※パラレル
※青峰が妖怪(人外)


 さつきの友だちは人間ではない。
 それは、さつきにとって誰にも言えない秘密であった。小さい頃に生まれた秘密は、最初は周囲の人間に知られたら怒られてしまうと思ったから黙っていなくてはと必死になった。その認識は今でも変わっていないが、今では秘密という言葉自体に甘美な響きを感じるからかもしれない。それは子どもが自分たちだけの遊び場を人目のつかない場所に作る気持ちと何ら大差ないものであると理解している。だがどちらにせよ特別であることには変わりがないとさつきは信じている。尤も、その秘密をさつきと唯一共有している大輝が彼女と同じように言葉の響きに酔っているなどということは有り得ないことだろうが。
 裏山を上る道を少し小脇に反れた場所にある古びたお堂。雨風にさらされ続けた屋根は一年中枯葉を乗せているし、障子と思しき引き戸は全て木枠を残して暗い堂内に汚れを招き入れている。さつきや彼女の両親、祖父母が生まれる以前はきちんと神社としての体裁を持っていたようだが次第に忘れ去られたその場所は寂れていく一方だったようだ。やがて薄暗い、木々に囲まれた場所に鎮座するお堂は子どもたちにとって格好の度胸試しの場所となった。
 さつきは同年代の中では賢い子どもだった。また村の長の娘ということもあって同年代の子どもたちと裸足で外を駆け回るようなやんちゃは許されなかった。けれど、元来がお転婆な気性であれば禁止されたことであればあるほど好奇心を刺激されてしまうのだ。自宅の庭から覗く外の子どもたちが楽しそうにはしゃぎまわりながら度胸試しに裏山のお堂に行くと豪語し駆けて行く姿を何度も見送った。そしてとうとう親や使用人の眼を掻い潜ってさつきは件のお堂にやって来てしまった。そこで出会った同年代の背格好の少年が大輝だった。村では見かけない姿に、最初はさつきも警戒していた。大輝の方も彼女を追い返したという意図を持って乱暴な言葉を投げたりもした。優しい両親に育てられたさつきは、暴言を吐かれるということ自体恐ろしく、初めて触れた敵意にすっかり怯えてしまい、その場でわあわあと声を上げて泣き出してしまった。それまで明らかにさつきを警戒していた大輝は、彼女の涙に途端に狼狽したように見えた。女の同情を引き出したがる涙なら放っておくことも出来たのだが、何せさつきは純粋に恐怖に慄いて反射的に泣いているのだから怖がらせてしまった大輝に全責任があるように感じられたのだ。
 結局、さつきはいくら大輝があやそうとしても泣き止むことをせず全身全霊で以て泣き続けた。全てを出し切って疲れ果てて眠ってしまったさつきが風邪を引かないように気を配りながら、彼女の不在を心配した使用人が迎えに来るまでずっと背を擦っていたことをさつきは未だに知らないのだ。
 一度きり、偶然の邂逅で終わるはずだった出会いが続くようになったのは、さつきの好奇心が度を越して強かったからかもしれない。わからないことを知る為にはとことん調べなくてはならない。さつきはその調べるという行為が好きだったのか、裏山のお堂に何故見かけない顔の子どもがいたのかということがよほど気になってしまったのだろう。恐怖に泣きじゃくった翌日には再び大輝のいるお堂に姿を見せたのだから、彼も開いた口が塞がらずに姿を隠す暇もなかった。

「俺は人間じゃないから、来たら駄目だ」

 いつだったか、隠し立てしても無駄だろうからとさつきに告げたことがある。大輝は、このお堂が神社の社として機能していた頃の名残だ。神から堕ちた、人でもない者の残り屑。どれだけ見てくれが幼子の様であっても実際はもう何百年も生きているのだ。姿形くらいいくらでも変えられる。しかしどれだけ姿を変えても目つきの悪さだけは弄れない。きっとこのお堂の衰退と共に荒んでいった心の影響だろうなと大輝は思っている。初めは怖がっていたさつきも、いつしか彼を「大ちゃん」と呼ぶほどに懐いてしまった。

