黒子が、今よりもずっと幼かった頃。それは、実際にはまだたった数年前のこと。好きなものといえば、バスケと読書くらいのものだった。それは、今もそんなに変わっていない。でも今は、それだけじゃなくて。黒子は、好きな人ができた。好きな人たちが出来た。仲間とも、友達とも呼べる人達を、黒子は高校生になってから漸く手に入れた。嬉しかった。
 黒子が、今よりもずっと幼かった頃。実際はたった数年前のこと。黒子は、自分の周囲にいる存在を嫌っていた訳ではない。身勝手な言い方をさせてもらえば、黒子は、好きだった。彼らのこと。バスケでしか繋がりを持てなかった、そんな人たち。最後には、バスケですら繋がれなくなった人たちのこと。あの頃は、まるで味方に裏切られた敵を見るような眼で彼らを眺めるようになっていた。どうしてどうしてとまるで被害者面をしていたような気も、稀にしていた。今ならなんとなく、自分の非だって認められるようになってきた。誰も悪くなかった。巡り合わせと、実力と、場所とか、色々な条件が、偶々重なり合った結果、見ている方向が、全員が全員違っただけのこと。無関係な人間から見たら、本当に大したことのない、小さなことばかりだった。

「それでも、その小さな認識の集合体があの頃の僕の世界の全てだったんですよ」

 高校一年生にしては、やけに達観したような位置から物を言う黒子は、今日も今日とて薄かった。図書室の一番端っこで、当然ながら無言で読書に勤しんでいた黒子に、図書委員の当番は気付く事無く仕事を終えたと図書室を後にしてしまった。こうなってしまっては、貸出手続きは出来ない。このまま図書室で今手にしている本を読み終えてしまおうと、黒子が本に意識を集中して益々閑散とした空気の中に溶け込んでしまった。それから少したった時、たまたま授業で使った資料を返そうとやって来た伊月に黒子は見つかった。普段なら、部活動以外で顔を合わせても挨拶で終われるような、そんな関係だったはずなのに。その日は、何故か伊月がわざわざ黒子の前の席に陣取って話し掛け始めたから、黒子は読んでいた本を閉じて机の上に置いた。今日手に取ったばかりの図書室の本に、栞など着いている訳もなく、黒子は自分の行動を少しだけ後悔した。
 黒子が先のような言葉を発したのは、伊月が尋ねたから。昔のこと、たった数か月前のこと。今とは世界が放つ光の色さえ違っていたかのような、薄暗い記憶のことを、伊月が尋ねたから、黒子もさして出し惜しむことなく自分の記憶を辿って言葉に乗せて彼に伝えた。意図は知らない。知ってどうなることでもないことばかりだと、黒子は思うけれど。それでも、あの頃の、黒子の全てが詰まった記憶。

「キセキの世代って、結構仲良しだと思ってたんだけどな」
「冗談やめてくださいよ」

 すっぱりと、考え込む間もなく伊月の意見を否定する。仲良しだなんて、そんなこと。部活の帰り道に数度コンビニによる程度。各々が好き勝手に自分の用事を済ませるだけの、群れ。最終的にはそんなことさえしなくなってしまった。否、もしかしたら、自分が彼らから逃げ回っている間にも彼らにはそれなりの交流があったのかもしれない。そう思いながらも直ぐにその考えを否定する。精々黄瀬が青峰や緑間に構ってもらおうと構い倒すくらいだろう。本当に、他人に対して微塵の興味も示さない人でなしばかりだ。言い過ぎたかもしれない。
 過去の記憶に浸って、そこから今度は現在について考える。コンビニよりもファーストフード店に寄り道する回数が増えた。なんだか、ちょっぴり大人になった気分だと黒子は少しだけ得意げである。言葉にもしないし、表情にも浮かんでいないから、誰にも伝わっていないのだが。それから、その寄り道を共にする人物について考える。最初から一緒に向かうこともあるし、高確率の偶然で出会うこともある。一緒に帰宅することもある。なんて普通なんでしょうといつだって、ぽろりと零れかけた本音を慌てて仕舞う。やっぱり、表情には出さないけれど。そういえば、伊月と寄り道をしたことはないけれど、何故だか彼は結構自分のことを気にかけてくれる。それは当然先輩だからだろう。だけど、それすらも黒子にとっては新鮮で嬉しいことだ。あの頃、先輩と呼んだ人たちで黒子に気付ける人間の方が稀だったし、自分達の世代の実力が実力だった為、彼等と良好な関係を築いていたかといえば微妙なものだ。

「…誠凛に来て良かったと、思ってるんです」
「そっか。ありがとう」
「何で伊月先輩がお礼を言うんですか?」
「何でだろう。あれかな、バスケ部を代表してって感じ」
「はあ…」

 照れる所だろうか。黒子は真顔で伊月の顔を見詰める。伊月はいつものように涼しい顔で微笑んでいる。別に仰々しいことを言ったつもりもないのだろう。黒子は、嬉しかったけれど、黒子を喜ばせる意図も又、きっとなかった。試合中に何かとコンタクトをとることも多い相手だったが、落ち着いてゆっくり話す機会なんてそうなかった。お互い今はバスケにばかりかまけているから、部活以外で口を開くこともなかったから。だから今、普段と違う空気と仕草に黒子は少しだけ惑うけど。こんな時間も、案外悪くないと思う。
 小さな認識の集まりと、その齟齬によって離れ離れになった。かつて、仲間と呼んだ人達がいた。黒子には、今も仲間と呼ぶ人達がいる。相変わらず黒子の各個に対する認識なんてバスケ以外を知らない小さなものばかりだ。だけど、あの頃とは違う。相手もまた、黒子に小さな認識を以て接してくれる。探してくれるし見つけてくれる。見つけて欲しいと、黒子自身も思うから。だから自分は此処に来て良かったと思う。時々、昔を振り返ってしまう小さな癖は今もまだ抜けないけれど。
 自分の名前を、呼んで。信頼してくれる仲間と。友達とも呼べるし、先輩とも呼べて慕える人を、黒子は手に入れた。ままならないことばかりの世界の中で、黒子はささやかに自己を幸せと認識し過ごしている。そうして、いつか、今、あの頃と呼ぶ日々すらも幸せだったと振り返るくらいバスケから遠のく日が来ることも、黒子はなんとなく知っていて。だからやっぱり、幸せだと、今を抱き締めることを止めない。

「…僕、伊月先輩に出会えて良かったです」
「俺も黒子に出会えて良かったよ」
「…照れますね」
「そうかな?」

 何とも、幸せな、ある日のこと。読みかけの本は、きっとこのまま本棚に戻されるのだろう。だって、栞を持っていないのだから。


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書き留められぬ速さで流れた
Title by『ダボスへ』





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