※パラレル
※黄瀬が幽霊・黒子がnotキセキ


 その幽霊と黒子が出会ったのはまだ四月の半ば、散るが潔い桜の花弁が地面の大半を覆い隠す時分のことだった。端正な顔ににこにこと懐っこい笑みを浮かべた男の幽霊を、黒子は最初幽霊とは気付かなかった。だって、これまた嫌味なくらいに長い脚をしっかりと地面につけて立っていたのだから。普段ならばすいすいと人混みの隙間を避けながら歩く黒子が、珍しく気配を拾いあぐねて目の前の人影にぶつかると思った瞬間、身体は彼をすり抜けていた。ぎょっとして振り向いたつもりだったけれど、黒子の顔にはあまり動揺の色が広がっていなかったようで、その幽霊はもっと驚いて欲しいと騒ぎ始めた。それが、初対面のこと。
 どうやらその幽霊は誰にでも視認できる存在ではないらしい。足はあるけれど、確かに自分が死ぬ最後の瞬間を記憶している彼は自ら率先して幽霊だと名乗りを上げた。幽霊というのは大抵この世に未練や恨みを残しているような魂のことだから、もっと陰気な、もしくは思いつめた人間がなるものだとばかり思っていたが黒子が出会った幽霊は随分と陽気な性格をしているらしい。案外それが、他人と適当な距離で渡り合うためのフェイクである可能性も高かったけれど、それは黒子にはどうでもいいことだった。問題なのは、その幽霊が初めて自分を見ることのできる人間に出会ったことが心底嬉しいと、黒子の自宅まで着いてきてしまったことである。帰る自宅など当然ありはしないと言い張る幽霊に、黒子は「つまり僕は憑かれてしまったということですか」と淡々と現状把握に努めた。

 幽霊は名を黄瀬涼太というらしい。生前はモデルをやっていて女の子にもモテモテだったんだとか。なるほど道理でその顔ですかと頷く黒子に、黄瀬は初めて困ったように順番が逆だと訂正した。どうやら、モデルであることは特別彼の自尊心に直結はしていないらしい。それなりに有名で、けれど自分を有名人として扱わない人間を前にしても何も感じない。黒子の部屋を見渡せば、彼がお洒落に気を使ってファッション雑誌を読み耽るような人種ではないことがあっさりと見抜けたのだろう。そうでなくとも、黄瀬は本当に、ただ自分を見つけてくれる人間の存在が嬉しかったのだ。黒子からすれば、高校進学早々妙なものに憑かれてしまったというのが正直な感想なのだが。
 しかし自分の興味が向かない物に関してはどこか淡白な一面がある黒子は、憑いてきてしまったものは仕方がないと認める。そして取り敢えず、お決まりの疑問を呟いてみることにした。

「――黄瀬君…は未練とか、恨みとかを残して死んでいったんですか?」
「死因より先に確信着いちゃうんスね」
「故人について詳しくなっても仕方がないので」
「冷たい!」
「死体には及びませんよ」
「俺は死体じゃなくて幽霊っスよ!」
「はあ…」

 「兎に角故人なんですよね」とオチをつけて、黒子は通学鞄の中から読みかけの文庫本を取り出した。それを見て黄瀬は益々冷たいと涙まで零し始める始末。その涙は一体溢れてどうなるのだろうかと純粋に疑問に思った黒子は初めてじっと黄瀬の顔を見つめた。するとその視線に怯んだのか黄瀬の涙は驚きで引っ込んでしまったからつまらない。これだけ広くもない部屋で騒がれても、両親にはうるさいと叱られる声のひとつも飛んでこないのだからやはり黄瀬が見えているのは自分だけなのだという現実がよりリアルに身に沁みる。
 それから暫くして、いくら温情を訴えても黒子は無条件に相手を甘やかしてくれるタイプではないと理解したらしい黄瀬は優しさを諦めたらしい。知らぬ存ぜぬで無視を決め込まれないだけ、それだけで充分温かい人間だと信じたい。真面目な声のトーンで語られる黄瀬の言葉は、彼自身降りかかった災難に対する情報を全て把握しているわけではないというのが前提だった。未練だとか恨みだとか、黒子は単純に小説やドラマの中のテンプレを引っ張ってきただけで、仮に黄瀬が思いつくそれらを晴らしてやったとしても事態が動くかどうかはわからないのだ。
 黄瀬涼太は、モデルの仕事をしていたけれどそれが特別好きだからやっていたわけではないらしい。彼が一番に好きだったのはバスケ。器用貧乏のレベルをマックスまで跳ね上げたようなスペックを持っていた黄瀬は、大抵のことは一目見ればなぞり手本よりも上等にそれらを熟して見せた。見物人は黄瀬の振る舞いを褒めそやすだけだから、さぞ見ものだったことだろう。けれど、踏み台にされた当事者は、努力以前に熱意すら伴わない黄瀬の振る舞いには傷付き妬んだ者もいるはずだった。黄瀬は、そういう他人の存在を知ってはいたけれど関心を払う必要はないと思っていたし、実際払っていなかった。彼はただ出来るからやって見せただけで、何の意図も持っていなかったから。心のどこかで、出来なければ良いのにとは思っていた。挑む物のない平坦な日常は存外詰まらない物だったと、黄瀬は寂しげな表情で語って見せた。黒子には到底理解できない世界の話だが、黄瀬にとっては幸せでない日常だということだけを端的に理解した。
 ある日偶然出会ったその人は、とても楽しそうにバスケをする人だったという。天性のセンス、身体能力、技術全てが同年代の中で群を抜いて優れていた。一目見た瞬間、これは真似できないと悟った。そして次の瞬間には黄瀬はもう飛び込んでいた。やはりその人は眼を見張る速度で成長を遂げる黄瀬でも一度として勝つことが出来なかったそうだ。

