※大学生


 帰宅すると一人暮らしをしているアパートの玄関の鍵が開いていた。出掛けに確かに鍵を閉めたという確信のある赤司は、それでも特別警戒することもなく、ただ明確な予想を描いて扉を開けた。次いで呑気に飛んでくる「おかえり」の一言に物申したくなったものの、馴染んだ声音と文句につい反射的に「ただいま」と返していた。数歩歩いて辿り着くリビングでは、予想通り降旗が寛いだ様子でソファに身体を埋めながらテレビを観ていた。自分の部屋の物よりも赤司の部屋のテレビの方が大きさも画質も優れているからという理由で、降旗は時々勝手に赤司の部屋に上り込む。しかし勝手というのは赤司の方便で、その勝手の許可を出したのもまた赤司なのである。降旗光樹は、赤司征十郎の隣人であった。
 高校生活を京都で過ごした赤司は大学に進学すると同時に東京に戻り一人暮らしを開始した。折角ならば実家から通えば良いものを、寮暮らしで気儘な快適さを馴染ませてしまった身には両親の目はどうにも面倒だった。両親を煙たがったのではなく、あくまで自分を可愛がっただけの話。贅沢とも貧乏とも形容されず、だが自身の快適さだけは譲らずに適当な物件を幾つか見繕いながら、高校時代何度か大会で対戦した降旗が隣人に収まったのは勿論偶然などではなくて。赤司と降旗の共通の同窓は、無感動な眼でじろじろと赤司を見つめながら最後には彼の要求を飲み続けた。詰まる所、降旗の個人情報の横流しである。字面から察すると漂う犯罪臭に顔を顰めそうになるが、相手の進学先に自分の進学先を合わせるだとか、そういう類のことはしていない。ただ赤司にしてはらしくなく偶然に縋る程度の接触を望めるような範囲に居を構えたかっただけだ。それを「だけ」と称することに、黒子は物言いたげだったが敢えて黙殺させて貰った。
 赤司が何かと降旗を気に入っていたことを見抜いていたのは彼に協力的だった黒子と、それから赤司のひとつ上の先輩にひとりだけ。降旗本人に至っては赤司との初対面で負った精神的圧迫感を払拭するのに一年以上の時間を費やしたのだ。それは単純に、降旗が実戦経験を積んでコート内で向き合うキセキの世代にも気後れすることなく試合に臨めるようになった瞬間に明らかになったこと。同じポジションということもあって、黒子たちが三年になった最後のWC後は多少の世間話を交わす程度には親交があった。アドレスと番号はそれ以前に黒子を介して知っていたが、正直東京と京都の距離を挟んでは特にやりとりを交わすことはなかった。そんな些細な接触の積み重ねの中で、降旗が赤司の思い入れに気付くはずもなく。大学一年、新たな生活に足を踏み出した矢先、隣人の挨拶を済ませる為に呼び鈴を押して顔を出した相手が顔見知りだった時の降旗の顔ときたら驚愕で優に一分以上は固まっていた。
 何故ここにいるのだと、住人という事実を頭の片隅で理解しながらも問うてくる降旗を丸め込めることなど赤司には容易かった。赤司の言葉が全て正しいなどとは、降旗も本人ももう思っていなかった。けれど、そうあるように思わせる弁論の術は有していた。過剰なまでの確信を振舞うことも容易かった。他人の上に立ち続けた年月は伊達ではない。刷り込まれる「偶然」の文字を、降旗は容易く信じ込んだ。そしてさり気なく慣れない一人暮らしをフォローし合う約束を取り付けて、全国規模の大会でのみ顔を合わせる強豪校の選手から、親しいご近所付き合いのある隣人にまで距離を縮めたのである。初対面の頃感じていた畏怖と、自分よりも優れたプレイヤーであるという認識からくる隔離感はバスケを通さない交流の中で徐々に薄れ、消えた。人間は慣れる生き物で降旗は割と順応性の高い方だった。気位が高そうだとは予想通りだったが、傍から見ていた緑間よりは見た目穏やかだと認識し、勝負事に転じなければ物騒な言動もしない。大学も学ぶ分野も違うのに降旗のレポートに的確なダメ出しを食らわせ、共に食卓を挟みテレビを観ながら与太話まで興じれば赤司を身内と認識しない理由がなかった。要するに、降旗は赤司に絆された。それで日常に支障をきたすこともないので、悪いことではないのだろう。何せ当人は無自覚だ。仕掛けた側は、当然意図的である。

「赤司おかえりー」
「聞こえていたよ。返事したろう」
「聞こえてたけどさあ、他に何て声かければよかった?」
「さあ、それは自分で考えなよ」
「でも今映画良いとこなんだ」
「はいはい」