「大丈夫だよ。私、大ちゃんとのことちゃんと秘密に出来るから」

 そう邪気なく笑うさつきに大輝はそうではないのと首を振った。振ったけれど、さつきは認めてはくれなかった。周囲の人間の反応を気にするのは大輝の役目ではない。人間など大輝がその気になれば簡単に潰せるし、本来姿を視認しないことが普通なのだ。現に、頻繁にこのお堂に度胸試しにやって来る子どもたちで大輝らしき子を見かけたと発言する者は一人もいなかったのだから。だから、初対面でさつきが大輝を視えていると理解した瞬間、何百年ぶりかともわからない恐怖を彼は覚えていたのだ。そんなもの、直後の涙に見事吹き飛ばされてしまったけれど。
 結局大輝はさつきを振り払うことが出来ないまま、古びたお堂の縁側に着物が汚れることも厭わず座る彼女の隣で心地よい声に耳を傾けていた。
 生温くも穏やかな日々が崩壊の気配を見せたのは、出会いから何年か過ぎた頃。子どもだったさつきの身体が女性として成長していくのに合わせて大輝も背格好を成長した風に見せていた。何せ身長差がないと彼女に子ども扱いされてしまうのが気に食わなかったのだ。だからしっかりと認識しているつもりでいた、彼女が成長しているという事実。それさえ全ての念頭に置いておけば、動揺などすることなくもうそんな時期かと見送るだけだったのに。

「ねえどうしよう大ちゃん、私お嫁入りなんてしたくないよ」

 泣きながらさつきが言う。年が明けたら、遠くの村に嫁がされることが決まったのだと。初対面の大号泣以降、大輝は何度もさつきを暴言や悪戯で泣かせてきた。その度に大声で、酷い時は鼻まで垂らしながら泣いていた女の子はもう目の前にはいなかった。いやいやと首を振る我儘は子どものまま。けれど着物の袖口で涙を拭うさつきはもう子どもから大人の領域に足を踏み入れていた。大輝は漸く彼女は変わって来たのだと気が付いた。大輝は微塵も変わらない。姿かたちを操作して釣り合いを取っているだけで、それ以外はさつきとは違う流れに身を任せて生きてきた。添っている様に見えていた、そのずれが今表面化しているだけのこと。
 それならば。
 大輝の選ぶ道はさつきをきちんと人間の側に返すこと。さようならと突き放してこの先何度彼女が此処へやって来ても姿を見せないでもう慣れ合いはしないと意思を示すこと。けれど、あの大号泣の時から、大輝は一度だってさつきの泣き顔を放って置けたことなどありはしないのだ。

「……仕方ねーだろ」
「―――!」
「人間の女は、大人になったら嫁に行くもんなんだろ。だったら、お前だって、仕方ねーじゃん」
「何でそんな酷いこと言うの?」

 酷いことを言っている自覚がなかった大輝は、さつきの咎めるような瞳に怯む。遠くから入ってくる雑音の中から拾った情報を常識だと思って唱えても、それはさつき個人の境遇に押し付けてはいけなかった。けれど、間違いを言っているわけでもない。嫌がるだけこの先の一生を苦痛に晒さなければならない。だからこそ、人の柵を持たない大輝に縋ろうとしたのだ。幼い頃から、飾らないありのままを見せ続けた大輝にだけ、糾弾されるだけの弱さを打ち明けに来たのに。

「ねえ大ちゃん、私大ちゃんと一緒がいい。ずっと一緒に居たいよ」
「…無理だろ」
「何で?大ちゃんは私のこと嫌いなの?だから一緒に居たくないの?」
「そんなんじゃなくて、お前は人間だろ。俺は違うから、無理だ」
「じゃあ私も人間やめる!ねえどうしたら大ちゃんと一緒になれるの!?離れちゃうの絶対嫌だよ!」

 段々と、昔に帰っていく。声を荒げたさつきの涙が、大輝の記憶の中にいる彼女を起こしてしまう。違うから、会いに来てはいけないと言った。嫁いで離れ離れになることも仕方がないと言った。抗いようのない流れがあるのだからと。けれどそれでも一緒が良いと訴えるさつきの言葉に、大輝が「俺は違う」等と言える筈がなかった。だって、思い起こす全ての記憶に過ぎる想いが愛しいと伝えてくるのだ。離したくないと思ってしまった。だから人間なんてどうにでもできると思っていた大輝が、さつきひとり引き寄せることなんて、意を決してさえしまえば本当に容易いことなのだ。それはさつきにとって、一筋も退路を残さない道となる。

「―――お前本当に俺と居たいのかよ」
「…うん」
「家族とかと会えなくなっても?人間じゃなくなってもか?」
「大ちゃんが絶対一緒に居てくれるならいいの」
「―――じゃあ俺と―――」
「…大ちゃん、私を―――」
「来い」
「連れてって」

 大輝が手を差し伸べたのと、さつきが手を伸ばした時と言葉が重なる。振り返る迷いもなく、しっかりと両の手を握り合った瞬間、森の木々を揺らす強い風が吹いた。落ち葉が音を立てて舞い、鳥たちは驚いて羽ばたく。そしてそれらの喧騒が止んだ時、二人の姿はもうどこにもなかった。



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あなたの愛を喰らって生きる魔物になりたかった
Title by『告別』




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