「…黄瀬君の未練は、その人にバスケで勝ちたいということですか?」
「まあ、色々考えてみてもそれくらいしか心当たりがないんスよ」
「でもそれって難しいですよね。…その、仮に君が誰かの身体に入り込めたとして。そうすればどうにか達成できそうなことなんですか?」
「まず無理っスね。最低限俺と同じポテンシャルと技術を持った身体が落ちてたとしたって、それでもあの人にはまだまだ及ばなかったんスから」
「水を差すようで悪いですが、その人といい君といいバスケが上手いんですか?黄瀬君の言い方だとその人の実力が随分ヒエラルキーの頂点にいるみたいに聞こえるんですけど…」
「実際同じチームでプレイしてた時は日本一になったしね。その中でエースって呼ばれてた人なんスよ。いやまじカッケーんスから!バスケ知らない人間だってあのプレイをみたら凄いって理解するっスよ!」

 顔も知らない憧れの人を語る黄瀬の瞳からは、相手への憧憬の念がありありと伝わってきた。きっと黒子の瞳がこんな雄弁に何かを語ることはないだろう。これほどまで相手に強い思い入れがあるのならば、案外黄瀬を現世に繋ぎ止めているのはそのバスケットで勝ちたいという一念なのかもしれない。それをどうにかして肯定してみたところで、やはり現状はそこで止まってしまう。黄瀬の言う通りならば、どうやったって黄瀬がその人とバスケで対戦することも同じコートに立つことも出来ないのだ。死ぬって、そういうことなのだ。居ること自体が、異常なのだ。



 黒子が幽霊の黄瀬と出会ってから、もう三カ月が立とうとしていた。あれから、黒子は黄瀬を自宅に居候させたまま進学した誠凛高校のバスケ部に入った。元々好きなスポーツではあったのだが、中学時代は色々と才能の欠落と仲間に恵まれずに途中でプレイすることをやめてしまった。恐らくその時期が、黄瀬がバスケを始めた時期と入れ違いだったのだろう。パスに特化しているだけでは勝ちあがれないと諦めきれないくせに諦めたふりをした。それが、誠凛で出会った同じクラスの出席番号前後に位置する火神や女カントクの言動に感化されて再びバスケに携わることになった。その決定に、実はあまり黄瀬の存在は噛んでいなかったりする。黒子は自分の身体能力の低さを誰よりも正確に把握していて、黄瀬の未練解消の役には立てないとはっきり本人にも伝えてある。だから黒子が学校に行っている間、黄瀬は他にも自分を見ることの出来る人間がいないかとぶらぶら彷徨っている筈だし、もしかしたら時折件の彼の様子を見に行っているのかもしれなかった。
 一年の夏、インターハイを懸けた戦いは既に敗退してしまった。勝ち進む途中、化け物のように強い選手に何人か出会った。もしかしたら、この中の誰かが黄瀬の相手かもしれないと思いながら尋ねることなど当然出来なかった。黄瀬は何故か、練習試合は黒子の様子を覗きに来るくせに公式大会にだけは顔を見せないのだ。大会が進むにつれ現れる実力者の熱気に宛てられて、叶いもしない願いを抱いてしまったら困るからと。そう言われると、何も出来ないと言いきってしまった黒子には強引に彼を誘うことは出来なかった。

