面食らってしまって一言も反応することが出来なかった。確かに、自分に女っ気がないというだけで同年代の彼女も同様だろうと勝手に考えることすら排除していた選択肢が身近に迫っていてもおかしくない年齢に、自分たちは差し掛かっていた。

「――隣国の王子には私も何度か会ったことあるわよ」
「ほう、まあめでたいことだよな。お隣さんは本当に国中盛り上がってた」
「……何よその目は」
「いや、この国がそんな王族の婚姻でお祭り騒ぎに湧く日はくるのかと思ってな」
「ふん、私が婿なんて取ろうものなら日向君寂しくなるわよ」
「おま…何様だよ」
「あら、お姫様よ」

 墓穴を掘るような冗談に、リコは余計なお世話と機嫌を損ねることなく軽口を上乗せして返してくる。こういう所が気心のしれた気楽さだとは言うものの、実際この国の主となる彼女がそこまで将来のことに無関心かつ無計画だとは思えなかった。
 ――本当、寂しかったりしてな。
 実感として迫らない未来は想像の中でしか広がらない。けれど、もう日向は二度とこのバルコニーでリコと二人きりお茶をしながら他愛ない会話に興じることはないだろう。
 日向の沈黙に、リコはじっと彼の顔を見つめながら手にしていたカップを置いた。それから手を組んでその上に顔を乗せて、またまじまじと日向の顔を見つめる。ここまで来ると、流石の日向も落ち着かなくなってくる。たじろぎながら「何だよ」と尋ねれば「わからないの?」と疑問文が返ってきた。わかるはずがない。けれど表情から察するにどこか彼女は楽しそうに企み事を抱えている、そんな笑みを浮かべていた。

「このあいだ、鉄平もついて行ったでしょ」
「ああ、あれ何だったんだよ」
「私の命令。そのまま鉄平は幾つか他の国を訪問してるはずよ」
「ふうん」
「かく言う私も日向君が城を開けていた間にちょっとばかし諸国訪問して来たのよ」
「――は?」
「さっさと帰って来たけどねー」
「何でまたそんな急に外交に力入れ始めてるんだよ」

 これまで兵士育成にばかり興味を抱いていたくせに。続く日向の言葉にリコはもう一度「わからないの?」と繰り返した。だから日向も同じ言葉を繰り返す。わかるはずがない、と。

「王族同士の結婚の目的は大抵家同士、国同士の繋がりを促すことを目的とするわ」
「ああ」
「身内意識があれば政治的にも軍事的にも横の繋がりが強くなる。それを実感するに血縁関係は一番手っ取り早い意識改革を民にも促すもの」
「――うん?」
「まあ日向君にこの手の話を突っ込んで聞かせても仕方がないわよね。でも手っ取り早くなくとも方法はあると思う訳ね。婚姻関係だけが絶対ならば最悪身内が入り乱れて世界の勢力図すら線引きできないくらい混乱する可能性だってあるわ。ある程度切れる関係だって失礼だけど魅力的な訳」
「ふんふん。――で?」
「同盟って、お友達になりましょうってレベルの繋がりだけど実際効力はあるわけでしょ。義を重んじるか血を重んじるかは結局その人次第だもの。だからね、今この国はお友達を増やしましょうって動き回ってるわけ。勿論手当たり次第じゃないわよ」
「まあ確かにこの国はあまり険悪な間柄の国はないしな」
「でもこうやって横の繋がりが確保されれば余所から人を連れてくる必要はなくなるわけよ」
「――――ん?」
「私が私の選んだ人間と結婚しても文句を言わせない為の環境作りぐらい、こなしてみせるわ」

 言いきったリコの顔は逞しく、如何にも王族という傲慢な気品に満ちていた。それは自らの技量に裏打ちされた自信の表れで嫌悪感を抱く類のものではない。しかし滅多にリコの政治家としての顔に触れることがない所為で戸惑っているのか上手く反応することが出来ないでいる日向に彼女は不満そうに唇を尖らせた。
 注がれたきり口を付けられることのない日向のカップ内の紅茶はそろそろ冷めてしまっただろうか。関係のないことを意識して考えようとするが脳の混乱を収める効果は期待できなかった。自分を正面から見つめてくるリコの言わんとすることを、日向は察してしまうが故にどうしても否定しなければならないと躍起になる。何故なら彼女はこの国の姫で、自分はただの騎士だから。

「騎士じゃなくても良いじゃない」
「その身に代えてくれなくたって構わないわ」
「ただ――私と生きて、守ってよ」

 震える声で紡がれた言葉は、決して聞き漏らされることなく日向の頭を殴るように強く激しく乱した。何を言えばいいかもわからない。けれど真正面からリコを見つめた。同じように自分を見つめている彼女とかち合った視線が逸らせない。
 リコの言葉と、それに蘇生された幼い頃の自分の宣誓が交互に頭の中で再生される。この身に代えても守ると誓った少女はお姫様だった。けれどお姫様だから膝を折ったわけではない。リコだったから、彼女だったから日向は迷わず一生囚われるかもしれない誓いを立て本人を前に口にしたのだ。その意味を、今更になって日向は思い知る。
 とうに埋められた外堀を飛び越える術はないだろう。リコはやるといったらやり遂げる女だから。そういう強さが、昔から好きだったのだ。だから日向は大人しく自分の負けを認めることにする。秘められていた想いの側に立てば大勝利かもしれないが、男としては完敗だ。せめて王でもあるリコの父親に謁見する際は怯まず格好良く決めてやりたいものだ。
 息を吐いて口を付けた紅茶は、やはりとっくに冷たくなっていた。



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だめなものなんてない
Title by『にやり』



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