 意識が完全にテレビに傾いているものの家主である赤司を無視するという無礼を選ばない降旗の言葉を流して、台所に向かい冷蔵庫の中に買ってきた食材を乱雑に放り込んでいく。数日前に買った豆腐をまだ使っていないのに新しく買ってきてしまったことに気付いたが。木綿と絹で違ったので良しとしておく。一人暮らしを所望したものの、料理のレパートリーは全く以て広がりのない赤司である。自分の好物が比較的簡単な料理で良かったと思う。その点では、小器用な降旗に食生活で世話になっており、建前として交わした助け合いの約束はきちんと履行されているのである。因みに赤司が降旗にどんな助けの手を差し伸べているのかというと新聞の勧誘の断りだったり、大学のテスト期間に提出物の添削を買って出たりといった所だ。日用的な面ではてんで役に立っていない赤司である。才能はないくせに完璧を求めるから掃除など手伝わせると汚すよりも悲惨なことになる。適材適所って素晴らしい。赤司と降旗が、下心を隠した隣人関係の中で心の底から感じ入った唯一の共通点であった。
 リビングに戻ると映画が山場らしく、降旗は赤司の足音に振り返りもしない。それに腹を立てるほど初心な性格をしていない。何を見ているのかと液晶に目線を向ければ主人公らしき青年とヒロインが見つめ合っている。数秒後にはキスしますと言わんばかりの雰囲気で、だが二人の様相を見る限りアクション映画の類だろう。
 ――こういうジャンルの恋愛は大抵吊り橋効果じゃないか?
 思ったけれど、無粋だから言わない。何故海の向こうの大国映画はシリーズものとなると作品ごとに主人公が違う女と恋に落ちるのか、そう割り切らないと説明がつかない。分析する要点に据えるものでもないのだろうが。途中からの観賞で感情が入り込めないのも原因だろうが、他人の恋愛事に興味がない性質な所為もあるだろう。一方で、自分の意思でこの映画を最初から観ている降旗はよほど真剣に見入っているらしい。そんな中自分の帰宅に反応したことにわざわざ浮かれて見せるのも良いのだが、そこで満足していては赤司の目的地には到底辿り着けないだろう。
 タイミングが重要なのだと唱えながら、同時に赤司の手はリモコンを手に電源を落としていた。即座に「えーー!?」と上がる抗議の声に「どうせDVDだろ」と釈明にもならない言葉を返すと降旗は頬を膨らませて必死に怒りを訴えようとする。通じない、と両手の人差し指で頬を突いてその抵抗を無に帰してやった。降旗はそのまま力なくソファに突っ伏してしまう。

「光樹、出掛けるぞ。支度してくれ」
「えー?赤司今帰って来たばっかりじゃん」
「……お前今日誕生日だろう。夕飯奢ってあげるよ」
「うえ!?」

 予想外の言葉に反射的に顔を上げた降旗に、赤司は視線で早くしろと急かす。その瞳が、思ったよりも物騒な色を帯びてしまったようで、出掛けることを了承していないにも関わらず降旗は慌てて支度を始める。とはいえ、ここは赤司の部屋なので、デッキからDVDを取り出してしまい、脱いでいたコートを羽織るだけである。降旗も出先から直接この部屋に上り込んだらしい。

「俺の誕生日知ってたんだ」
「……まあね」
「あ、黒子から聞いた?」
「そんな所」

 正確には聞き出した、だ。掘り下げられても探ったことが明るみになると格好がつかないから、赤司はさっさと玄関に向かい始める。バタバタと続く足音に、随分信頼されたものだなと実感し、口元が緩む。慕う相手の誕生日の祝い方など知らないが、友人と隣人を兼ねた相手としての定石を踏んでおくのも不利益にはなるまい。いくら成績が優秀でも、学生という身分は覆せないので、財布の中身も湯水のように潤い溢れたりはしないので豪勢には振舞えないがそれでも。赤司が祝ったという事実を、きっと降旗は見落とさないでいてくれるような、そんな気がしている。

「――ん?夕飯奢るって赤司さっき買い物袋持ってなかった?」
「ああ、豆腐と牛乳しか買ってないよ」
「豆腐ってさっき飲み物貰った時見たけど冷蔵庫にまだ残ってたじゃん」
「あれは木綿だろ。今日買ったのは絹なんだ」
「自分で料理殆どできないのに何なのその言い分!」
「……すまない、うっかりだ」
「うん、そうだろうね」
「明日は何か豆腐で一品頼むよ」
「りょうかーい」

 さも自然な流れですという風に、翌日の夕飯を確保する赤司に降旗はもう疑問を持たない。それだけ近しい距離にいることを当たり前と捉えている。だから赤司もついつい甘えてしまうのだ。
 降旗は、以前黒子に「赤司君に懐かれるとそれはそれで面倒ですけど、彼にそう思われるって大概相手にも原因ありますからね?」と念を押す様に言われた。当時は理解できなかったけれど、今ならば何となくわかる気がする。今となっては高校時代の余所余所しさだとか、遠くから勝手に畏敬の念を込めて見ていた時期の方が信じられないくらいだ。降旗にすれば、その時期こそが最もひたむきに突っ走っていた人生に於いて絶対に忘れえない時間だったのに。人生とはわからない。悟るには、赤司との関係は実はまだ変化の可能性が眠っているのだけれど、降旗はその点まだ無自覚だ。自分に噛みつこうとしている獣を飼い殺すには、降旗は赤司に向ける牙を持っていない。
 靴を履いて、外に出る。最近めっきり冬の気配が近くなって、卸したばかりの冬用コートはまだ馴染まない。鍵を掛ける赤司の背を見つめながら、降旗はこれから赤司にご馳走される夕飯よりも明日自分が彼に振舞うメニューについて考えている。一方赤司は未だ言えずにいる「お誕生日おめでとう」の常套句をいつ告げようか考えている。けれどあまり急がなくても良いように思えた。きっと二人とも、また同じことを悩む一日をこの先も迎えるだろう。もしかしたら、その時に隣人が同居人になっていたりする可能性だって十分有り得るのだ。



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Happy Birthday!!11/8

茫々と冬にさらって
Title by『ダボスへ』





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