「あれ?黒子っちドリブル練っスか?」
「流石にこの先勝ち進みたいと思ったら、パスしか出来ないんじゃ役に立てませんからね」
「ふーん。ミスディレクションとか、パスも十分凄いと思うっスけどねー」
「一応、礼を言っておきます」
「あっ、信じてないっしょ!?本気で褒めてるんスよー?」
「火神君より上手かったらしい君に言われてもね」
「だから有り難いんじゃないっスかー!」
「はいはい」

 夏休み、夕方の体育館を黒子はひとり自主練で使用していた。戸締りをしっかりすることと、翌日の練習に一番に来て鍵を開けることを条件にカントクから預けて貰った。何度かあるやり取りに、黄瀬は黒子が体育館に一人残っている時には遠慮なく話しかけてくる。他に黄瀬のことが見えていない人間がいる場では、流石に黒子も相手が出来ない。無視されると食い下がる性分なので、黄瀬は最初から空気を読むことにしたのである。
 黙々と自主練に打ち込む黒子の傍らで、黄瀬は自分の両手を見つめる。もう何も掴めない手。ボールの感触も、段々と黄瀬の脳裏から剥がれかかっている。幽霊だからと割り切るには、黄瀬の未練は明確過ぎた。足なんて、いっそなくしてそれらしくしてくれれば良かったのに。バッシュで床を止まる感覚だって、こうして体育館に潜り込めば音を聞くだけで懐かしく自分の物のように感じる。だけど、自分はもうバスケが出来ない。未練だって晴らせない。ならばこのまま永遠に停滞したまま黄瀬は何を見送って見放されてしまうのだろう。考えれば考えるだけ希望なんて見つからず、声を上げて情けなくも泣き出してしまいたい。けれどそれだって、無駄なのだ。

「――黄瀬君?」
「…黒子っちは、案外俺の勝ちたかった人と勝負したら、勝っちゃうかもしれないっスね」
「全国にも手が届いてないんですよ。君の憧れの人は、日本一になったことがあるんでしょう?」
「中学の頃にね」

 いつもより沈んだ様子に、黒子はドリブルをつく手を止めた。二階の窓から夕日が差し込んで、伸びる影が黄瀬の輪郭を飲み込もうとしている。それを見て、黒子は思わず息を止めた。消えてしまうと反射的に脳裏に浮かんだ言葉に、それは道理に適った理想形で、ショックを受けるようなことではないと直ぐに理性が思い直す。
 音の止んだ体育館で、黄瀬と黒子は見つめ合っている。言葉は、黄瀬がきっかけをくれなければ黒子には何も思いつかなかった。そんなもしもを提示するならば、自分の目で確かめに来ればいい。そして目当ての人物を見つけられた時、黄瀬はきっと絶望するだろう。だから黒子は何も言えない。数か月、共に過ごして知ったこと。黒子は黄瀬が嫌いではない。進んで傷付いて来いとは促せなくなる程度には。

「あーあ、俺が幽霊なんかじゃなかったら、黒子っちとバスケ出来たのにね」
「――黄瀬君、それは、」
「そしたら、黒子っちインターハイ行けてたかもしんないっスよ」
「黄瀬君、それは違うでしょう?黄瀬君の願い事は全部憧れの人に勝つことでしょう?」
「……ごめんね、増えちゃった」
「そんな未練を増やすようなことしちゃダメです」
「未練?…そっスね、これも未練っスね」

 ――でも思っちゃったから、ごめん。
 見えてくれている。それだけで、黄瀬は黒子を起点にして己を保っていられたはずなのに。叶えられない願いの傍らで、黒子に寄り掛かって惹かれてしまったのはそう不自然なことではないだろう。だって黄瀬にはもう黒子だけが希望なのだ。少しずつ堅実に成長していく黒子を見つめながら、もうバスケはいいやなんて諦めることも出来ずに震えている。黒子はいつか、このチームで黄瀬の憧れを超えていくのだろうか。そうしたら、それ以下だった自分のことなど些末なことだと振り払ってしまうのだろうか。そのもしもが、黄瀬には未練を晴らせないことよりも恐ろしいことのように思えるのだ。
 ――だけど好きだとか、愛してるとかそれだけは言わないから、許して。
 泣き出しそうな顔が、夕暮れの影に隠れてくれて良かった。これ以上は困らせないからどうか、傍にいることだけは今更拒まないで。もう黄瀬は何処にもいけない。憧れも追えない。ただひたむきにバスケに取り組む黒子の傍で見守ることしか出来ないのだから。
 黄瀬の抱える葛藤に気付くこともなく、黒子はただ今自分の目の前に黄瀬がいるという事実だけを許容している。それがどれだけ黄瀬を救い上げているかという事実には、やはり気付かないまま。



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死ぬまでそばにいてあげる
Title by『告別』






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